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 第二とはいえクラインの皇女である以上、ダンスの最初の相手が誰か、ということは重大な問題であった。成人式のお披露目のダンスパーティーで皇女と最初に踊るものは婚約者である、というのが長年のクラインでの風習であり、ルクリーシア皇女の時もわざわざメビウスからその日にあわせてパリス皇子が訪れたほどそれを大事にしている。たとえ二十歳の誕生日とはいえ、エスコートとなると婚約確実な者が行うべきである。
「殿下、最初に踊る意味をわかっていらして、なおかつ仰っているんですか?」
 おもむろにバーネットは尋ねた。レウカディアは大人びた微笑を浮かべた。
「それは成人式で、再来月のことだわ」
 そういえば、とバーネットは思った。レウカディアとつりあう年頃の王族はもう中原にはいなかった。沿海州では国の格がつりあわないし、ラトキアのナーディル公子とのあいだに一時縁談が持ち上がっていたが、それもエトルリアのラトキア侵攻によってご破算となってしまった。もともと三つも年下の少年と結婚するのをレウカディアは渋っていたから、それがなくともこの縁談は実現しなかっただろうが。
 もともと傍系の少ないクライン皇族であったから、国内に皇子はいない。レウカディアの伯母――つまりアレクサンデル四世の二人の姉姫のうち、クレシェンツィア皇女はジャニュアの王家に嫁いだが、その息子ティイも娘のリューンも息子を遺さずに死んでいる。ジャニュアの王女ユーリ姫はレウカディアのいとこの子供にあたる。もう一人の異母姉フリスティナ皇女はミュロン公爵と結婚し、ツィフィラとヤスミナの二人の王女をもうけているが、その二人の王女にしても息子はいない。
 つまりレウカディアの気持ちはどうあれ、彼女は国内――もしくは国外の有力な貴族から夫となるべき人を探さねばならないのである。王族に生まれつくのもあながち幸福とはいえない、とレウカディアがこぼすのはそんなときだ。
「ともかく、その儀だけはご容赦を」
 バーネットは丁重に辞退した。が、レウカディアはそんなことぐらいでひっこみはしなかった。彼女は元来、駄目と言われれば言われるほどやりたくなるタイプの人間だったのだ。
「剣の主に逆らうつもり? バーネット・ルデュラン」
「それとこれとは違います」
「どう違うのよ」
 レウカディアは辛辣だった。
 バーネットは返答に詰まってしまった。彼の父親だったならうまく言いくるめて説き伏せる事もできただろうが、あいにくバーネットは自他ともに認める社交下手、話し下手であったから、どう言えばいいのかすっかりもごもごしてしまって、さらに言いつのろうとしていたレウカディアがかわいそうになるくらい悩んでしまった。
「剣の誓いというものはですね、その主に絶対の忠誠を誓いますけれど、そんな個人的な用事を言いつけるためだけに使われるようなものではなくて、もっと神聖な誓いです。軽々しく使ってはいけません」
「軽々しくなんてないわ」
 レウカディアはすっかりつむじを曲げてしまった。
「だいたい、あなたがそうやって奉っている剣の誓いだって、貴方がいきなり一方的にたてたものじゃないの。私は儀式にのっとって受けただけだわ。それをいまさら持ち出したりしないでちょうだい」
「だったら殿下も、剣の主とご自分で仰るのはよしてください」
「ああそう。いいわ」
 レウカディアは売り言葉に買い言葉で激しく言った。
「どっちが正しいかみんなに決めてもらうから。ティアラ、ルビア! ちょっとこっちに来てちょうだい!」
「殿下ッ!」
「何よ」
 慌てて叫んだバーネットを、レウカディアは倣岸に腰に両手を当てて見返した。背はレウカディアのほうがあたま一つ分くらい低いが、このときのバーネットの心境としては彼女が自分の数倍も大きいような気すらしたのである。
「お呼びでございますか殿下」
「何の御用でしょうか」
 すぐにレウカディア付きの女官たちが入ってきた。レウカディアは化けたとしか思えないような微笑みを浮かべて彼女たちを一瞥した。
「あのね、皆に聞きたいのだけれど。ルデュラン子爵ったら、明日の誕生日のダンスパーティーで私と踊ってくださらないっていうの。こんなにお願いしているのに。ルデュラン子爵が言うには、自分は私に不釣合いなんですって。お前たちはどう思う?」
「それはまあ……」
 背が高いほうの女官が顎に指を当てた。それがティアラだということはバーネットも知っていた。宮廷付の女官は大抵名家や貴族の子女が多いので身のこなしや仕種は優雅そのものだ。もっと下の侍女たちでも、ラトキア辺りでは貴婦人で通るだろう。
「身分といたしましてはバーネット様のおっしゃることのほうが正しゅうございますわ。殿下はいやしくもクラインの第二皇女、バーネット様はローレイン伯のご子息とはいえまだご自身は子爵でいらっしゃいますし」
「でも、お二人なら本当に絵のようにお似合いですわ」
 ルビアがうっとりしたように目を細めた。
 これはまずい、とバーネットは思った。
「ともかく、一女官といたしましてはバーネット様がご辞退なさる理由も判りますし、それが正当だと思います。しかしながら……わたくし個人といたしましては姫様のダンスのお相手にはバーネット様がお似合いだと思いますわ」
「ほら見なさい」
 レウカディアが勝ち誇ったように言った。実際その言葉には勝利のラッパのような響きがあった。
「二人ともあなたが相手をすることに関しては異存はないわ。あなた一人がそんな訳のわかんないことを言っているのよ。さあ、受けるの受けないの、どっち」
「そんなに責めないでください」
 バーネットはとうとう悲鳴を上げた。
「判りましたよ判りました! お相手いたしますから、もうそんな大声で四方八方から言い募るのはやめてください!」
「あら私、そんな……」
 急に恥ずかしくなって、レウカディアはぱっと頬を赤くした。そんなに自分ははしたなく大声を上げていただろうか、と心配になったのだ。皇女たるもの――しかも姉のいない今、もっと皇女らしくあろうと心がけてきていたのだが、それもいっぺんに崩れ去ってしまいそうだ。レウカディアはその場の気恥ずかしさを誤魔化すためにこほん、と咳払いをした。
「ともかくも、明日は私と最初に踊ること。いいわね?」
「御意に。レウカディア殿下」
 バーネットはせめてもの意趣返しに、思い切り馬鹿丁寧に騎士の礼を返した。またレウカディアの頬がみるみる赤くなる。
「そ、そんなにイヤなら別にいいわよッ」
「滅相もない」
 顔を上げたバーネットはうぶな女の子ならとろけそうな微笑みを浮かべていた。こういうところは父親に負けず劣らず――しかも彼のほうが若いのでずっと――魅力的だったので、レウカディアは思わずかっとなった気分も引っ込めてしまった。
「こうなれば喜んで、最後までお相手いたしますよ」
 しかし彼がやけっぱちな気分になっていたのは事実であった。


次の日、クライン城は朝から忙しかった。夕方から始まるパーティーのために昨日からずっと続けられている広間の飾りつけはそろそろ大詰めを迎え、厨房では料理人たちがこの日のために考え出したあれやこれやのメニューを作るために鳥の羽をむしり、野菜を切り――ともかく、裏舞台はてんやわんやの大騒ぎであった。
 しかしこれも成人式のパーティーに比べれば大したものではなく、ごく内輪でのお祝いとなるので国外からの使節もやってこない、というのがまだしも彼らには救いであった。今年のヤナスの月に行われる成人式でレウカディアは正式にルクリーシアから第一帝位継承権を引き継ぎ、皇太子になるので、その儀式と祝賀のパーティーともなればこの倍以上の騒ぎになるだろうと誰しも予想しているところである。
 現在の聖帝や皇子皇女の誕生日は祝日となる規定であるので、この日はカーティスの街中がなんとなくそわそわしたお祭り気分に満たされる。皇女の誕生日など本来彼らには何の関係もないことだが、それを口実に酒を飲んだりごちそうを食べたり、誰にも気兼ねせず夜中まで踊りとおしたりという騒ぎはいつの世も人々のもっとも好むところであったから、この誕生日は当の本人よりも喜ばれて迎えられたのである。
 お祭り以外のことにもう少しでも関心のある人々は、絵姿でしか知らない第二皇女は一体どんな美しい女性に育っているのか、またもうすぐ迎える成人式のおりに決定する婚約者は誰が候補であろうか、ルクリーシアの結婚式は豪華であったが、レウカディアの結婚式にはどんな催し事があり、姫はどんな素敵なドレスを着るのだろうといった話で盛り上がるのであった。
 そして、貴族たちの間でもそこは人の子、やはりその話題になると話が尽きることはないのだった。
 すでに時は夕方、リナイスの刻である。
 金獅子宮の大広間、七星の間にはすでに諸侯らや貴婦人が集いつつある。規模としてはオルテア城の翡翠の間にも匹敵する広さの七星の間の真ん中はダンスホールとして空けられており、その周囲にぐるりとレースのテーブルクロスがかけられた長机が並べられている。その上には料理人たちが腕によりをかけて作ったご馳走が温かいものは温かく、冷たいものはあくまで冷たくされて並んでいるのである。正餐の代わりに気軽な立食形式を取っていたので、つまりはその皿から好きなものを適当につまんでよろしい、という趣向である。
 今日の主役である皇女レウカディアが入ってくるまではまだ正式なパーティーが始まっているわけでもないのだが、慣例として飲み物や軽いおつまみ程度ならちょくちょくつまんでも誰も文句は言わない。むしろ、始まってからがつがつ食べるほうがよほどマナー違反である。
「殿下のお相手はやっぱりアーバイエ候かしらね。家柄は代々続く名家で、お年頃は殿下より五つくらい上だったけれど、まあお似合いではあるし」
「いえ、右府将軍のアストリアス様じゃないかしら」
「それなら前の将軍のほうがずっと美しい方だったけれどね……!」
「皆様、あまり大きい声でお話しにならないほうがよろしいと思いますよ。皇帝陛下のお耳に入ったらどんなことになるやら」
 そっと近づいてきた女性が囁いた。今まで笑いさざめていた貴婦人たちは慌てて―― しかし優雅に扇子を口許に当てて押し黙ってしまった。クライン宮廷で前右府将軍の事を話題に出すのは今ではタブーであった。気を取り直して、また最初に話を始めた貴婦人が喋り始めた。
「でも皆様、まだ陛下はご出座ではないみたいですわ。もう少しくらい喋っていてもよろしいのではないかしら」
「そうねえ」
 三人は顔を見合わせた。話を中断させた女性はいま流行りの方を大きく空けたドレスを着ていたが、その首には宝石の代わりに魔道師の祈り紐が幾重にもかかっていた。それでやっと、貴婦人たちにも彼女の正体が判ったのである。
「まあ、サビナ・シャルラではありませんか? 貴女がこんな所に来るなんて珍しいことですわね」
 小柄な女魔道師はにっこりと笑って一礼した。宮廷内に参上を許されている女魔道師は彼女一人しかいないので、貴婦人たちにもすぐ判ったのである。それに、最初に話し出した貴婦人はシャルラとは長い付き合いであった。
「お久しぶりです、ドムナ・イリア。ブライセ様は? 今日はご夫婦でいらしたのではないのですか? あれほど仲むつまじい貴女が」
「主人も来ていましてよ。でもあの方、女のお喋りにはとんと興味がないみたいですわ。そこでシサリー将軍と何か難しい話をしておいでだわ」
 ハデリ侯爵夫人イリアはにこやかに言った。彼女自身はクライン人ではなく、金色がかった肌と金髪、青い瞳のエーデル人である。話からずれてしまったので、彼女とともにいたランドバルゴ侯爵夫人エウラリアが話を元に戻した。
「サビナ・シャルラ、今日はどうしてこんな所にいらしたの? 貴女は大のダンス嫌いと聞いていましたのに」
「殿下のお相手になる光栄に浴する男性を一目見てみようと思いましたの。見ておいて損はございませんし、すぐ吉凶を占えますもの」
「貴女らしいわね」
 イリアはくすっと笑った。それまでずっと黙っていた三人目の侯爵夫人――アルター侯爵夫人イレイラはちょっと残念そうにつぶやいた。
「殿下ほどお美しい姫様なら、サライ将軍がいちばんお似合いだったか知れませんわね。あの方……」
「平民出身ですけれどね」
 エウラリアがひきとって続けた。シャルラは微笑みながら彼女たちの言葉を一言も聞き逃すまいと神経を集中していた。もともと宮廷の貴婦人たちにはその美貌や人当たりのよさで非常に好印象をもって知られていたサライであったから、その国外追放のよしを聞いて憤慨した貴婦人や未婚の姫君も多かったのである。うまく取り入って十二選帝侯夫人たちをはじめとする貴婦人たちから嘆願書を出せるところまで漕ぎ着けられないか、とレウカディアに相談を受けていたので、シャルラは上司であるレウカディアのためにも、また個人的に興味があるサライのためにも人知れず暗躍していたのである。
「あら。平民出身がなんだっておっしゃるのエウラリア。殿下と一時期婚約の噂があったナーディル公子の父君……ラトキアの大公だって、三十年前はエトルリアの一騎士だったっていうじゃあございませんか。生まれくらいはあの方の知性や美貌でおぎなって余りあるとわたくしは思いますけれど」
「確かに生まれながらの貴族ですわね、あの方は」
 シャルラは同意した。どうやらイリアが一番彼に肩入れしているらしい。エウラリアとイレイラはどう言ったものかと首を傾げた。
「イリア、わたくしもあの方は非常に……その……美しいし、毅然としていてとても良い方だとは思いますけれどね、でもやはり、ダネイン侯爵が後ろ盾とはいえ……彼に殿下のお相手に選ばれたとしてもそこまでは無理でしょうね」
 イレイラがためらいがちに言った。そしてそれはしごくもっともなことであった。
「そのダネイン候と養子縁組でもすれば話は別でしょうけれど」
 エウラリアの何気ない呟きに、イリアが嬉しそうに言った。
「貴女ってば素晴らしいことを思いつくのねエウラリア。そうねえ……サライ将軍がここにいらしたら、早速アリオン様にその事をお話しして、わたくし夫からも頼んでいましたのに……」
 その時、ざわめいていた広間が急に静まり返ったので、四人は皇帝が出座するのだと知った。

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