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 そして裁判は次に移った。
「これよりティフィリスのアインデッドに対する監禁、殺人未遂事件についての事実確認を執り行う。第一の証人、シェスのアト・シザルはこれへ」
 セシュス伯爵邸のお仕着せ姿のアトが進み出た。
 アトはまだカヴェドネに仕えつづけていて、今日はめっきり気落ちしたハルマーの公認で抜けてきていた。カヴェドネは兄がそのような罪で捕らえられたと聞いても、それほどショックを受けた様子もなく、いつかこうなるのではないかと思っていたと呟いただけだったので、彼女は驚いたものだった。
 証言に際しての宣誓を行い、アトの証言が始まった。
「何故あなたが、アインデッド殿が拉致された現場を目撃したのかを話してください」
「私はマナ・サーラの二十一日からセシュス伯爵のお屋敷で、妹姫のカヴェドネ様のお側仕えとして勤めております。二十二日はカヴェドネ様のお育てになっている花を一鉢、室内に入れるのを忘れておりまして、それを入れるために庭に出ておりました」
「庭で、何を見たのだ?」
 これは左から二人目の裁判官だった。
「セシュス伯爵が裏庭に馬車を停め、部下の男にアインデッドさんを運ばせているのを見ました」
「当日は月もなかったし、真夜中だったはずですが、どうしてあなたにはそれがセシュス伯で、運ばれているのがアインデッド殿だと判ったのですか?」
 これは左端の裁判官が尋ねた。
「最初は誰か判りませんでした。でも、落ちたペンダントが彼のものだったので。それから、セシュス伯爵だと判ったのは、声です」
「それは間違いなくセシュス伯爵だったのだね」
「はい。断言できます」
 アトは大きく頷いた。それから、同じくアインデッドの誘拐現場を目撃したクロタールが証言した。
「それがしは女王陛下の密命を受け、セシュス伯を一日中見張っておりました。二十二日の夜、マナ・サーラの刻を少し過ぎたころ、伯爵は覆面をした馬車を仕立てて太后宮警備隊の宿舎に向かいました。宿舎横に馬車を停め、通りがかった男を一人、馬車に連れ込んで屋敷に戻りました。
「その男はここにいる者か?」
「はい。ヌファールにかけて」
「では指してみよ」
 クロタールの指はまっすぐにアインデッドを指した。その質問をした裁判官は納得したように頷いた。
 さらに救出現場に居合わせた憲兵の証言が続き、サライがその時の状況を説明した。憲兵隊のやるべきことを勝手にやってしまったということに関しては、すでに沙汰は済んでいたので誰も何も言わなかった。
「地下に続く扉を見つけたのは偶然です。アインデッドが監禁されているのならば地下しかないと思いましたので、そこに入った次第です」
「そこで何を見たのか、詳しく説明してください」
 実際に拷問を受けたのは彼ではなかったが、サライは思い出すのも辛いというように眉を少しひそめた。
「アインデッドは天井から吊るされて、二人の男に鞭打たれていました。意識を失っているようでした。セシュス伯爵はその場でそれを眺めていました。私たちが入ってきたので伯爵は驚いたようです。そして、二人に私たちを始末しろ、と命じました」
「その二人の部下というのは」
 裁判官の言葉に、エコンヤが続けた。
「メルヌのオロ、並びにニルジェネのキールと申す傭兵、すでに捕らえられ獄中にございます。また全ての罪を認め、以前にも同じように伯爵の意にそまぬ者を拷問にかけ、なぶり殺したことがあると供述しております」
 エコンヤの言葉が終わるのを待って、サライはまた話しはじめた。
「その二人を私とアルドゥインが取り押さえましたところ、伯爵は地上へ逃げ出しました。アインデッドを助けるのが目的でしたので伯爵を追うことはいたしませんでした。地上に出ますと、すでに伯爵は捕らえられておりました」
 それでサライの話すべきことは終わった。セシュスがアインデッドにやったことについては相当に言いたいことがあったのだが、言い出したら止まらなくなると自分でも判っていたので、事実だけを語るように気をつけたのだ。
 最後の証言はアインデッド本人によるものだった。
「そなたがセシュス伯爵に誘拐されたとき、どのような状況であったか?」
「先にクロタール殿が証言されたとおり、宿舎横の道に停められている馬車の御者からセシュス伯爵がじきじきに尋ねたいことがある、と声を掛けられました。そこで馬車に近づいたところ、突然馬車の中に引きずり込まれて薬で眠らされました。ですからその後の事は覚えておりません」
「捕らえられてより後は」
「縛られて地下牢に入れられておりました。眠っておりましたし、地下でしたから、時間は定かではありません。セシュス伯爵が部下を二人連れて降りてきて、拷問部屋に連れていかれました。その前の誘拐事件の犯人が彼ではないかと疑っていたのでそう尋ねましたところ、王女殿下に薬を使って自分の言いなりにしてやるつもりだったのを俺……いや、私とアルドゥインに邪魔されたと罵られました」
 全員の目が思わずセシュスの方に向かった。彼は相変わらず憎々しげに証言台――アインデッドを睨みつけているばかりだった。アインデッドが少し言葉を途切らせたので、誰かが促した。
「それから?」
「私が喋りすぎたからか、伯爵は御者をやっていた男――キールと言いましたか、その男に、黙らせるように言って、鞭で打たせました。どう考えても伯爵が悪いではないかと言いましたところ、今度は伯爵自身が俺の頭を水に浸けて」
 淡々と彼が話す内容に、重い雰囲気がその場に流れた。ユーリなどは恐ろしそうに目をぎゅっと閉じて肩を抱いていた。
「それから、伯爵は朝見の時間があるので出かけるから、死なない程度に痛めつけろと命じて出ていきました。その時、すぐには殺さない、もう一人も一緒になぶり殺してやるというようなことを言っていました。それから数テルほど経ってから伯爵はまた戻ってきて、今度は鞭と……腕をねじられて吊るされました」
 思い出すと痛むのか、アインデッドは腕を交互にさすりながら言った。証言席の後ろに控えていたサライは、上座の貴族の誰かが、痛ましそうな視線を彼に向けているのに気がついた。
「途中で気を失いましたので、あと何をされたのかは知りません」
 そう締めくくって、アインデッドは席に戻った。
「被告の供述を始めます」
「言うことなど何もない」
 何を思っていたのか、セシュスはかみつくように言った。誰の質問に対しても、さっきと同じようにそれを繰り返すばかりであった。
 それから二十テルジンほど裁判官の貴族たちが審議の為に出てゆき、それが済むとまた戻ってきた。ナカルの手には、判決が書かれた羊皮紙があった。
「判決を言い渡します。全員、起立」
 ナカルが厳かに告げた。
「ソルトワ・セシュス。王女誘拐未遂および監禁、殺人未遂の罪で懲役二十年の刑に処す。ならびにそなたに与えられた名誉、役職、爵位は剥奪する。またアインデッド・イミルには五十万ルーナを賠償金として支払うことを命ずる」
「着席」
 廷吏が付け足し、全員ががたがたと座りなおした。立ったままのセシュスに、ナカルは言った。
「セシュス伯、反論や弁明があるなら言いなさい」
 ちょっとうなだれていたセシュスは、ぱっと振り仰ぐと、堰を切ったように罵りの言葉を投げつけた。
「……あなたがいけないんだ、陛下。私を王女の婿に決めないから、ああするしかなかったんだ。それに、ティフィリス人を痛めつけてやったのの、何がいけないと言うんだ。私の計画を邪魔した、汚らわしい赤毛を!」
「見苦しい真似はおよしなさい。そなたのやったことは誰に対したものであっても許されざる行為です。言いたいことはそれだけですか?」
 裁判が始まってから初めて、ナカルは厳しい声を出した。勢いに圧されたように、セシュスは黙りこくってしまった。憲兵が彼の肩に手を掛け、出て行くように促すと、彼は必要ないというようにそれを振り払った。引き立てられていく途中、アインデッドとセシュスの目が一瞬ぶつかりあった。笑うような声で、セシュスが言った。
「お前を殺せなかったのが残念だったな」
「………」
 アインデッドは何も言わずにただ見つめ返していた。憲兵に囲まれてセシュスが出ていってしまい、証人たちはユーリ以外、控え室に戻って帰ってもよろしいということになった。アインデッドたち四人は一緒にメルヌ城を出た。
「ご苦労さま、アイン」
 サライは、そっとアインデッドの肩を叩いた。あまり力を入れると痛がるかもしれなかったので、その手つきは慎重だった。アインデッドはちょっと息をついて肩を落とした。堅苦しい喋り方をしたので、疲れていたのだ。
「お前とアトは、これからどうするんだ?」
「まだ詳しいことは判らない。とりあえず護衛団としての仕事は二旬前になくなってしまっているからね。辞めていく人も多いけれど、まだ残っていて違う仕事をしている人もいるよ」
「私はカヴェドネ様付なので、多分仕事がなくなるということはないです。場合によってはカヴェドネ様が女伯爵になるかもしれませんし、そうなったらサライ様も引き続き護衛の仕事をなさるのでは」
「ふうん」
「それより、君のほうは?」
「ああ、昨日から正式に復帰した。それで隊長には出身のことも髪のことも全部ぶっちゃけた。本当はティフィリス人でしたって言ったら、隊長が目ぇまん丸にしてさ。でもまあ、辞めろとは言われてないし、明日が当番だからその時の状況次第になるかな。辞めるかどうかは」
 アインデッドはごく何でもないようなことのように言った。
 だがジャンに全てを打ち明けて、それで彼がアインデッドへの態度を変えてしまったら、太后宮警備を辞めてジャニュアを出るという決心を、アインデッドは前の日にアルドゥインに打ち明けていた。その決心に口出しするつもりはアルドゥインにはなかった。何もかも打ち明けて復帰するか、髪をまた染めてから戻るか、アインデッドはとても悩んでいた。その上で決めたことなら尊重しようと考えていた。
「クビになったらどこに行くんだよ、サライは」
「いや……考えてないな。アルドゥインはこのままここでの仕事を続けるつもり?」
「一応契約が二ヶ月だから、エレミルの月になったら出ていくかな。沿海州を出たついでだから、今度は大陸を回ってみようかと思ってるんだ。アインデッドと一緒に」
 本当は、場合によっては明日そうするということもありえるのだが、それはまだ伏せておいた。大陸を回る、と聞いてサライは目をちょっと瞬かせた。そして、いつになく弾んだ声で言った。
「私も誘ってほしいな。君たちと一緒だと本当に楽しいから」
「おい、これ以上説教してくれるつもりかよ!」
 アインデッドはたまりかねたような声を上げた。

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