前へ  次へ
     アティアの創造の始めより生まれ出でしものに大
     地あり。大地を司りしはマナ・サーラなり。そは
     アティアの娘にして恵み深き恩恵の母、命を育み
     し慈悲の母なり。これを以てマナ・サーラを森女
     神、大地母神と称す。
                    ――マナ・サーラ神殿頌





    第四楽章 ジャニュアの奏鳴曲




 セシュス伯爵の最初の公判は、聴取や取り調べなどはともかく、アインデッドの回復を待って行われたので、逮捕から二旬日が経ったアティアの月の十三日から始まった。貴族の裁判、それも国家反逆罪にも等しい犯罪の裁判であったので、公開はされず、王城内の秘密法廷で秘密裡に始まった。
 傍聴人のたぐいは一切入れられず、裁判官に任命された数名の貴族と女王、証人たち、憲兵と被告、そして進行役の廷吏だけがその場にいる全員だった。証人たちが最初に入り、続いて被告が憲兵に引かれて入り、最後に裁判官たちが入室した。
 裁判官の入室と同時に全員が起立し、一礼する。
「被告ソルトワ・セシュス。そなたはかかるマナ・サーラの月の二十日、薬を以て操らんとする目的でジャニュア王女ユーリ殿下を拉致しようとし、これに失敗した。また同月二十二日、拉致を阻止したティフィリスのアインデッドなる傭兵を拉致し、これを拷問にかけ、殺そうとした。相違ないな」
「知らぬ」
 罪状の読みあげをした廷吏に向かい、セシュスは倣岸に言い放った。あるいはそれは、彼の精一杯の虚勢だったのかもしれない。法廷にあてられていたのは、以前アルドゥインとサライが呼び出された小謁見室だった。
 椅子は全て周りに取り片付けられ、中央に被告人席として、柵で囲われた一角が設けられている。セシュスはそこに、憲兵に左右を固められながら座っていた。上座には女王を中心にして宰相と他五名の貴族、計七人が並んで着席している。
 上座から見て被告人席の左に証言台がもうけられている。証言台のやや後ろには、証人たちが並んで座っていた。アインデッドたち四人と、憲兵のクロタール、ユーリ王女と侍女のカトレアヌとメリディーヌがその顔ぶれであった。ただし、ユーリは証人だったが身分の関係で彼らとは離れたところで憲兵たちに守られていた。
 室内は窓を閉め切り、重苦しくカーテンを引き巡らせてあったので、昼間だったにもかかわらず夜のように燭台に蝋燭がともされ、薄暗い。いかにも秘密めいた雰囲気がただよっていた。
「では王女誘拐未遂の件から事実確認を開始する。第一の証人、アスキアのアルドゥイン。こちらに参れ」
「はい」
 きびきびとした動作で証言台の前にアルドゥインが立った。彼は今のところの正装である、太后宮警備隊の制服を身にまとっていた。あいかわらず物怖じをしない男だと、ナカルは思った。
「そなたはアスキアのアルドゥインに相違ないな」
「はい」
「今から証言すること、質問への答えに偽りの無いことをここに誓うように」
 アルドゥインは片手を目の前にまっすぐ挙げて、宣誓の言葉を述べた。
「私、アルドゥインは、何事も包み隠さず真実を語り、嘘偽りを言わぬことを正義の神ヌファールにかけて誓います」
「では先月十九日の夜の出来事を話しなさい」
「あの日私は、仲間と――そこのアインデッドと共に酒場に行きました。たしか時間は、夕飯の後だったのでマナ・サーラの刻あたりです。そこを出たのはエレミルの刻を少し過ぎたくらいの時です」
「どうしてその時間だと判るのです」
 ナカルが尋ねた。
「エレミルの一点鐘を聞いて、そろそろ宿に戻ろうと思ったからです。続けてよろしいでしょうか」
 うなずいてそれを認めると、アルドゥインはまた話し出した。
「それから宿に戻る途中――噴水のある広場に出る道を通りました。そこで、ユーリ殿下とすれ違いました。そのまま行き過ぎようとしたときにユーリ殿下が数人の男たちに囲まれ、さらわれそうになるのを見ました。それで、誘拐は見過ごせないと思い、お助けした次第です」
 その証言は、噴水広場で身元不明の男が二人死体で、傭兵だという一人は気絶したまま見つかったという事件があったことで裏付けられていた。最初は喧嘩でもして殺しが起こったのだろうということで牢につながれていたその男をこの事件が明るみになってから問い詰めたところ、セシュス伯爵に雇われていたということが判明していた。
「その時、アインデッドはユーリ殿下から殿下の腕輪を拝領いたしました」
 ユーリが与えた腕輪は今アトの手元にある。それはナカルもすでに聞き知っていたが、わざわざその腕輪を出させずとも裏づけが取れているのでその労は取らなかった。続いてアインデッドがもう一人の証人として証言台に立った。
「第二の証人、アインデッド・イミルはこれへ」
「はい」
 硬い声が返り、若い男が証言台の前に進み出た。左右に燭台が置かれていたので、今まで暗がりにあったその姿があらわになった。この時初めて、ナカルはアインデッドを間近に見た。そして、声もなく驚いた。
(リューンに似ている……疑いようもなく彼はリューンの息子なのだわ)
 髪はもう染めていなかったので、血のように鮮やかな赤がまず目を引いた。背はすらりと高く、ほっそりとしてやや華奢な印象を与える。薄闇の中では黒ずんで見える瞳は《マナ・サーラの涙》に似た深い緑色だった。
(これで、髪の色さえ違うなら……ユーリが兄とたとえるのも無理はない)
 アインデッドの姿を見て、裁判官の皆がはっと息を呑む雰囲気がナカルにも伝わってきた。彼はアルドゥインと同じように、警備隊の制服を着ていた。それが見慣れたものだっただけに、明らかに異国人の彼が着ているのは不思議な違和感をもって感じられた。
 アインデッドは係の憲兵が示した椅子に座った。拷問で腕の関節を傷めたと聞いたが、動かそうとすると少し不自由そうな様子が残っていた。まだ完治はしていないのだろう。それでもきちんと座り、上座をまっすぐに見た。アルドゥインと同じように恐れ気のない瞳だった。彼がティフィリス人であることを隠さずこの場に出てきているということだけでも、賞賛に値する勇気であった。
「そなたはティフィリスのアインデッドに相違ないな」
「はい」
「宣誓を」
「はい。……私、アインデッド・イミルは、何事も、包み隠さず……真実を語り、ええと……嘘偽りを言わぬ、ことを正義の神ヌファールにかけて誓います」
 アインデッドは立ち上がって、ところどころつっかえながら、それでもちゃんと決まり文句の誓いを述べて、ちょっと決まり悪そうに座りなおした。ちゃんと練習したのにな、とでも言いたそうな顔であった。
「先月十九日の出来事について話しなさい」
「それについては、詳細も含めて先にアルドゥインが申し上げたとおりです。付け加えるならば、王女殿下を誘拐しようとしていた男たちの頭は《伯爵》と呼ばれておりました。また、俺は二十一日にメルヌ市内においてユーリ殿下にもう一度お目にかかりました。その際殿下から何者かに以前から付け狙われていること、それが殿下との婚姻目的であることを拝聴いたしました」
「君はその『何者か』の名を明確に聞きましたか」
 一番右端にいる貴族が質問した。
「はい。しかしながら、苗字まで知ると危険にさらされるかもしれないとの殿下のお気遣いがありましたので、その時点では名のみを聞きました」
「それは、何ですか」
「ソルトワ、と」
 アインデッドはきっぱりと答えた。
「ありがとう」
「他に質問は」
 誰も挙手しなかったので、廷吏は元の席に戻るように言った。証人席に座ると、アインデッドは詰めていた息をほっと吐き出した。いつも図太い彼であったが、けっこう緊張したのだ。
「上出来」
 アルドゥインはこっそりとささやいた。ちらっと彼を見上げて、アインデッドは少し笑うように口許を吊り上げた。
 次の証人として、ユーリが立った。
「わたくしはマナ・サーラの十九日、夜のエレミルの刻、メルヌ市内の噴水通りを歩いておりました。当時カトレアヌとメリディーヌが供についておりましたが、思うところがございましたのでわたくしは二人と離れておりました」
「思うところとは何でしょうか」
 この質問は宰相からのものだった。ユーリは軽く頷くようなしぐさをした。
「わたくしを以前から付け回していた者たちが、何を目的としているのか、また何者なのかを知るためです」
「それが危険だとは思わなかったのですか」
 思わず、ナカルは母親に戻って詰問した。それは充分予想されていたことだったらしく、ユーリは毅然と顔を上げて話し続けた。
「思いました。ですが後をつけられているということに確信はございませんでしたし、女王陛下に訴え出るための証拠が必要だと考えたのです」
「続けてください、殿下」
 宰相が促した。
「噴水広場にさしかかりましたとき、覆面をした男たちが数人でわたくしを取り囲み、その一人がわたくしをかどわかそうといたしました。わたくしは気絶させられましたのでその間のことは存じませんが、意識を取り戻しましたときには男たちは逃げ去り、アインデッドさまとアルドゥインさまがわたくしを介抱してくださっておりました。遅れてカトレアヌとメリディーヌがその場に駆けつけました。そこでお二人には腕輪を差し上げ、王宮へ戻りました」
 ユーリは、それが誰であったのかという私見は述べなかった。誰に率いられていたのかは裁判官の判断するところであった。最後にメリディーヌとカトレアヌが二人で、ユーリの証言を裏付ける証言を行った。
「ではこれより被告の供述を始める。被告は何か反論すべきことがあるならば言うように。また、全ての質問に関し、黙秘は認めるが真実を述べるように」
 貴族である彼に命じるように言う廷吏に、セシュスは睨むような眼差しを向けたが、黙ったままであった。
「では尋ねますがセシュス伯、先月十九日の夜、あなたはどこで何をしていましたか」
 右端から二人目の裁判官が言った。恐らくセシュスよりも高位の貴族であったはずだが、彼は横柄な態度を改めなかった。それはある意味立派といえた。
「そんな昔のことは覚えていない。おぼえているはずがない」
「それでは、殿下の誘拐を企むような貴族に心当たりはありますか」
 セシュスはばかにしたようにふんと鼻を鳴らした。
「私の知ったことではない。王女殿下を襲った男が誰であれ、それは私には関係のないことだ。そやつが私の名を出したというのなら、そやつは嘘をついているのだ」
(俺の腕に傷を付けてくれたのはどこのどいつだよ)
 アインデッドはつい声を出しかけて、ぐっとそれを飲み込んだ。おかげで変な顔をしてしまった。セシュスは全ての質問に対して覚えていないの一点張りで通し、王女誘拐未遂の件に関しては容疑を否認した。

前へ  次へ
inserted by FC2 system