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                                *



 歩きながら、サライは説明した。
「今、憲兵隊が伯爵を探して邸内に入った。多分アインデッドが発見されるのも時間の問題だろう」
「伯爵なら、西の対に入ってきたのを私見ました。だから東の対にはいないはずです。アインデッドさんが閉じ込められているところを探そうと思っていたんですが、ハル婆がどこからか現れるものですから、できなくて」
「ハル婆?」
 アルドゥインが変な声を出した。さっきの怖い顔のおばさんのことだとすぐに判り、ますます変な顔をした。サライは、彼とは別の言葉にひっかかるものを感じて足を止めた。二人ともそれにつられて足を止める。
「アト、セシュス伯爵が西の対に入ったのはいつ?」
「城から戻ってきてすぐでしたから――エレミルの刻をいくつも過ぎていないころでした。昨日裏口から入ってきたのを見ていたので、裏に気をつけていたんです。それで、まだ出てきたところを見ていませんから、多分まだ西側にいるのだと思います」
 アトははきはきと答えた。サライは何かを思うようにちょっと下唇を噛んだ。
「アト、君の見解ではどうなんだ。アインデッドが監禁されている場所は」
「ここにはアインデッドさん――というより、人を誰にも判らないように閉じ込めておける場所はありません。ですから、地下にそういった部屋なり牢なりがかくされているんじゃないかと」
「そこにセシュス伯爵が入っていった、というんだね」
「確信はありませんが、多分」
 自信なさげにアトは首を傾げたが、サライにはそれで充分だった。アルドゥインにも、サライの考えていることはだいたい判った。
「セシュスはまだしばらく見つからねえってことだな。しかもアインを閉じ込めた場所にいるって可能性がいちばん高い」
「アインが心配だ」
 サライは呟いた。そんな厳しい顔のサライを、アルドゥインは初めて見た。アトにとってそれは初めてのものではなかったが、しかし久々に見る右府将軍、精鋭軍隊長としての彼の表情だった。
「その場所の見当はついてる?」
「はい。ほんとうに大体といった所ですが」
「案内してくれ」
「はい」
 答えを返すと同時にアトは踵を返した。そういう所は女騎士として、サライの部下として約一年鍛えられただけのことはあり、無駄がなかった。アルドゥインはこれにもこっそりと舌を巻いた。
 しばらく廊下を右に左に曲がって進み、裏口に近いところで三人は止まった。アトは申し訳無さそうにサライを振り返った。
「このあたりで見失ってしまいました。何しろあの人がうるさいものですから」
「判るよ。ここまで探っただけでも勲章ものだろう」
 あの人というのは言わずもがなであったので、サライはあっさりとしていた。とはいえ場所は漠然としすぎていて、どこをどうやって探したらいいものやら判ったものではなかった。サライは悔しそうに眉をひそめた。
「……しかし、どうやって探そう。いちいち扉を開けて確認するしか無いだろうが、時間が惜しい」
「何とかなるかもしれないぜ」
「え?」
 振り向くと、アルドゥインはかくしからアインデッドのペンダントを取り出した。
「ちょっと待ってろ」
 アルドゥインは左手の中指に鎖をかけてペンダントを垂らすと、ちょっと手を前に差し出した。口の中でぶつぶつと呟いているのは、どうやら神聖古代語の呪文であった。集中するように緑玉を見つめたまま暫くじっと立っていると、ペンダントの緑玉が左右に揺れ始めた。その揺れを確かめながら、アルドゥインはゆっくりと歩きはじめた。サライとアトはその後ろに続いた。
 彼らの左右にある扉の前でペンダントの揺れを確認していると、ある扉の前で急に揺れがぴたりと止まり、それからぐるぐると円を描くように回りはじめた。それを確認して、アルドゥインはもう一度呪文を唱えてペンダントをしまいこんだ。
「ここだ」
「すごいな」
「魔道の初歩だよ。あんまり褒めんなよ。何も出てきやしないから」
 アルドゥインは事も無げに言い、扉に手をかけた。予想に反して鍵はかかっていなかった。三人は急いで、しかし気をつけながら室内に足を踏み入れた。しかし部屋には誰もおらず、もう一つの扉が、隣の部屋との境になる壁に不自然に作りつけられていた。誰も言葉を発さなかったが、そこが地下への入口だというのは容易に知れた。
「これだな。……どうする。今からひとっ走りして憲兵にここを教えるか、それとも……」
 アルドゥインが最後まで言い終えることはなかった。その結論をサライは既に出していたからだ。
「我が守護たる精霊よ、我に《アティア》の力を貸したまえ」
 扉に押し当てたアトの両手がぼんやりと青く光り、光に触れた部分が泡のように溶け消えていく。しばらくすると、音を立てることもなく鍵の部分が無くなり、扉を開けることができた。アトのスペルを初めて目の当たりにして、アルドゥインはまた彼女に対する見方を少し変えた。
(思ったよりすげえじゃねえか、この子)
「やはり、地下に続いているみたいだ」
 扉の向こうをちょっと覗いて、サライは呟いた。彼に続いてアト、アルドゥインと並んで入っていく。中は身長二バール近いアルドゥインが楽々通れるほどの高さがあり、石の階段が整えられていた。壁に直接取り付けられた油の灯がともっていたので、ぼんやりとだが周りを見回すことができる。
「暗いな……」
「多分、他に灯を持って入るんだろう」
 アルドゥインの呟きにサライは答えて、自分のスペルの誓句を唱えた。太陽のそれに近い色合いの光が彼の掌の上で鬼火のように揺れた。その光のおかげで、三人はだいぶ足元がはっきりした。急いで、しかし音をあまり立てないように気をつけながら階段を降りていった。
 十バールほど降りた、とみたところで、通路は平坦なものに変わった。足元を照らす必要も無くなったとみてサライは光を消した。また元の薄暗さに戻ってしまった通路で、その暗さに慣れるまで少し待った。
 誰も、一言も発さない中で、何か小さな声のようなくぐもった音が三人の耳に届いた。かれらは顔を見合わせて、もう一度耳を澄ませた。確かに、人の声のような響きの音が奥からかすかに吹いてくる湿った黴臭い空気に乗って聞こえている。
「人の声……ですよね」
 アトがかすかなささやき声で確認を求めた。
「アインの声かもしれない」
 アルドゥインがそれに答えた。
「急ごう」
 サライがまた先頭に立って歩きはじめた。彼らの右側には、牢の鉄格子が続いていた。その中を覗いていったが、岩をくり抜いただけの寝台のようなものがあるばかりで、人が入っているものは一つもなかった。そして、五つ目の牢の隣に、扉を備えた普通の部屋があるのを見つけた。
「気をつけろよ」
 後ろから、アルドゥインがささやいた。サライは頷いて扉の把手に手をかけた。そして心の中で掛け声をかけた。
 勢いをつけて扉を開けた瞬間、アトが悲鳴を上げた。この薄暗い中でも、彼女の顔が血の気を失って真っ青になってしまっているのがよく判った。部屋のほぼ中央にいた三人組はぎょっとしたように振り返った。一人は間違いなくセシュス伯爵その人であり、残る小男と大男は名前こそ知らなかったが、アトが昨日目撃した男たちであった。
 キールとオロはそれぞれ手に得物の鞭を持っており、彼らに囲まれて責めを受けていたのはアインデッドだった。腕を不自然な形に捻じり上げて吊るされ、髪も乱れたまま頭をぐったりと垂れている。一目で彼が気を失っているというのが判った。
「何をしているオロ、キール! 外に出られてはまずい。始末しろ!」
 セシュスが叫んだ。はっと気がついたようにキールがアトに飛び掛かった。少女の彼女なら手ごわくないと考えたのだろう。オロは一番手前にいたサライに鞭を振り上げた。それはよくしなる革の鞭だった。
 サライは鞭を腕で受け止めた。勢い余って巻きついたそれを捕らえて、空いた右手で剣を鞘ごと下げ緒から抜き放ち、オロの顎下を思い切り突き上げた。ふらふらとよろめいた所に、さらにもう一撃、今度はみぞおちに強烈な突きを食らわせた。
「きゃああっ!」
 足首まであるスカートをはいていたので、いつものとおりに動くことができず、アトは後ろに下がろうとして倒れかけた。得たりとばかりにキールが腰のナイフを抜いた。その切っ先はアトの顔をかすめ、後方にはね飛ばされた。アルドゥインの靴がその手首を蹴り上げ、ついで上げたその脚で今度は横蹴りが首を直撃した。
 うめき声をたてる暇もなく、キールの体が吹っ飛ばされ、壁にぶつかってそこに倒れた。それとほとんど同時に、オロの巨体がその場に崩れ落ちた。あっと言う間に二人の手下をやられ、セシュスはうろたえたように後ずさった。
「伯爵殿下、いったいどういう事か、ご説明いただきましょうか」
 サライが慇懃に言った。しかし、その瞳は暗がりの中で冷たい金色に光っていた。
「っ……どけっ!」
 セシュスはさらに二、三歩後ろに下がると、やにわに三人を押し退けて走り出した。後ろを追おうかと、アトは通路に出たが、セシュスが走っていったのは階段のある方だったので追跡するのはやめた。どちらにしろ上には憲兵がおり、彼が捕まるのは時間の問題だった。
 その間に、サライとアルドゥインはアインデッドの体を引き下ろして、縄目を解いていた。彼の喉元に手を当てて、サライはほっと息をついた。
「よかった、生きてる」
「早く戻ろう」
 ほとんど服を剥ぎ取られてしまっていたので、サライは自分の上着をアインデッドの体に着せかけ、アルドゥインが抱き上げた。彼らは無言のまま、階段を上っていった。もうほとんど上り終えて、もう少しで出入口になるというところで、そこで何人かが待っているのが見えた。
「止まれ! お前たちは……」
 セシュスの手下たちが出てきたと勘違いしたのか、左右から交差させた憲兵の剣がいきなり行く手を遮ったが、抱えられているのが傷だらけの男だということに気がついて、さっと剣が下げられた。
「この下に、部下のものが二人残っています」
 サライはそこにいた憲兵に告げた。アルドゥインが苛立ったように叫んだ。
「それより、医者だよ、医者! 早く呼んできてくれ!」
 慌ててばたばたと一人が駆け出していき、入口をかためていた二人が中に入っていった。その場にいる憲兵はそれで三人になった。そこにセシュスの姿が見えなかったので、サライは隣の憲兵に尋ねた。
「セシュス伯爵は?」
「お前たちが出てくる少し前に、そこで取り押さえられた。して、お前たちは何だ」
「彼の友人です。行き過ぎた事をしたのは深く反省いたします」
 サライはアルドゥインに抱えられたままのアインデッドをちょっと振り返った。明るい日差しの中で見ると、上着のかかっていない所から、肌に生々しい傷が縦横に走っているのがはっきりと見えた。
 憲兵は納得しかねたようだったが、とりあえず彼らはセシュスの仲間ではないと判断したらしくそれ以上の質問はしなかった。しばらくすると、二人の憲兵に引き立てられたキールとオロが現れた。彼らと話をしていた憲兵が顎をしゃくると、そのまま部屋から連れ出されていった。人払いがされているのか、見物に来る野次馬もいない。おそらく、ハルマーが厳重に見張っているのだろう。
「医師を呼んでまいりました」
 ついでに担架と、それを運ぶための要員をもう一人連れていた。アインデッドはすぐさま担架に移された。
「お前たちからも事情を訊かねばならん。ついてまいれ」
 何も後ろめたいことはなかったので、三人は彼の後ろに従った。

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