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                                *



 王宮を出て、サライはアルドゥインと警備隊宿舎に向かった。昨日アインデッドと出掛けていたところを目撃されているかもしれないということから危険を感じていたので、今からセシュス伯爵邸に戻る気にはなれなかった。それにアルドゥインも、アインデッドと二人でユーリ姫を助け出したのであるから、セシュスに狙われている可能性が高く、単独行動はどちらも控えたほうがよさそうだった。
 それで、アルドゥインの所で事件が解決されるのを待とうということになったのである。アインデッドがいないので宿舎のベッドは空いていたし、二人ともそれについては異存はなかった。
 ナカルはセシュス伯爵に対する捜査をすぐに始めると言っていたが、それでもアインデッドが救出されるのはいつになるのか判らなかった。
 だがこのまま宿舎でずっと待ちつづけているのも気が重かったので、どちらからともなく外に出て、二人はアインデッドについての疑念を抱かせるきっかけとなったスルーシ廟近くの公園にいた。そこは小さめの広場になっていて、切り出したままの石がベンチ代わりに置いてあり、また周りには花壇や生垣が作られているというなかなか小ぢんまりしてかわいらしい公園であった。
 そのベンチに二人並んで腰掛け、アルドゥインはちょっと上を仰いだ。
「なあサライ、ナカル陛下が別れ際に言ってたアレは何なんだ。宮廷に入らないかってさ。お前さんがそこまでの大人物だったとは知らなかったよ」
「嘘は、言わなかったよ」
「――ああ、皇帝の不興をかって国を追われたってやつな。そういえばサライって名前には聞き覚えがあったな。騎士か何かだと思ってたら、右府将軍そのひとだったなんて、驚きだぜ」
「隠すつもりはなかったんだ」
 サライはしおらしく言った。
「わざわざ言うことでもなかったし、国を追われている今となってはそんなことどうだっていいことだったから」
「まあ、俺としちゃあ別にお前がどっかの王様だったとしても別にかまやしねえけど」
 陽気にそう言い放ち、アルドゥインは長い脚を組んだ。
「それにしても、アインデッドが王子様だったなんてな。世の中何か大きく間違ってるって気がするぜ」
「一生口外しないって誓っただろう」
 サライの言葉に、アルドゥインは屁理屈みたいなことを返した。
「お前はもう知ってるからいいんだよ。それより、ナカル女王はアインデッドを王族と認めないって結論、いやにあっさり出しすぎたと思わねえか?」
「うん……。まあね。でも仕方ないことかもしれない、今の国民感情を考えれば。アインの血の半分は紛れもなくティフィリスなんだ。いくら国交が復活したといっても、いきなり王族としてティフィリスの血を引いた彼を認めるなんてこと、たいていの国民にはできないだろう」
「判るには判るが、それも何だかな」
 アルドゥインはまだ納得できないような顔をした。
「国民感情がどうのというより、あの状況でアインデッドを王族と認めたら、ユーリ姫のお気持ちも考えてあいつを婚約者にするって方向で動くから、なんだろうな。俺にとっちゃ、冷戦がどうのなんてばかばかしいことだけど」
 アルドゥインと同様、他の民族と憎みあうことなど経験したこともないサライは、曖昧に微笑んだ。
「でももしアインデッドとユーリ殿下が結婚したら、どんな子供が生まれるんだろうね。赤い髪になったりするのかな」
「何かイヤな話だな、それは」
 アルドゥインはわざとらしく顔をしかめてみせた。だが話題自体は流さずそのまま会話を続けた。
「サライ、お前こういう話知ってるか? 沿海州だとな、薄い色の髪と青い瞳の親と、黒い目の親の間に生まれた子供はたいてい黒目に黒髪になる。だけど、そういう混血児同士の夫婦に子供が生まれると、その子供が青い目と薄い色の髪になることがあるんだよ」
「へえ、それは知らなかったな」
 素直に彼は感心した。そういった遺伝学というものは一般にはあまり知られていないことだったし、人口流入が少なく、混血児を見かけることも少ないクラインでは、経験的な知識としても普及していなかったのだ。
「俺も詳しいことは知らんが、生き物の中にはその特徴を決める要素がいくつかあるんだと。目の色とか、髪の色とかな。で、親から引き継いだ要素全てが出てくるわけじゃなくて、中には現れないまま次の世代に引き継ぐものがあるんだと。ほら。親父には似てないけど祖父さんに似てる、みたいな」
「それで……?」
「だから、クライン系の血を少しずつ引いてる二人がくっつけば、クライン人に似た特徴を持つ子供が生まれてもおかしくないってことさ。たとえば黒髪黒目とか」
 サライはちょっと考えて、言った。
「なら、ジャニュア人らしい肌色の子供が生まれることもあるね。二人とも肌が白いから白い肌の子供になるんだろうけど」
「そうだな。お前、計算できるか。何分の一ってやつ」
「?」
 サライは本格的に首を傾げた。
「判らないならいいさ。他の説明するから」
 できることを期待していたわけではなかったらしく、アルドゥインはそのことにはそれ以上言及しなかった。
「えーと、アインデッドは両親とも肌色が薄くて、ユーリ殿下は父君だけが色白だよな」
「うん」
「てことはだ。二人とも色白に生まれる要素の方が多いってことだ。だから二人の子供はまず間違いなく色白……」
 そこまで言いかけて、アルドゥインはふと言葉を途切れさせた。何かを思うような色がその顔に浮かぶ。
「どうしたんだい、アルドゥイン?」
「いや……大したことじゃねえかもしれないんだが……」
 歯切れの悪い言葉に、サライはよけいに不信感を抱いた。
「なに? 大したことじゃないなら話してくれないか」
 アルドゥインは困ったようにサライを見た。だがこちらを見ている彼の目が沈黙を許してくれなさそうだと見て、ため息をついた。
「ちょっと、急に気になったことがな」
「何が」
「前からアインの奴はティフィリス人にしてもやたら色の白いやつだと思ってたんだ。お前と比べたってそんなに変わらない」
「それは私も思った事がある」
 サライは頷いた。
「クライン系の血のせいなんだろうな、あれは」
「だろうね。でもそれが何か?」
「同じクライン系の血を引いているのに、ユーリ殿下はアインほど色白じゃねえ。あれはクライン系の白さじゃない。前から気にはなってたけど……アインと比べて見て思ったよ。あの肌色はどっちかといえばティフィリス系だ」
「変なことを言わないでくれないか、アルドゥイン」
 サライは苦笑した。苦笑に紛らわせようとした。
「日に焼けただけなんじゃないかな。それとも、ご両親の特徴が少しずつ混じり合ってるだけとか」
「クライン人はそんなに日焼けしねえはずだぜ? それに、同じ混血だけどアインデッドは抜けるぐらい白いじゃねえか」
「………」
 アルドゥインの反駁に、サライは何も言い返せなかった。
「だいたい、色白の両親から生まれたアインデッドが色白だってのは納得できるが、母親が生粋のジャニュア人で父親は混血なのにユーリ殿下が妙に色白ってのも引っかかる。ナカル陛下からユーリ殿下が生まれたのは間違いないことだろう。なのに姫がジャニュア系でもなく、クライン系でもない肌色をしてるってことは、もしかしたら……」
「それ以上は言わないでいいよ、アルドゥイン」
 サライは遮った。そしてふと、奇妙なことを思い出した。
(とはいえ娘とは三つしか違わないな――)
(身分も国も違ったのでね。別れざるをえなかった――)
 長くまっすぐな髪のナカル。柔らかく波打つマナ・サーリアの髪と、ユーリの髪。不自然なユーリの肌色。全て他愛も無い共通項だ。単なる偶然で済ませられる程度の。だが、不思議に心に引っかかる。
「……私も、君の仮説を信じてしまうかもしれないから」
 昼の明るい日差しの中で、透けるほど白いサライの顔がすうっと青ざめるのをアルドゥインは見ていた。
「アルドゥイン、……ティフィリス人のマナ・サーリア・ラティン将軍がセルシャ使節としてジャニュアを訪れたのをきっかけに、国交が回復しはじめた……。その次の年だよ。ユーリ殿下が生まれたのは」
「おい、サライ」
 アルドゥインはぞっとしたように言った。自分の作った仮説がそんな形で裏付けられるのは彼にしろ恐ろしかったのだ。そして、決定的だが囁くような小さな声。
「もしかしたら、マナ・サーリアが……」
「嘘だろ……」
 その時、一陣の風が花弁を吹き散らした。
「マナ・サーリア自身が言っていたんだ。自分には昔愛していた女性がいて、娘が生まれたと。その女性とは身分も国も違ったから別れざるを得なかった、娘は母親に似ていると。その娘は今十四歳だと言っていたから、年齢は合う」
 何ということもなく、サライは足元の土を爪先で掻いた。自分自身がかつてティフィリス人の男性を愛したからこそ、ナカルはアインデッドがティフィリス人の血を引いたジャニュア人ではないかとすぐに疑ったのだ。そして彼が従姉の息子だと知ったとき、どれほどの衝撃を彼女は感じたのだろうか。
(歴史は繰り返すとはいうけれど――。同じ王家の女性が、同じように異国の人を愛するだなんて……それが国と国の関係すら変えてしまうなんて)
「これは、俺たちの胸の中だけにしまっておいたほうがいいんだろうな」
 アルドゥインがぽつりと呟いた。サライは無言のまま彼を見つめた。
「王族っていうのはだから……」
「え?」
「いや、何でもない」
 言いかけた言葉を打ち捨てるように、アルドゥインは首を振った。それから、勢いよく立ち上がった。
「昼飯を食いに行こうぜ。――何にしろ生きてるかぎりは腹が減るんだからな。そうしたらセシュス伯爵邸に行って、アトさんを連れて出よう。彼女だって安全とは言えねえだろうから」
「君の言うとおりだ」
 サライは彼の後について立ち上がった。

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