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     かの伯爵の王家に対するたくらみは
     近年かつてないものであった。
     それはジャニュア王家に対するのみならず
     伯爵にとって思いもかけぬ形で
     もう一つの王家に対する罪となったのである。
     しかしこの時、その当人でさえもその事を知らず、
     知るものもそれを隠したのであった。
                 ――ジャニュア年代記




     第四楽章 メルヌの走舞曲




 次の日の朝アティアの刻が、朝見の時間であった。王宮に非常に近いところに屋敷を構えているにもかかわらず、セシュス伯爵の護衛団はその二テルも前から練兵を行い、一テル前には出立準備が整っていた。朝早いのには慣れていたのでサライにはそれほど苦でもなかったが、朝見はほぼ毎日のことであるし、何をそんなに気合を入れるのだろう、という疑問は解決されじまいであった。
「うちの伯爵は、女王様の気に入られたいんだよ。ユーリ姫の花婿候補にあがりたいものだからね」
 その疑問に答えてくれたのはやはりルーイであった。
「なるほど。それで、少しでも好印象をもたせたい、というわけか」
「そういうこと」
 王宮までの短い道程の間、ルーイとサライはまたとりとめのない話をいくつかした。昨日神殿で出会ったユーリ姫が、喫茶店でアインデッドと話をしていた少女なのではないか、という疑問はまだ解けていなかったが、ルーイから聞いた話では、どうやらセシュス伯爵はユーリ王女の婚約者になりたいがために色々と裏工作やら、積極的アプローチを繰り返したりしているらしい。しかしナカル女王自身にはまだ娘の婚約者を決めるつもりは無いとのことだった。
 その話を総合してみると、やはりアインデッドとアルドゥインが助けた少女はユーリ姫に他ならず、それを襲った《伯爵》はセシュス伯爵に間違いないように思われた。
(とすれば、やはり《ユーリ》は王女で、《伯爵》はセシュス伯爵ということか? ユーリ王女を狙ったのは、自分と婚約しなければ命も狙う、というようなことを彼女に思い知らせるためか、それとも傷物にして、それをもらってやる、というような形を作るためか……。ユーリ姫はお忍びで街を歩いている女王に知られたくないだろうから、それを絶対に打ち明けないだろうという確信があるのに違いない)
 自分が一時ではあれ仕えることになった相手をとやかく詮索したりするつもりはあまりなかったのだが、しかし悪い相手に仕えてしまったのではないかという困惑にも似た思いが彼の胸に広がったのは確かだった。
 謁見の間に入るのは貴族だけであり、護衛団のような身辺付のものは、側仕えの二、三人を残して全て、控えの間で待機ということになる。新入りであるサライは当然の如く、控え組のほうに入っていた。
 外から見た王城も美しかったが、中もそれに負けず劣らず美しい装飾が施されていた。ジャニュア・ブルーが単調になりがちなそれに起伏を与えていた。
 団長のユジェーヌからの命令によれば、朝見は二テルはかかるということであったので、その間は各自城内で待機ということであった。
「サライ、もう一人の友達を紹介してくれる約束だったよな。今から行かないか?」
 お歴々たちが次々と謁見の間に入ってゆき、控えの間がその従者たちで一杯になり、そして広間の扉が閉められたのを待ちかねたように、ルーイがはしゃいだ声で言った。
「でもルーイ、僕らはここで待機ということなんじゃなかったっけ……」
「何言ってるのさ。ここで二テル、真面目に待ってる奴なんてほとんどいないよ。大体待っていたって何の得があるというわけでもないんだからね。皆外に行ってしまうよ」
 ルーイの言葉は果して真実であった。扉が閉められたのを待って、待機中ということになるはずの従者たちはそれぞれお喋りをしたりしながら、控えの間を次々と出て行ってしまった。護衛団の面々もその例に漏れなかった。
(ジャニュアってのは本当に、平和な国だな……)
「君の言うとおりだな」
 こんなことはクラインでは到底許されないことだな、と思いながら、サライはルーイの勧めに従うことにした。彼にしろ、決して二テルを何もせずに待ちぼうけるのが趣味というわけではなかったので。
「とはいえ、太后宮警備兵の宿舎を私は知らないんだ。君は知ってるのか?」
「ああ、大丈夫。ここの地理は頭に入ってるから」
 ルーイは機嫌よく答えた。
「それじゃ、道案内を頼むよ」
「任せておいてよ」
 そんなわけで、二人は王城を出た。太后宮は王城の裏手に当たる場所に位置していたのでそこまではサライも知識として知っていたのだが、そこからは全く未知の領域であった。それで、迷いもせずに歩いていけるルーイを少し尊敬したのだった。
 太后宮は植え込みに囲まれていて、その合間から花の咲き乱れる庭が見えた。この庭は太后陛下のお気に入りなのだとルーイは教えてくれた。そこを横目に通り過ぎて、二人は一旦メルヌ城の門を出た。その門前には近衛兵や儀杖兵の宿舎などが並んでいる。警備兵の宿舎もその一角にあった。
「ここだよ。いるかどうか確かめないとね」
 宿舎に入ってすぐのところに、部屋の番号と宿泊あるいは居住している者の名前が書かれて、赤い札がぶら下がっている板がかけられていた。不在の場合は札が外されていて、任務中は白い札が掛かっているものだということだった。アインデッドとアルドゥインの部屋番号を知らなかったので、サライは名前から探すことにした。部屋数は二十ほどだったので、探すのにはそれほどかからなかった。やっと見つけた部屋の番号には、赤い札がきちんとかかっていた。
「いるみたいだ」
 ルーイに頷きかけて、サライは中に入っていった。食堂兼社交場になっている一階のホールにいるかもしれないので、部屋に行く前にそこをざっと眺め渡してみた。いつもだったらアインデッドの赤い髪ですぐに判るのだが、今回はそれが効かない。それでも、彼ららしい人物は見当たらなかったので、階上の部屋に向かった。
 ドアを叩くと、アルドゥインの声が返ってきた。
「はい?」
 開いた瞬間、アルドゥインの顔が驚きの表情を浮かべた。すぐにそれは面白がるような笑みに変わり、彼は後ろを振り返った。
「アイン、サライが来たぞ。友達連れて」
「うわっ、来るなって言ったじゃねえか」
 慌てたような声とともに、どたばたとアインデッドがアルドゥインを押し退けて戸口に出てきた。二人とも普段着を着ていたが、寝起きというわけではなさそうだった。
「元気そうで何よりだよ、アイン」
 アインデッドの渋面とは対照的に、サライはにっこり笑った。アインデッドは無言で背中を向けた。その代わりアルドゥインはにこやかに二人を室内に招じ入れた。
「狭いが、まあ入れよ。そっちのお友達はたしか、ルーイさんだったっけ。おはよう」
「はい。おはようございます、アルドゥインさん。そちらがアインさんですか。よろしく、アインさん。僕はルーイです」
「……よろしく」
 アインデッドはベッドの上で胡坐をかいたままむっつりと答えた。陽気なくせに寂しがり屋な彼は、ついでに照れ屋でもあったので、サライがその友人を連れて自分のところに来たというシチュエーションにかなり戸惑っていたのだ。だがルーイにそんなことがわかるはずもなく、彼は困惑したように首を傾げた。
「僕は来ないほうがよかったかな」
「いや、あいつは照れてるだけだから」
 アルドゥインが何の遠慮もなくずばりと言った。そういう言われ方をすると、いつもだったらやっきになって言い返すのに、アインデッドはしかめ面をして彼を睨みつけただけだった。男が四人もいると、さすがにそれほど広くない室内はますます狭く感じられた。まだベッドに座っていたアインデッドの隣にサライは腰掛けた。そして、ひそめた声で話しかけた。
「ねえアイン」
「何だよ」
「昨日、ユーリって女の子と一緒にいなかった?」
 アインデッドはびっくりしたように瞬きした。それから露骨に嫌そうな顔をした。
「どうしてお前がそんな事知ってるんだよ」
「詮索するつもりは無いんだけど、たまたま喫茶店の前を通りかかったんだ。その事でちょっと君に話がしたいんだが、今日は空いてる?」
「ああ、非番だからそれはまあ」
「じゃあルクリーシスの刻にこっちに来てもらえないか。伯爵邸の門の前で」
「お説教ならやめてくれよ」
 サライの得意技の一つであるお説教にはさんざん懲りていたので、アインデッドはたまりかねたように言った。
「そういうのじゃないよ。ただここでは少し長くなりそうだから、それで時間を取ってもらいたんだ。それとも君、また説教されるようなことをしたのか?」
「してねえよ」
「おいおい、なーに内緒話してんだよ」
 アインデッドの答えにアルドゥインの声がかぶさった。サライは立ち上がってちょっと肩をすくめた。
「またアインがお説教されたいのかと思って聞いてただけだよ」
「こいつにしては近頃品行方正だぜ」
 アルドゥインはアインデッドの頭を指先でちょっと押した。うるさそうにアインデッドがその手を払う。
「ま、お説教することがあったら俺も呼んでくれよ。おもしろそうだから」
「へえ、サライはお説教屋なんだ。でも似合いそうだな」
 ルーイがまぜっかえした。自分が説教ぽいのはじゅうぶん自覚していたが、それが似合うとか、面白い面白くないと論評されるのはサライにとって心外だった。何しろ、彼は純粋に相手のためを思って、その生活態度を改めてくれるように説得しているつもりであったのだ。それは相手から見れば有難迷惑にしか過ぎなかったが。
「皆そういうふうに私のことを見ていたのか……」
 サライはなんとなく意気消沈してしまった。
「まあまあ。いいじゃねえか。安心しろよ、俺たちはしごく真面目にやってるぜ。酒も飲んでねえしな。それより、アトは元気にしてるか?」
 そういったところはいかにも年長者らしく、アルドゥインがそれとなく助け舟を出してくれた。
「ほとんど会わないから判らないけど、伯爵の妹君のそば仕えになったそうだよ」
「そりゃ大変だな。貴族の姫君っていうと色々と難しいんじゃないのか」
 わがままいっぱいに育てられたお嬢様育ちの娘などにぶつかると、そば仕えのものはとんでもなく苦労するのだが、そういった難しさはアルドゥインにも何となく判らないでもなかった。雇い主がどうしようもないと、自分たちの命まで危険にさらされてしまうという点においては、アルドゥインたちのほうがよほど命がけであったのだ。
「多分、毎日話をさせられてるだろうね。カヴェドネ様は寝たきりで、ほとんど外に出られないんだ。だから新しく入った子はたいてい最初は話し相手をやらされるんだよ」
 ルーイが親切に説明してくれた。
「……だ、そうだよ」
「へえ」
 それほど興味があったわけではなかったので、アルドゥインは生返事をした。ただ、病身の姫君などというとそれはそれで苦労をさせられるのだろうという、他人事としての心配を少ししただけだった。ルーイにしても、伯爵の妹について多くを知っているというわけでもなかったので、その程度の興味しか持っていなかったのは幸いだった。
「そうだ、アインデッドさんはティフィリスから来たんだったね」
「あ? ああ……」
 なんとなく不安そうにアインデッドは答えた。だがルーイは今まで彼が見てきたどのジャニュア人とも全く違った反応を示した。
「今度ティフィリスの話をしてくれないかな。噂でしか聞いたことがないんだ」
「いや、でも――七年前に出たきりだから、最近の話はあんたと似たようなもんだと思うけど」
 アインデッドは慎重に言葉を選んだ。
「そうか、君は本当はペルジア人だしね。でもこれは僕の持論なんだけど、ジャニュア人とティフィリス人は、お互いの事を知らなさ過ぎるんじゃないかな。だから変な噂とか悪意のほうが先に広まってしまうんだよ。ちゃんと相手のことを知った上で嫌いになるならともかくも。だから、僕はティフィリスのことをもっと知りたいんだ」
「へえ……あんた頭いいな」
 アインデッドは、これはお世辞でも何でもなく、本当に感心して言った。それに、ルーイの言うことはしごくもっともなことであった。
「まあ、機会があったらってことで」
「ありがとう」
 ルーイはにっこりした。その時、マナ・サーラの二点鐘が鳴り、ずいぶんと時間が経ってしまったことに気づいた。
朝見が終わる前には控えの間に戻って整列していなければならない。すでに一テル以上が過ぎていた。
「そろそろ戻らないと、団長に怒られるや」
「そうだな。じゃあアイン、アルドゥイン、また」
 アインデッドとアルドゥインは、二人を王宮の門まで見送ってやった。宿舎まで戻りながら、サライの新しい友人についてアインデッドとアルドゥインは「なかなかいい奴」という評価を下した。
「サライのやつ、友達ができて良かったな。友達が少ないか、同じような堅物で集まるタイプだと思ってたが。案外明るい奴だったし」
「……相手を見てんだよ」
 アルドゥインの感想に、アインデッドは素直に思ったままを述べた。あまり穿った見方ではないか、とアルドゥインは思ったのだが、よくよく考えてみればそうかもしれないと、本人が傍で聞いていたらこれまた憤慨するような結論に落ち着いたのであった。

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