前へ  次へ


                                *



 色々と物思いを残しつつ、アルドゥインはジャンとトゥイユに連れられてスルーシ廟を後にした。振り返ってもう一度眺めてみると、やはり素晴らしい建築物であった。暇になったらもう一度来てみようと考えながら、アルドゥインは前に向き直った。その時、こちらに向かって歩いてくる二人連れのうちのひとりと目があった。
「おっ」
「あっ」
 二人が声を出したのはほぼ同時だった。それぞれの連れが一斉に立ち止まって二人を見る。それからルーイは太后宮警備兵の三人を、ジャンとトゥイユはセシュス伯爵の護衛団員の二人を見た。
「どうしてあんた、こんな所に」
「君こそどうして」
「答えてから聞いてくれよ」
 尤もなことをアルドゥインは言った。水掛け論になりそうだったので、サライはおとなしく引き下がって、同僚のルーイに市内の案内をしてもらっている最中だと答えた。アルドゥインの答えも内容はほぼ一緒であったのには二人とも苦笑を隠せなかった。彼らの連れ――ジャンとトゥイユ、ルーイの三人は事情を概ね察していたようだが初対面ということもあり、何を話せばよいのか判らないように顔を見合わせているばかりだった。
「紹介します、ジャンさん、トゥイユさん。こいつはサライ。俺の旅仲間です」
「初めまして」
 サライは二人に会釈し、ルーイに向き直った。
「ルーイ、彼がさっき話したアルドゥイン」
「こんにちは、アルドゥインさん。サライからお話は聞いてます」
 握手しながら、ルーイはにっこり笑った。その間にサライはジャンとトゥイユに挨拶を済ませていた。格式高く礼儀正しい彼らは、同じく礼儀正しいサライにアルドゥインの友人として満足したようであった。
「そういえばアルドゥイン、アインは何処に?」
 当然そこにいるべきであるはずなのに、見当たらない人物に気付いて、サライは辺りを見回した。もしかしたら照れ屋の彼のこと、一人だけ外れたところに居るという可能性もあったからだ。
「ああ、あいつは静かできれいなところは苦手だからって、自由行動」
「それは勿体無いな」
 驚いたようにサライが言うと、尤もだ、と繰り返してジャンが頷いた。同じような意見を持った人間には誰であれ何か言いたくなるらしい。セシュス伯爵の護衛団員が美形揃いで固められていることは周知の事実らしく、二人の容姿に関してジャンもトゥイユも一言の言及もしなかった。もしくはそれは、彼らの性格と品のよさから控えられた発言であったのかもしれなかった。
「これから廟の見学か?」
「是非とも見ておくべきだとルーイが勧めてくれたからね」
 サライは頷いた。アルドゥインはちょっと首を傾げてから、サライに耳打ちするように言った。
「見てもあんまり驚かねえようにな」
「何を」
「見りゃ判るとは思うが……リューンってお姫様の像だ」
「お姫様……?」
 不思議そうに首を傾げて、サライはアルドゥインを見上げた。しかしアルドゥインはそれだけ言い残して、既に次の場所に行きたそうな顔で彼らを待っている二人の先輩の所に戻っていってしまった。しきりに頭を下げながら、後ろについて歩いていく。
「行こうよ、サライ」
 ルーイが後ろから声をかけた。アルドゥインたちを見送ることもなく、サライはルーイについて霊廟の中に入った。サライにとってもこの建物は相当に興味を引かれるものであった。アルドゥインが想像したとおり、サライはこういった美術や芸術作品には目がなかったので、真ん中まで進むと天井を見上げたまま立ち止まってしまった。
「うわあ……。本当に、綺麗だな……」
「来てみて良かっただろ?」
 ルーイが満足そうに言った。サライは破顔しながら頷いた。そんな手放しの笑顔を他人に見せるのは随分久しいことであったかもしれない。ひとしきり感心してから、サライは霊廟にずらりと並べられた胸像に目をやった。
「これは?」
「歴代の王妃と、王子王女の胸像。他国の家系に入った王族は入れられていない。そこの板に名前と生没年が彫ってあるだろう? 王妃の名の下にある名前は正妃以外の妃のものだよ」
「場所の節約のためかな」
「だろうね。昔はすごい数だったらしいから」
 スルーシ廟の中には、彼らの他に人はいなくなっていた。薄明るい廟にはうっすらと香の煙が立ちこめ、祭壇に積まれた大量の花はここが墓場であるのだということを改めて思い出させた。
「あ、サライ」
「なに」
「アルドゥインさんが言ってたリューン姫の像はこれだよ」
 ルーイがその前に立っている像の所に、サライは足早に近づいた。置かれている場所と状態から、だいぶ新しいものであると判った。
「いつ亡くなった方なんだい?」
「ええと、二十四年前だよ」
 像の台に埋め込まれている板をちらりと確認して、ルーイは告げた。
「エルボスに嫁いでいく途中の海難事故で亡くなったから、遺品だけしか残ってないんだって」
 その頃にはまだ生まれていなかったためか、ルーイの説明は簡単であっさりしていた。実際に見たことも会ったこともない王族であるし、ジャンたちのような感傷はないのだろう。サライにとってはそちらのほうが良かった。
「その話は知っているよ。クラインでも知っている人は知っている。それに、リューン姫の母君はクラインの皇女だった方だ」
 ルーイの見ていた板の文字を読み、サライは目を上げた。
「……」
 一瞬、自分の目がおかしくなったのかと思い、サライは目を手の甲で強くこすった。そうしてからもう一度眺めてみた。しかし像の顔は相変わらずそこにあった。何も知らなければ美しい姫だと、哀れだと思うだけで済んだだろう。だが、そうはいかなかった。
(何故……)
「サライ?」
 ルーイの訝しむような声も、耳に入ってはいたが聞いていなかった。
(たしかに違うところもあるけれど、だがそっくりだと言っても間違いじゃない)
 アルドゥインがあんなことを言った理由がやっと判った。確かに驚かざるを得なかったのだ。
「ごめん、ルーイ。聞いてないわけじゃないんだが……この顔……」
「顔がどうかしたのか」
「似てるんだ」
 サライは自分に言い聞かせるように言った。
「ヤナスの悪戯というやつなのかな……」
 爪を噛みながら、サライはもう一度呟いた。
「この姫の顔が、そっくりなんだ」
 アインデッドはここに来なくて正解だったのかもしれない。見れば驚くことは間違いないし、後から生まれたのは自分だが似ているのは許せないなどと言っていきなり怒り出すかもしれなかった。
 しかしルーイにはサライが黙り込んでしまった理由が全く理解できなかったので、不思議そうに彼の顔と像を代わる代わる見つめているばかりだった。
「誰にそっくりなんだい? サライ」
「アインに、似ているんだ」
「アインさんに?」
 ルーイはしげしげとリューン姫の像を見つめた。それが何が判るというわけでもなかったが。
「こんなことを言ったら不敬罪かもしれないんだけど、彼の母親はこんな顔だったのかもしれないっていうぐらい似ているんだ」
 サライは声をひそめた。
「へえ……こんな顔なんだ」
 ルーイのほうはさしたる疑問も持たずに、未だ見ぬ同僚の友人の顔を思い浮かべているようだった。
 彼の瞳の緑色を見たとき、ふと、アインデッドの瞳の色を思い出していた。やや灰色のくすみがかかったルーイの瞳と違って、アインデッドの瞳は彼の持つ宝石のように透った緑であった。しかし、その瞳には何処か似通った点があるような気もした。それは気のせいだと一蹴してしまえばそれで済んでしまうような思いではあったけれど、容易には捨てきれなかった。
(まさか、アインデッドの母親がジャニュア人だなんてことは……。いや、でも彼自身、自分の瞳は母親の色を受け継いだと言っている。髪の色はティフィリス人に間違いないけれど、あの瞳の色だけはどうも変だと思っていたが……そう考えてみれば、ジャニュアとティフィリスの混血児は、緑色の瞳を受け継ぐのかもしれない……)
「ルーイ、隣のアズリール廟は歴代の王の霊廟なのかい」
「そうだよ。行こうか」
 ほとんど反射のように会話を交わしながら、サライは尚も考えていた。アルドゥインもその事を考えたのだろうかという疑問もわいてきた。
(しかし、アインデッドの肌の色はあまりに白すぎる。私と比べてもそれほど変らない位だ。彼はティフィリス人なのに)
(だが……)
(セラード人の血を引いているわけでもない彼がそんなに色白だというのなら、他にそんな肌を持つのはクライン人だけだ。でもクライン人は黒い髪と瞳。緑の瞳になるはずがない。ティフィリス人との混血では、ダリア人もセルシャ人も、緑の瞳の子供は生まれないと聞く。だとしたらやはり、ジャニュア人が母親なんだろうか)
 ほとんど何も見ないまま、機械的に足を動かしながらサライは歩いていった。物思いを破ったのは、ルーイの声だった。
「この方がさっきのリューン姫の兄君で、前の国王のティイ陛下。この方はアインさんに似てる?」
 言われて、サライはその像をよく見た。鼻筋や口許はやや妹に似ているような感もあるが、リューン姫とはやはり別の人間であった。サライが首を傾げると、ルーイはがっかりしたような顔をした。
「なんだ。ティイ陛下のそっくりさんだったら、ここに連れてきて隣に並んでもらいたかったのに」
「それならリューン姫でもできるだろう?」
「国王陛下ってところが重要なんだよ。まあ、リューン姫とティイ陛下は母上似と父上似のきょうだいだったって話だから、しょうがないけど」
「じゃあティイ陛下はアイミール殿下似で、リューン姫はクレシェンツィア妃似だということか」
「らしいよ」
 ルーイは頷いた。隣のスルーシ廟とここは全く同じ作りをしていたので、建築に関するサライの興味は最初ほどではなくなっていた。それを見て取って、ルーイは次の場所に向かうことを提案していた。もちろんサライに異論はなかった。
「次はどこに行くんだい?」
「ヤナス十二神殿群。全部は今日中には回れないだろうから、一番近いユーリースの神殿から行こう」
 どこの国であっても、大きな町や市となれば、ヤナス十二神の神殿を全て備えているのは当たり前であった。それぞれの国にそれぞれ自慢の神殿というものがある。クラインで言えばアーバイエ州都エクタバース市のそれであったし、ジャニュアでは首都メルヌのそれであったのだ。
 特にジャニュアの建築物は、その王城が代表するがごとく非常に国色ゆたかで、特色のあるものであった。
「ユーリースといえば、王女殿下の守護神だっけ」
「その通りだよ。女王陛下もマナ・サーラの化身みたいな人だと言われているけれど、王女殿下もユーリースの化身みたいな方なんだって。ティイ陛下ゆずりで色白の可愛いお姫様だって聞いてるよ」
「へえ……」
 父がクライン皇家の血を引いているのであれば色白であっても頷けるだろう。二つの霊廟の敷地を抜けて、また大通りに出た。振り返れば王城が見えた。明後日にはそこで初仕事ということになる。サライはちょっと立ち止まって王城の屋根を見やり、軽く息をついた。改めて、自分がどれほど遠くに来てしまったかを噛み締めたのだった。
 クラインを出てからまだ半年も経っていないのに、自分はこの一ヶ月で一気に年を取ってしまったような気がした。今までしたことも無いような苦労や経験を一度にしてしまったせいだろうと自分では判っていたが、どうしてもそんな気分がするのは払拭できなかったのだ。
 ルーイは慣れた足取りで先を歩いていく。馬車なら二車線通行できるくらいの幅を持つ通りはそれほど混んでいなかった。これが王城前の目抜き通りや市場などになれば、人々でごったがえすようなこともあるのだろうが、ここは比較的静かな区画であった。神殿群近くであるからか、通り過ぎてゆく人たちの風体も卑しからぬもので、落ち着いた雰囲気を持っていた。
「メルヌ中心部の大通りは王城を中心に放射状に広がっているんだ」
 いつのまにか隣まで下がってきていたルーイがそう説明してくれた。王城正門前から続くメルヌ通りを中心にすると、左から二番目の通りがこのミレノ通りなのだという。
「空からこの街を眺めることができるなら、それは綺麗なんだろうけどね」
「きっとそうだと思うよ。鳥の目があれば、の話だけれどね。人間が空を飛べるような世界になってもずうっとこの街が変わらずにいたら、この街の通りがどんなに美しいか、知ることができるんだろうな」
 ルーイは夢見るような目で自分の街を見た。クラインであれば鳥の目を持たずとも、カーティス城で最も高いヴィズア塔のてっぺんからなら、カーティスの全貌を見渡すことができた。しかしメルヌでは砂嵐が吹き荒れる土地柄、あまり高い建物は発展しなかったし、ジャニュア全体が平坦な土地であったので、メルヌ市を一望できるような高みは存在していなかった。
「そんな日が来ると思って、この街を建てたのかもしれないな」
「私たちの世代ではまだ無理みたいだけどね」
「残念だなあ」
 そう言ってルーイは笑った。会話を続けながらふと辺りの建物に目をったサライは、見慣れた顔をそこに見つけ出した。
「どうかした?」
「いや、別に」
 その喫茶店は街路に布製の屋根を張り出し、その下にテーブルを並べて席を作っていた。なかなか洒落た雰囲気で、午後の昼過ぎともなれば初々しい男女の二人連れや、一時の休息を求めに来た男たちが談笑しながら一杯のカーファ茶となにがしかの食べ物を楽しんでいた。
(アインデッドと……誰だ?)
 髪の色は見慣れていた赤色とは全く違っていたし、表情だってあまり見たことがない優しそうなものだったのに、何故かサライには一瞬でそれがアインデッドだと判った。しかし、彼と向かい合って座っている少女には全く心当たりは無かった。来たばかりの街で、知り合いがあるほうが不思議であったが、何故かサライは面白くなかった。
(また早速引っ掛けてきたってとこなのかな)
 通り過ぎる途中、悟られないように慎重に視線を向けながら、サライはざっと二人の様子を観察してみた。少女の顔は判らなかったが、着ている白いドレスや、やや斜めに背中を向けて顔は判らないながら、雰囲気は上流家庭の子女のようだった。向かい合って何か話しているアインデッドは、あまり見たことのない優しい目をしていた。大事な妹の相談相手になっている兄みたいなようすだったのだ。
(どうしたんだろう……)
 ルーイもいる手前、いきなり店に入っていって問いただすわけにもいかず、サライは気掛かりではあったが、その場を通り過ぎていった。

前へ  次へ
inserted by FC2 system