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 美貌の新しい護衛団員の噂は、その日のうちに右の対に広まっていた。共に雇われたアトに関しては全くといっていいほど話題にならなかったのも、ひとえにサライが目立ちすぎたためであった。
 この護衛団というのは、実際には宮殿に参上するときだけセシュス伯爵の傍近くに仕え、その近辺を警護するという役目であった。新入のあいさつをするまで、サライはこの一団にそろいもそろって美青年ばかりが集められていることを知らなかった。人種は圧倒的にジュニュア人が多かったので、サライはどうしても目立つことになってしまう。
(セシュス伯爵は、まさかおかしな趣味でも持っているんじゃないだろうな……)
 初めて彼らと顔を会わせたとき、サライは心の底でひそかにそのことを心配してしまった。筋肉の美しさを誇るようなタイプではなく、優男と形容するにふさわしい容色のものばかりだったからだ。
 仕事などの説明を受けるために団長と副団長のいる部屋にゆくと、ちょうど二人はニップルの盤を挟んで向かい合わせでにらみ合っている最中だった。団長のユジェーヌは生粋のジャニュア人で、副団長のアランは髪が黒かったので沿海州の人間のように見えた。サライが戸口に立っているのに気付いて二人はゲームを中断し、ユジェーヌのほうが立ち上がってこちらにくるように手招きした。
「まあそこらへんに適当に座ってくれ」
 ユジェーヌは彫りの深いはっきりとした顔立ちの青年だった。歳は二十七、八と思われた。いつも笑顔を絶やさない態度も、栗色の髪を短く刈り込んできっちりと整えた容姿もさっぱりとしていて好感が持てるタイプだった。
 彼らが着ている制服は立て襟で、金のボタンで前合わせにする上着は青色、肩にはやはり金糸で縁取りをした肩当てが付けられていた。剣の提げ緒は金と白の組紐で、全員が同じレイピアをそこに吊るしていた。上着の下には白いシャツを着、ズボンも同じ白で、靴は黒い革のブーツと、なかなかに洒落ていた。サライには知るよしもなかったが、これもまたカヴェドネ姫の手作りであった。
 護衛団の平均年齢は二十代くらいで、背は百七十五バルスから八十あたりで揃っていた。たしかに、この集団が身辺を固めて歩けばなかなかの眺めであるのは疑いようがなかった。身辺を警護するというよりは、見栄えが重視されているといったところが本当のようであった。
「明後日の参上のときが君の初仕事になるが、隊列を乱さずに並んでいればそれでいい。実際に剣が必要になることはないから、そこのところは気にしなくてもいい。ちなみに練兵もない」
「では仕事のないときは何をしていれば?」
 剣の訓練も何もない衛兵とは不思議な存在だったが、この護衛団が飾りならば仕方のないことであった。しかし実務などはほとんどない右府将軍になっても体を動かさない生活などしたことがなかったので、何もしなくても良いなどと言われたら、サライにとっては困ったことであった。
 サライは知らぬうちに困った顔をしていたのか、ユジェーヌはくすくすと笑った。
「練兵をするようには言われていないが、自主的にやっているよ。まがりなりにも護衛と名がついてる以上ね。君が心配しているのはそのことだろう? やりたくなければ何をしてもいいけれど、私たちにも自尊心があるからね」
「わかりました」
「いよいよする事がなければ、邸内の仕事を手伝ったりもする」
 アランが言い添えた。紹介によれば、彼はジャニュア人の母とエルボス人の父の間に生まれたのだという。肌が浅黒くて髪が黒かったので、瞳の色が緑だと気付かなければ一見すると沿海州の人間に見えなくもなかった。ユジェーヌとのつきあいは長いらしい。
「我々が重宝されるのは主に庭仕事、他には宿舎の修理だ。やると嫌がられるのは台所の仕事だ。それだけ覚えておけば何とでもなる」
「そういうことだ。今日のところは何も仕事はないから、邸内を廻っていてもいいし、アランの言ったように庭仕事を手伝っていてもいい。練兵は一応朝のマナ・サーラの刻と夕方のリナイスの刻と決めている」
「了解しました」
「仕事の説明はそんなところだ。もう行ってもいい」
 サライは一礼してユジェーヌの部屋を出た。二人がまたニップルをやりだしたのが、漏れてくる会話から判った。二人が言ったとおり、本当に護衛団の面々にはやることがないというのが、邸内を少し廻っただけで判った。庭では女の使用人に交じって花の植え替えをしているものが三人ほどいて、庭師の切った枝を運んでいるのが二人いた。それも実に楽しそうであった。
(しかし、戦力としては役に立たなさそうだな)
 それを眺めて歩きながら、そこは軍人の性か、サライは冷静に判断していた。自分もその戦力外の兵として雇われたということに少々の不満は感じていたが、戦争らしい戦争もしたことがない国ならば、兵を戦力として本気で集めることも少ないのだろうと自分なりの結論を出した。
(伯爵邸でもこの調子じゃ、アインデッドは今頃どんなものかな)
 太后宮の警備兵として雇われたが、その仕事もここの仕事と負けず劣らずの退屈なものだろう。ただ宮殿の周りを見回るだけの仕事など、よほど張り合いがなければすぐに飽きてしまうだろう。
(アルドゥインがいるから、すぐに辞めて出て行くようなことはないだろうけど、きっと文句ばっかりだろうな)
 そうして不満たらたらのアインデッドに会ってみたいとも思う。なんだかんだと言いながら、サライはアインデッドが自分に色々と不満を言うのをなだめたりすかしたりするのが好きであった。それに、どんなにしつこく愚痴を言っていようが、憎まれ口をたたいていようが、なぜか憎めないのがアインデッドのいい所であった。
 そしてサライはすぐにアインデッドを甘やかしてしまう。要するに言うことを聞かない駄々っ子をそれでも可愛くてついちやほやしてなだめてしまう大人と同じことであった。もちろん本人同士は全く気付いていなかったが。
 アトがやたらにアインデッドにつっかかるのもそういうところに端を発していたのかもしれない。自分の敬愛する主人が、子供みたいなアインデッドにいちいちかまうのが腹立たしかったのもあるだろうが、それも掘り下げてみればやはり自分の好きな大人が他の子供にかまけるのを見て嫉妬する子供と同じ心境だった。
(明日宮廷に参内して、暇があるようだったら二人に会いに行こうかな。きっとアインは怒るだろうけど)
 その様子を想像してみて、サライは思わず立ち止まって、ひとしきり笑ってしまった。庭仕事をしていた使用人と同僚が手を止めてこちらを見ているのに気付いても、それがまた可笑しくて、サライはまた笑った。
「どうした? 何か面白いものでもあったのか」
 あまり彼が笑いつづけているのをあやしんで、同僚の一人が近づいてきて尋ねた。それでやっと、サライは笑いを収めたのだった。
「いや、大したことじゃないんだ。ただ、友達のことを思い出したら急に可笑しくなってしまって……」
 まだ笑いの余韻を残しているサライに、その同僚は首を傾げた。その様子が妙に可笑しくて、サライはまた笑い出しそうになるのを必死で抑えた。これほど笑ったのも最近では久しぶりのような気がした。ようやく笑いの発作が収まり、庭に設けられたあずまやの木陰に座っていると、さきほどの同僚が隣に腰掛けた。
「サライ、邪魔じゃないかな」
「そういうことは座る前に聞くものだよ、ルーイ」
 彼はジャニュア人で、暗い金髪のようにも見える淡い色の髪を肩で切りそろえていた。顔立ちは護衛団の例に漏れず整っていて、どちらかというと女顔だったので、そんな髪型をしているとまるで美少女みたいに見えた。歳は二十一でサライと同じだったので、親近感を抱いているようだった。
「さっきの友達って言うのは誰なんだ?」
「一緒にジャニュアまで来た一人だよ」
 サライがここに来た詳しい事情を知らなかったので、彼は曖昧に頷いただけだった。
「もともと私と、一緒にお屋敷づとめになったアトと、もう二人の四人でジャニュアに来たんだ」
「アトって、左の対に入ったなかなか美人の娘(こ)だな。エレミヤ人の……。あの子は君の連れだったのか」
「ああ。クラインからずっと一緒だ。もともと私があの子の親というか、兄代わりみたいなものだったから、私が旅に出るといったらついてきてくれたんだ」
「律儀な子だな。今時珍しいくらいだ」
 しきりに頷いて、ルーイはいい話だというのを繰り返した。
「で、友達はどこに勤めてるわけ?」
「太后宮の警備隊に入ったんだ。もう一人の友達と二人で。偶然かセシュス伯爵のお声掛かりでね」
「へえ……よっぽど腕が立つんだろうね」
 さあ? というようにサライは肩をすくめて見せた。ルーイは別段それを意に介した様子もなかった。
「知らないならしょうがないな。二人もクライン出身? 僕も会ってみたいな。今度紹介してくれないか」
「アインとアルドゥインっていうんだ。二人とも育ちは沿海州だ。でもアインはペルジア人でアルドゥインはアスキア出身。たしかルーイも明後日の参上についていくんだっけ? その時時間があったら会いに行こうと思うから、一緒にどうだい? 紹介するよ」
「ありがとう。楽しみにしてるよ」
 長めの髪を風に揺らして、ルーイが笑った。アインデッドが彼を見たら、そんななよなよした男はおかまだとか、シルベウスの病持ちに違いないだとか、相当なことを言いかねなかったが、彼が――というよりもこの護衛団そのものが、そういった性格のものではないというのは、サライがいちばんよく判っていた。
「君はクラインから来たんだよな」
 何気なくルーイが言った。
「ああ」
「沿海州を経由してくるとなると、けっこうな道のりだっただろう。陸路のほうがずっと早いだろうに、どうして海路を取ったんだ?」
「特に理由はないけれど――最初に向かったのがセルシャだったから、なりゆきってところかな。最初からジャニュアを目指していたわけじゃないから」
「いいな、サライは。僕も一度でいいから、自分の気の向くままに旅をしてみたいな。お役目とかじゃなくて、本当に何からも自由になって、好きなときに好きなところに行って、いろんなものを見てみたい」
 遠くを見つめるような眼差しで、ルーイは空を見上げた。サライもそれにつられて空を見上げた。雲ひとつ見受けられない晴天だった。
「まだ若いんだし、これからいくらでも機会はあるさ」
「たぶん無理だと思うけどね」
 あっさりと言うのにふさわしい、軽い言い方だった。
「なぜだい? 手形さえ発行してもらえれば、どこの国にだって行けると国際法で決まっているのに」
 それは事実だったので、サライは何の気もなくそう訊ねた。するとルーイは楽しそうに小さく笑って彼を見た。
「輸出入は盛んなわりに、ジャニュアは出国管理がうるさいんだよ。よほどの理由がなければ海路でも陸路でも国外旅行は無理なんだ。民間レベルでは特にね。商人なんかは国家試験と免状が必要だし、それも年ごとに更新が必要なんだ」
「それは知らなかったな……だって、ジャニュアに上陸したときも、手形を確認しただけで、入国理由も聞かれずに通ったんだ」
「ふうん。とりあえず自国民を外にあまり出したくないみたいだよ。ふつうに外国人を入れているのなら、こっちが出したって何も不都合なことはないはずなのに。ティフィリス人を排斥するのだけは判らなくはないけど」
「不思議なものだな」
 サライの感想にルーイはうなずいて肯定の意を示した。
「ところでサライ、君はティフィリス人を見たことある?」
 深刻な話の後、ルーイはがらりと話題を変えてきた。それに戸惑いながらサライはあわてて頷いた。
「あるよ。何度か」
「本当にあっちの人は髪も瞳も赤いのかい? そんな色のってあんまり想像がつかないんだがなあ」
「ああ。本当に真っ赤だよ。色合いは君らと同じで色々あるけれど」
「ジャニュアじゃ、奴らの髪と瞳が赤いのは、先祖が人殺しをして、その血がかかったからだって言うんだよ。昔はティフィリス人は怖いもんだと思ってたけど、よく考えてみるとひどい話だよな」
「そんな話があるのか」
 サライは目を見開いた。確かに、サライの中でもティフィリス人の代表であるバーネットやマナ・サーリア、アインデッドの髪は血をかぶったように見えなくもないし、両国の仲が良くないことも知っているが、そういう伝承まで作るほどだとは思っていなかった。
「ティフィリスでジャニュア人に関するそういう話は聞いたことがないよ」
 考え込むように首をかしげてルーイは言った。
「じゃあ奴らより僕たちのほうが心が狭いってことになるのかな」
「さあ……」
「年寄り連中はともかく、別に嫌う理由も僕らにはないしな。一回、僕らぐらいの年代の若者同士で交流会でもやってみれば、お互い仲良くなれそうに思えるんだが」
 ルーイはなかなか革新的なことを言ったが、それも土台無理なことと思われた。彼自身も空論だと判っているようだった。何を言おうかとちょっと考えてから、ルーイは立ち上がってサライを振り返った。
「とりあえず、そのアインとアルドゥインに会えるのを楽しみにしてるよ。それより折角だから外に出ないか? 練兵の時間までまだあるだろう」
「外って、どこに?」
「市内観光を現地ガイドつきでどうだい? しかもただだよ」
「その話、のったよ」
 サライも笑って答えた。

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