前へ  次へ



                                 *



 ジャンとトゥイユが最初にアルドゥインを案内したのは、王宮の南大門であった。門は非常に古い建築物で、建築学を学ぶものならば一度は見たほうがよいと言われるほどの歴史的、芸術的価値の高さがある。そういったものに全く興味がないわけではなかったので、アルドゥインはこの王宮内の歴史探索ツアーを結構楽しんでいた。
 それに、長くこの宮城に勤めているだけあって、ジャンとトゥイユはなかなか良い案内人であった。真面目な説明はジャンが行い、逸話だとか噂話の類はトゥイユがおもしろおかしく話してくれる。アインデッドもついてくればよかったのに、とアルドゥインは他意もなく思った。アルドゥインの認識では、アインデッドは自称しているよりもずっと見識も高ければ、教養もあるように見えた。好奇心や探究心が旺盛な彼のこと、決してつまらなくはないはずだ。
「ここが宮城の中心、メルヌ城だ。中には騎士か貴族でなければ入ることはできぬから、案内してやることはできないが、外観だけでも充分判るだろう。この城のタイルはすべてジャニュア・ブルーで彩色されている。もっと近づかねば判らぬが、模様は神聖古代文字(エロール)を図案化したものだ」
 ジャンの説明を聞きながら、アルドゥインはタイルの模様に目を凝らした。
「確かに……すごく細かいですね」
 アルドゥインの生まれ育ったアスキアは沿海州の中でも文化面での発展が高いほうの国に入っていたから、美術的なものに触れる機会は多かった。そこへ行くとアインデッドの故郷であるティフィリスは尚武の国、貿易国としての名の方が上であった。
「沿海州ではこんな彩色タイルにはお目にかかれませんよ。せいぜいいいところがモザイク壁画です」
「それはよかった」
 トゥイユは嬉しそうに言った。どうやら口で言っていた以上に、後輩に自らの護るところである城を見せてやるというのが相当に嬉しいらしい。
(アインデッドはともかく、サライが見たら喜んだだろうな)
 アルドゥインは本心からそう思った。彼にとってサライはセルシャからジャニュアまでの船旅と、港からメルヌまでの旅を共にしただけでお互いにまだ謎の多い人物であったが、彼が元はクラインの宮廷に仕える騎士であったことは聞かされていたし、アインデッドに言わせれば「涙が出るほど立派で高尚な」趣味の持ち主であることも理解していたから、こういった芸術的建築物などには目がないだろうと思ったのだ。
 クラインも、王城をはじめアーバイエ州のエクタバース城など、有名な建築物を数多く抱えている。そういった国で育った彼のことだから、異国の建物にだって興味を示すだろう。それにジャニュアには一度も来たことがないのだ。
「次はどこです?」
「一度王宮の外に出る。王宮に向かう途中、天人花の生垣が見えただろう。あの向こうがアズリール廟とスルーシ廟だ」
 その名前はアルドゥインも知っていた。アインデッドがジャンに聞かされた、王家の者を祀る霊廟の名前である。アズリール廟には歴代の王、スルーシ廟にはその他の王族が祭られている。
 黒死天使アズリールと白死天使スルーシは中原ではメジャーではないが、ジャニュアでは一般的な死の天使の名である。同じように翼を持った人間の姿として描かれるので、あまり神話についての知識がない人々には死の女神サーライナと同一視されがちで、絵画にもこの天使たちと女神との明確な違いが無く描かれたものが少なくない。だが、アズリールとスルーシは若い女性ではなく、女性のように美しい男性、であった。ちなみにその容姿も本来ならば違うのだ。
 アズリール廟とスルーシ廟はたしかに素晴らしい建物だった。王城の敷地内に建てられていなかったので、二つの建物のどちらも一般の人々が参拝できるようになってはいたが、残念ながら王宮からそちらに行くには面倒だが一度外に出て、改めて入り直さねばならなかった。それは死の穢れを王宮に入れてはいけないという観念からは致し方の無いことと思われた。霊廟には祭祀を司る僧侶たちが勤めているだけで、防衛上にもさほど重要な場所ではなかったので、ここの警備はごくのどかなものであった。もちろん彼らは、中の貴重な宝物などを護る目的で配備されているのだから、それなりの態勢は整えていただろうが。
 二つの霊廟は左右対称の全く同じ形に作られており、それだけで小規模な貴族の館くらいの大きさがあった。屋根はメルヌ城でお馴染みの球形の先をちょっとつまんだような形で、三つのドームの中でもっとも大きい中央に祭壇と祀られている王族の胸像が置かれ、左右には彼らの遺物が納められている。
 霊廟へと続く前庭の通路には敷石が整然と並べられており、その間に細い水路と噴水が設けられていた。夕日が射したとき、この水路に映る霊廟が一番美しく見えるとメルヌでは言われている。全く同じ形の霊廟を見分けるのは簡単だった。アズリール廟は黒大理石、スルーシ廟は白大理石で外壁を張られていたのだ。
 噂には聞いていたがこの霊廟を前にして、アルドゥインは思わず感嘆のため息をついた。この美しい双子の建物を作らせたのは四百年ほど前の王であったというが、もともとはアズリール廟を自らの墓所、スルーシ廟を妻の墓所として作らせていた。しかしこの豪華な死後の住居を作るためにあまりにも出費がかさんだため、彼の後を継いだ息子の王は自らの霊廟を作ることができず、父の眠るアズリール廟に葬られた。それ以後王族はすべて白か黒のどちらかの霊廟に祀られることとなったのである。これは合理的といえば合理的であった。公費の節約にもなるし、墓所として確保する土地もずっと少なく済む。
 霊廟の前にはそれぞれ名前にちなんだ天使の像が建てられていた。アズリール廟に三人が入ったときには参拝者は少なかったが、これまた豪奢で金まで張った祭壇の前には山のように花が積まれていた。これにはアルドゥインはいささかげんなりした。霊廟の中は自然光を取り入れて、反射を使った、光源が判らないような柔らかな光で満たされていた。さらに劇的な効果を生むように、その柔らかな光の中に一筋だけ、光線のように祭壇が照らし出される仕組みになっていた。観光ガイドよろしくジャンが説明を始めた。
「この入口の右端から順に、さっきトゥイユが話したマルティ王から歴代の王の胸像が置かれている。石像はそうではないが、銅像は石膏型から銅像に仕立てているから、顔はご本人そのままだ。そこの、まだ隣の無い胸像がティイ前国王陛下の胸像だ」
 ジャンの説明どおり、霊廟の中にはぐるりと壁を背にして胸像が並べられていた。それは気味悪いくらいだった。一番古いであろうマルティの胸像は年月を感じさせるものであったが、つい十年前に逝去したティイの胸像は表面もすべすべしており、何よりもまず汚れがついていなかった。
 この胸像たちがどれほど生前の故人に似ているのかは定かではないが、控えめに言ってもティイの顔の造形は整っている部類に入った。クラインの血を引いているからだろう。その隣のマレーユよりも線が細い感じがした。驚いたことに胸像は死んだ順番ではなく、あくまで王位を継いだ順に並べられていたので、ティイのものよりマレーユの方が左にあった。だが胸像を置いた石柱には、生没年と名前と何代目の王かがきちんと記されていたのでそれと知れた。そうやって見てみると、生年と代が大幅にずれている者も少なくなかった。中には台座だけがあって像がなく、三人ほど過ぎてからやっとその本人の胸像があるという、返り咲きを果たした王までいたのだ。
「いつかいっぱいになってしまう時が来るんじゃないですかね」
「それはそうだろうが、疫病か戦乱時代でもないかぎり、我々が心配している間は大丈夫だろう」
 アルドゥインの冗談に、トゥイユが請け合った。礼拝を捧げてから三人はアズリール廟をあとにし、隣のスルーシ廟に入った。こちらは白大理石で内装も作られていたので、アズリール廟よりも明るく感じられた。外装も内装も隣と全く変わるところがない。違うのは色と、中のレリーフだけである。
 ここにも、死んだ王族たちの胸像が並べられていたが、王族全員ということもあって、はるかに量が多かった。その事を考慮して百年ほど前に内装を改築したそうで、胸像を並べる段が二段になっており、古い順に右上から並べられていた。台座にはやはり名前と生没年、代の代わりに位が記されていた。
「今では傍系はいないが、昔は王の後宮には多いときには百人以上もの妃がいたために、妃とその子供たちの胸像で廟が飽和状態になったことがあったそうだ」
「でも、それにしてはここの胸像は少ないですね」
「妃の中では正妃だけ、臣下に下らなかった王族だけが胸像を祀ることを許されたからだ。他国に嫁いだ王女や、婿になった王子も除かれている。そういった王族は台座に名前だけが記されている」
 言われて台座の一つを見てみると確かに、「スティフ王正妃モイラ」と書かれた下に、何十人かの女性の名がえんえんと記されていた。
(これじゃあどっちも浮かばれないわな……)
 自分が正妃として胸像を建てられているのに、同じように妾たちが名前を連ねているのは正妃としては面白くないことだろうし、妾たちは妾たちで、自分のほうが寵愛されていたのに像を建ててもらえないと、恨んでいたかもしれない。そう思うと、なんだか背筋が寒くなった。
 ご愁傷様としかいいようのない気分でアルドゥインはしばらく胸像を一つ一つ眺めていたが、やがて一つの像の前でぴたりと足を止めた。それに気付いてジャンとトゥイユも立ち止まって、その胸像を見上げた。それはまだ若い女性の胸像だった。本来ならばもっと長かっただろうが台座のところで切れてしまった髪や、まとっているドレスには、金属であるにもかかわらず不思議なほどの質感があった。
よほど腕の良い彫刻家が心を込めて彫ったものに違いない。だがアルドゥインが立ち止まった理由は、その美しさのせいではなかった。
「この姫は……」
 ジャンが説明した。
「本来ならばエルボスに嫁がれたのでここに入ることはできなかったのだが、婚礼前に亡くなったこともあって、マレーユ様の特別のお計らいで胸像が建てられたのだ」
 台座には《リューン・アイミール》の名が記されている。今朝から何度も彼らの話題に出てくる、その人の名であった。
(他人の空似にしてはできすぎだ……)
 アルドゥインは口には出さずに、心の中で呟いた。冷たいリューンの銅像は瞼を閉じていたが、それでも顔の造形はほとんど変わることが無い。
「やはりアインデッドは似ているな」
 独り言のようにジャンが言った。ほっそりととがった顎の線や、やや高めの鼻などはアインデッド自身の像だといっても通じそうな程似通っていた。女性と同じ顔をしているなどといわれたら、アインデッドにとっては噴飯物だっただろうが、彼であってもこの場にいれば否定できないほど、くだんのリューン姫とアインデッドは似ていた。
(まさかアインデッドがこのリューン姫の息子だなんてことはないよな……彼女が事故で死んだのは二十四年前だし、アインデッドはまだ二十二だ。それに、あいつはティフィリス人なんだから)
 だが、一度湧き上がった疑問はなかなか消えなかった。ジャニュアに来てからずっと考えていた、アインデッドはジャニュア人のハーフではないかという考えと、彼がリューン姫の息子ではないかという考えはアルドゥインの中ではみごとに一致していた。
「アインデッドにここを見せてやりたいですね」
「そうだな。彼が何と言うか」
 トゥイユが笑いながら言った。アルドゥインには笑うことなどできなかった。自分が考えた仮説に、我ながら恐れを抱いていた。
(アインデッドがリューン姫の息子というなら)
(リューン姫は二十四年前の海難事故では死なず、どこかに流れ着いてティフィリス人の男に出会い、その男の子どもを産んだってことになる。その男が命の恩人だったのかもしれない。アインデッドはティフィリス生まれのティフィリス育ちだが、クラインの皇族の血を引いて色白だった彼女なら自由国境地帯あたりの人間に見えただろうし、生まれた子供だって、まず疑われることは無い)
(だとすればアインデッドの名前だって合点がいく……アインデッド・イミルはジャニュアではエンディート・アイミールになる。リューン姫はいつか息子がジャニュアに行くことがあれば、その身分が判るような名前を付けたんだ)
 このとんでもない考えが正しければ、船乗りの血が混じっているとはいえアインデッドはジャニュアにおける唯一の王子ということになってしまう。そして、現クライン皇帝の姪の子供という、非常にややこしい立場の人間になる。アルドゥインはいいかげん頭が痛くなってきた。
「アルドゥイン、どうした」
 トゥイユが心配そうに肩を叩いたので、アルドゥインははっとして振り返った。二人は既に次の場所を案内するようであった。なんでもないふうを装って、アルドゥインは霊廟を出た。
(ほんとうのほんとうにあいつがリューン姫の息子だとしても、アインデッド様だなんて、死んだって呼んでやるもんか)
 アルドゥインは密かな決心を固めて歩き出した。


前へ  次へ
inserted by FC2 system