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     貴女の瞳はまるで宝石のように美しい
     そう、譬えれば
     貴女の胸に輝いている
     深く澄みきった緑玉のように




    第一楽章 メルヌの狂詩曲




 六時間にわたった仕事も明けて、アインデッドとアルドゥインは宿舎で落ち合った。アルドゥインのほうが先に戻ってきており、服も着替えていた。アインデッドは暑苦しくてかなわない鎧を脱ぎ、アルドゥインが差し出してくれた濡らした布で汗をぬぐってさっぱりすると、普段着に着替えた。
「どうだった?」
 アルドゥインの質問に、アインデッドは少し微笑んで言った。
「真面目でいい人だよ。よくわからん話をしたけどな」
「なんだよそれは」
「ユーリって名前が珍しいかどうか聞いたら、いつの間にかリューンっていう、二十四年も前に死んじまった王女様の話になっちまってさ。それで、ジャンさんが言うには俺とその姫様は似てるんだって。髪の色とかな。染めただけなのに」
 どうも調子が狂うんだ、と言いながらアインデッドは結構楽しそうであった。元来が噂好きのティフィリスっ子である。どんなに古臭い話であっても、その手の話にはけっこう興味があったのだ。
「で、お前の相棒はどうよ?」
「今度お前と話をしてみたいってさ。セシュス伯爵じきじきのお声がかりで入ってきたんだ、俺たちかなり興味もたれてるぜ」
「へえ……。じゃ、俺はジャンさんとめしを食いに行くから、またな」
「あ、待て。俺もトゥイユさんと昼飯を一緒にって約束してんだ。途中まで一緒に行こうぜ」
 アルドゥインは慌ててアインデッドのあとを追った。ところが、待ち合わせていた玄関先ではそれぞれの相棒が二人仲良く待っており、彼らの行き先が一緒であることが分かった。結局、四人で食事を、ということになったのである。トゥイユとジャンがもともと二人組であったことを道すがらに聞いた。同じ二人連れでそれぞれパートナー交換という形になった二人に対して親しみを持ってくれているようであった。
 トゥイユとジャンが二人を連れて行ったのは王宮の東大門に面する通りの中だった。市内の繁華街のような雑然とした雰囲気はなく、どちらかといえば上流階級に属する者たちが多い、落ち着いた雰囲気のある場所だった。トゥイユもジャンも、身分は低いながらも家柄正しい騎士であるので、こういった場所の常連であるらしかった。
 高級そうな呉服屋や宝石店、そして彼らの目的である料理屋が立ち並ぶなかで一行が入っていったのは、その中でも比較的規模の小さいものであった。それでも店先はきれいに掃き清められ、折々の花が店頭に飾られていたりと、清潔感に溢れていたし、内側もなかなかに洒落た造りであった。どうやら彼らの相棒たちのセンスはけっこう良いようであった。
 日乾し煉瓦の建物の内側を漆喰で塗り固めて、流木を埋め込んで壁のところどころにあしらってあり、その木の部分に鉢や花瓶を入れた籠、燭台を打ち付けて、店内に花と光が絶えないようにしてある。太陽が出ている間は美しい色ガラスの窓から、幻想的な照明が得られるようになっていた。さほど広くはない店の真ん中に調理場とカウンターを配し、その周りに六人から二人がけまでのテーブルがちょうど良い間隔で並べられている。昼時であるが客の入りはまばらで、たいした苦労もなく座れた。
「いらっしゃいませ」
 給仕の娘が水のグラスを置きながらメニューを手渡す。それもしつけがきちんと行き届いているようで、非常に感じが良い。
「ご注文がお決まりになりましたら、お手元の呼び鈴でお知らせください」
 娘はにっこりと微笑んで去っていった。アルドゥインやアインデッドの知っている、こういった料理を出す店では、文盲の客のほうが多いこともあって、メニューは板に絵で描かれているのが主流である。しかしこのメニューは紙に料理の名と値段だけが記されているものだった。 店の天井は高く、二階以上は無さそうだった。この時代、都会や観光地でない場所で宿屋を兼ねていない料理屋といえばけっこう値が張ったものである。だが差し出されたメニューを見るかぎり、それほど高そうなものはない。だからこそ、トゥイユとジャンも新人の相棒を誘ってやる気になったのだろうが。
「はじめに言っておくが、おごってやるつもりはないから、あまり高いものを選ばないほうがいいぞ」
 しげしげとメニューを見ていたアインデッドに、ジャンが告げた。アインデッドも、おごってもらえるなどとむしのいいことは考えていなかったので、黙ってうなずいた。トゥイユもそう考えていたらしく、アルドゥインに同じことを言った。だがアルドゥインははいともいいえとも言わずに、メニューの一つを指差した。
「これはどういう料理なんです?」
「読めないのか」
「料理の内容が分からないだけです」
 アルドゥインは穏やかに言ったが、内心今の発言にむっとしたということがアインデッドには判った。都市部でもないかぎり――都市部であっても、よほどの金持ちか頭のいいものでなければ読み書きなど習うことのできなかった時代である。トゥイユがアルドゥインを文盲だと思っても仕方のないことではあった。そういう意味では、読み書きができることは非常に有利なことでもあったのである。
(アルの奴がはっきり言ったことはないし、確証はねえけど、あいつ、俺と同じくらいの……少なくとも読み書きそろばん以上の教育を受けてるんじゃないのかな……)
 メニューの件で、アインデッドはそんなことを思い出した。アインデッドとアルドゥイン、サライ、アトの四人のなかで唯一、まだ読み書きが完全でないのはアトだけである。それも辺境で育ったので仕方のないことであり、宮廷勤めを始めてからある程度の基礎教育を受けたという。それでもたどたどしいものである。
 アルドゥインは過去を語らないので、彼の素性や生い立ちは判らないが、長い文章でもすらすらと読めたり、ある程度の教養がなくてはできない会話を返したりすることなどから、少なくとも読み書きは習ったことがあるだろうし、礼儀作法も学んでいるだろうと思われた。
(ほんとに、聞いてみてえなあ。こいつの生い立ち。意外に貴族のご落胤とかだったりするかもな)
 アインデッドの物思いもさて知らず、アルドゥインはメニューとにらめっこを続けていた。
「それは簡単に言えば羊肉を香草のソースで煮込んだものだ」
「メルヌの名物とかありますか?」
「これなんかはどうだろう」
「そうですねえ」
 どうせならここでしか食べられないうまいものを食べておこうと考えたらしく、アルドゥインはトゥイユに色々と訊ねて思案しているようであった。アインデッドはさっさと、いちばん最初に目に入ったものを頼むと決めてしまった。やがて四人ともどれにするかを決めて、呼び鈴を鳴らした。
 注文したものが来るまでのあいだ、トゥイユとジャンは王宮での噂話やメルヌの風物について色々と話してくれた。しかしながら噂話の類はトゥイユのほうが得手であるようだった。お返しにアインデッドとアルドゥインは沿海州の話を聞かせた。もちろん、ティフィリスの話は抜かしておいたが。
「今のティフィリス人が実際に我々に何か悪いことをしたわけでもないのだろうし、むろん悪い者もいれば良い者もいるのだろうが、人の心とは不思議なものだ。会ったことがない相手でも、悪いふうにしか聞かないとその相手を嫌うようになってしまう」
 何かの話に触れたとき、ジャンがそう言った。
「そう思ったのは、一度セルシャの使節としてマナ・サーリア・ラティン将軍がジャニュアを訪れたときのことだ。ティフィリス人の将軍など、と思っていたが、見たかぎり彼は非常に好ましい印象があった」
「それはいつのことです?」
 そんな話はついぞ聞いたことがなかったので、アルドゥインとアインデッドは興味を丸出しにして訊ねた。
「女王陛下が結婚なさったころだから、十五年ほど前になるか。そのころ私は王宮内の警備についていて、たまたま姿を見る機会があったのだ。彼とてティフィリス人、お互いに悪感情があっただろうに堂々とした態度で実に立派だった。大丈夫とか、快男児というのはああいう男のことを言うのだろう、と思ったものだ」
「同感ですね」
 アインデッドがそつなく答えた。
「国家レベルでは悪感情があっても、意外に個人のあいだでは良い関係を築けるものですからね」
 ティフィリスではそれほどジャニュア人を嫌うようなことはなかったものだが、それでもあまりいい気持ちはしなかったものである。だがジャンもトゥイユも、アインデッドがとうのティフィリス人だと知らないせいもあるが、初対面の彼らにも非常に親切で気さくであったから、アインデッドのジャニュアに対する感情はとてもよいものになっていた。そして自分がそう感じたように、二人にもティフィリスの事をもっと知ってもらって、好きになってほしいとも思った。
 そこまで喋ったところで、それぞれの注文したものが運ばれてきた。がっついたり、品の良くない食べ方は似合いそうもない店であったので、アインデッドは久しく忘れていたテーブルマナーを苦労して思い出しながら食事にとりかかった。
 ちらりとアルドゥインのほうを見ると、こちらもいつもの様子からは考えられないくらい上品に肉を切り、口に運んでいた。
(へえ……)
 アインデッドは感心しながら、アルドゥインの口許を見ていた。
(やっぱり、富豪か貴族の家のせがれなのかな)
 そこまで考えていたところで、アルドゥインと目があった。アインデッドの視線に気づいて手を休めると、なんだか困ったように言った。
「……なんだよ」
「別に」
「何でもなくてひとが飯食ってる様子なんか観察するなよ。気持ち悪いな」
 アルドゥインは顔をしかめて言い、また食事に戻った。
「あんまりお上品にお前が食ってるから、どこで覚えたのかと思っただけだよ」
 まさかアルドゥインに限って自分をそう思うことはないだろうが、あとの二人にシルベウスの病もちなどと思われては大変だったので、アインデッドは弁解しておいた。
「そういえばあんたたちは」
 トゥイユがふと気づいたように呟いた。
「傭兵だったな。それにしては上品なものだな。傭兵は礼儀などわきまえぬ、乱暴な者たちが多いが」
「俺たちは育ちがいいんです」
 平然としたままアルドゥインは口を動かし続けた。ジャニュアの料理はこってりとした味が多く、幾つもの味付けが組み合わされている。かなり手の込んだ料理法をとっているようだった。沿海州の、魚介類をベースにしたあっさりとした料理とはまた違うが、珍しさもあってなかなかに美味いものであった。
「これからどうする。宿舎に戻っても暇なだけだろう。何か予定はあるのか」
 一足先に食べ終えたジャンが、ナプキンで口許をぬぐいながら訊ねた。アインデッドとアルドゥインは顔を見合わせ、しばらくしてからアルドゥインのほうは予定は何にもないと答えた。ふだんならば剣の訓練でもするところだが、わざわざ訊ねたということは何か誘う所でもあるのかと考えたからだった。
「それなら、王宮の中を案内してやろう。警備をしている場所の地理関係を把握しておいたほうがいいだろう」
 得たりとばかり、ジャンとトゥイユがもちかけた。どうやらこの二人、仲が良い上に新人教育にも熱心なようであった。
「お言葉に甘えて、そうします。アイン、お前はどうするんだ」
「俺は遠慮しときますよ」
 アインデッドはナイフとフォークを置いてから、水を飲んだ。
「綺麗なものとか壊れ物がたくさんあるところとか、静かにしていなきゃいけない場所ってのが苦手なんで」
 幼いころ一度だけ行ったヤナスの神殿で、荘厳な雰囲気のなかで息を殺しながら、幾つも並んだガラスの燭台を粉々に砕きたくなる衝動に駆られて以来、どうもそういった場所にいるとわけもなくわめきだして、その場のものをめちゃめちゃに壊してしまいたくなるのである。そんなわけでアインデッドは、いくらただで食事をくれるといってもそのあと一度として神殿に行くことはなかった。
 そこまでの詳しい説明はしなかったが、ジャンとトゥイユは格式高い騎士らしく、それ以上立ち入った質問をすることはなくアルドゥイン一人だけを案内することに決めたようであった。
 アインデッドは少し考えてから言った。
「俺は一人で市内の見物でもしてますよ」


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