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     貴方と私は似ていませんか?
     私はジャニュア人であってそうではなく
     貴方はティフィリス人であってそうではない
     私たちはどちらつかずの哀しい存在なのです

          ――ユーリ・カルナ・ジャニュア



     第四楽章 月のカノン




 彼らの初仕事となるその日、二人はサライアの刻の二点鐘で目が覚めた。アインデッドもアルドゥインも、いろいろに思うことがあったのでい寝がての夜を過ごしたことは間違いなかったが、それでも二人は寝不足の影響など全く無いようであった。二人ともまだごく若く、体力もあったから、三日くらいならほとんど寝ずに過ごしたとしても大丈夫であったかもしれない。
 宿舎の一階はこの時代の宿舎が大体そのようなつくりであったように、扉を開けて入ってすぐが大きな吹き抜けになっており、ずらりと長いテーブルが並べてあり、それが彼らの食卓であった。アインデッドとアルドゥインが食事のために下りてゆくと、既に十数人がめいめいに座って慌ただしげに朝食をかきこんでいる最中であった。誰も二人には目を留めなかったし、留めたとしてもそれは短い間であった。
 アルドゥインもアインデッドもそれにならって、あまりあたりを見回したり、話しかけたりするようなまねはせず、ごくおとなしく厨房に行って割り当てられた食糧を受け取ると席に着いた。
 食事はミール麦を菜っ葉と肉と一緒に粥のように炊いたものとトウモロコシのパン、それに野菜と焼肉であった。量はたっぷりあったし、味はまずまずのところであった。傭兵二人組にとっては、食事の味や質よりも量の多少の方がずっと大きな問題であったので、これはまあ満足する部類のものといえた。
 慌ただしい食事が済むと、昨日のうちに支給された警備隊の鎧下と鎧をつけて身支度を整える。さすが特産品というだけあって制服やマントはすべて綿で、しかも上質のものであった。鎧は王宮内警備であるためかかなり華奢なもので、ジャニュア・ブルーの地に白で縁取りを施し、胸にジャニュア王家を象徴するツタのモチーフが打ち出してあるという、なかなかに洒落たものである。兜もジャニュア・ブルーで、こちらは真っ白い鳥の羽根が兜飾りについていた。
 前述のようにもともとジャニュアはその歴史を通じてほとんど戦争を経験していない国であるし、また彼ら自身平和の国、洗練された文化をもって世界に知られる国であること、中原には外れるが、クラインよりももっと古い国家であることを誇りに思っていたくらいだから、しぜん兵の装備が軽量化、装飾化されていったのである。同じことにはクライン軍にも言えたのであるが。
 初日ということもあって二人はかなり念入りにお互い変なところはないかチェックしあい、これなら大丈夫と意気込んで太后宮前の門に出向いていった。この時間に交代になる警備兵は彼らを含めて二十人で、ほぼ同時に宿舎を出た。ほとんどがアインデッドたちよりも年上のように見受けられた。太后宮の警備なのだから、それなりのキャリアのあるものがなるのだろう。
 食堂で彼らがアインデッドとアルドゥインに目もくれなかったのも、そんな(こんな若造が何故ここに――)という気持ちが多分にあったのだろう。リナイスの刻よりも十テルジンほど早く門前に着いたが、交代の号令をかける兵はまだ来ていなかった。待っている間に昨日案内をした騎士が門の横にある詰所から出て来、アルドゥインとアインデッドを差し招いた。
 前に出てゆくと、彼はさっと片手を挙げた。とたんに二十人ばかりの警備兵はぴしりと四列に並んだ。これにはさしもの傭兵二人組も面食らってしまった。
「紹介する。本日マナ・サーラの二十一日付けで警備隊配属になったアスキアのアルドゥイン、ならびにティフィリスのアインデッドだ」
 ざわざわ、と彼らのあいだにどよめきが起こる。
「アインデッドのことだが、本籍はティフィリスであるが、彼はペルジア人だそうだ。くれぐれも本籍地で差別することなどないように」
(余計なこと言いやがって――)
 アインデッドは心のなかでこっそりと舌打ちした。
 その騎士にしてみれば親切――自分の隊で不始末など起こってほしくないという気持ちもあっただろうが――で言ったことだろうが、アインデッドにはいい迷惑であった。彼はそういう点では非常に独立心の強い性格であったし、たとえティフィリス人だということで何かしらの差別やいじめにあうとしても、おのれにかかった火の粉くらいはおのれで払うつもりであったのだから。
 だがしかし、この言葉はかなり効果があったらしく、ざわめきの大半はそれで消えたのである。髪を事前に染めておいたのもよかったのだろう。
 一方のアルドゥインは、アインデッドに対するよりはずっと好意的な目で迎えられた。ティフィリス以外の沿海州とジャニュアのあいだには親しい国交もあったし、沿海州の人間が傭兵として入ってくることも別段めずらしいことでもなかったのである。それでも王宮警備などの重要な役職に就くことなどまれであったが。
「アルドゥインと組んでもらうのはトゥイユだ。アインデッドはジャンと組んでもらう。二人とも、よく指導してやってくれ」
「はい」
「はっ」
 きびきびした答えが返り、呼ばれた当人らしい二人の男が出てきた。それぞれに従って、アインデッドとアルドゥインは列に並んだ。間を置かずにリナイスの刻を告げる鐘が鳴り、二人一組になった彼らはぞろぞろと各自の持ち場に散っていった。アインデッドが担当となったのは宮殿の庭で、アルドゥインの担当は宮殿の南側の詰所であった。
 アインデッドとは南北に別れているので、仕事が終わるまでは全く会うことはない。アインデッドがティフィリスのことで面倒なことを起こすような心配は、アルドゥインはしていなかったが、相手にどんな待遇をされるかは少し心配していた。何より、アインデッドはああみえて根は寂しがり屋なところもあるのだ。
「アルドゥインとかいったな」
「はい。トゥイユさん」
「さんはいらんよ。……あんたたち、セシュス伯爵じきじきのお声掛かりだそうじゃないか。何かあったのか」
「さあ、判りません」
 もうすでにその噂が広まっているのか――と驚きながらアルドゥインは答えた。
「全く知りませんでしたよ。てっきり王宮外の仕事だとばかり思っていたのに、いきなりここですからね」
「まあ、セシュス伯爵は気に入った傭兵なんかを気軽に身近くお使いになる方だからな。おおかた斡旋所あたりで見かけられたんだろう」
 詰所に着き、制帽を小さな卓に置くと、トゥイユは一息ついた。彼は少し頬のそげた感のある、日に焼けた精悍な顔をしていた。見たところ三十をいくつか出たくらいだろう。栗色のゆたかな髭が印象的である。
「人事の方がそう言ってました」
 アルドゥインも相槌を打って制帽を置いた。ここで三テル、詰めていれば良いのだ。楽と言えば楽な仕事である。
「で、あのティフィリスの坊やは」
「何です?」
「ペルジア人なんだって?」
「何でも、親の商売の都合で生まれてすぐティフィリスに越してきたそうで、ペルジア生まれでも育ちはティフィリスなんですよ。色々言われるのが嫌だって、ここに来るのも大分渋ってましたよ」
「へえ」
 トゥイユの言い方にはどこかひょうげたような調子があった。
「ペルジアといえば、世界一弱い国だろう。あの坊や、やたら細っこいし、肌なんか一度も陽に当たったことのない娘みたいに生白いし、なんだかあれが傭兵かと思うとなあ」
「あれはあれでかなりの腕ですよ」
「でなけりゃ伯爵殿が目をつけられるわけはないだろうがね」
 彼は一人で納得したように腕組みした。
「ジャンがあの坊やの事をどう思うかが楽しみだな。あいつはけっこう、好き嫌いの激しいタイプなんでね」
 アインデッドのことはともかく、自分はこのトゥイユという男を好きになれそうだ、とアルドゥインは思った。王家に剣を捧げた騎士である以上、生まれも家もれっきとした家のものなのだろうが、傭兵の持っている独特の雰囲気と相容れるものを、彼はどこかしら持っている。
 どんなタイプの人間とでも、それなりの関係は築けると自負しているアルドゥインだが、長い間詰所に二人でいるのなら、気の合う人間同士のほうがよいに決まっている。彼もそう思っていればよいが、とアルドゥインは密かに考えた。
「俺たち、本当は四人で職探しに来ていましてね。もう二人は傭兵じゃなくて、使用人としてお屋敷に住み込みになったんですよ。それも偶然セシュス伯爵のお屋敷なんだそうです」
「そりゃあ奇遇だなあ。とすると、あんたとアインデッドはその二人に用心棒で雇われたということか?」
「いえ、二人とアインデッドが、たまたま同じ城で雇われたときに友達になって、一緒に旅していたところに俺が途中参加したんです。ともかく、雇う雇われるという関係じゃあないです」
「あんたみたいなやつの友達なんだ、きっといい人なんだろう。その友達とやらにも会ってみたいものだな」
「ええ、機会があったら紹介しますよ、トゥイユさん」
「だから、さんは要らんと言っているだろう」
「でも先輩ですからね」
 照れたように言うトゥイユに、アルドゥインは微笑みかけた。やはりこの男とは良い関係を築けそうだ。セシュスがあの《伯爵》であるかどうかはともかくとして、ここは居心地のよい職場になりそうだった。


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