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                              *


「どうしたんだい、その髪」
「髪の毛、どうしちゃったんですか!」
 夕方近くなってから宿に戻ってきたアインデッドとアルドゥインを迎えたサライとアトの第一声は、それだった。
「ほっとけよ」
 物珍しそうに彼を見つめるサライとアトの視線を避けるようにアインデッドは無愛想に答えて、恥ずかしそうに頭を掻いた。その髪は鮮やかな赤ではなく、ごく目立たない褐色に変わっていた。褐色といってもごく淡い色であったが、ほとんど完璧に赤色は消されている。不思議そうにまだ観察している主従に、アルドゥインが替わって手短に説明してやった。
 あの後アインデッドとアルドゥインは大きな都市ならばどこにでもあるあやしげなまじない屋やら薬屋、医者がひしめく横町に寄り、アインデッドはそこで髪を今の色に染めてきたのである。茶色にするつもりであったのだが、赤みを完全に消すためにはこの色がいちばん良かったのである。
 それもこれもこれ以上のトラブルを避けるためだと自分に言い聞かせ、心の奥底ではともかくも、とうに納得済みであったものの、やはり自慢の髪を染めたという行為はアインデッドにとっては相当にショックであったらしく、ずっとふさぎこんでいた。部屋に戻る前にも宿のおかみさんにとっつかまり、髪の色を戻してきたと答えると、彼女はにっこり笑ってこう言ったのである。
「まあやっぱり、その色のほうがずっと男前ねえ!」
 彼女にしてみれば褒めたつもりだったのだろうし、実際主人までがその方が似合うと断言してくれたのだが、髪の赤くないアインデッドはなんだかアインデッドとよく似た別人のように見えたのだった。
「で、いつまでお前はふさいでるつもりなんだ」
 呆れて、アルドゥインは今日で何回目かの台詞を言った。
「明日の朝マナ・サーラの刻まで」
 きっぱりとアインデッドは言い、ベッドにもぐりこんだ。サライはアルドゥインを見て、肩をすくめた。
「結局、王宮の方で傭兵のつてが見つかったってわけなんだね」
「ああ。明日編成が決まって、どこの隊に入るか判る。……あんたらの方はどうなんだ? 職を探さずにぶらぶらしていたわけでもあるまい」
 サライは頷いた。
「私もアトも、王宮の近くの伯爵邸で働くことになってね。誰だったかな」
「セシュス伯爵です。国王の外戚にあたる血筋の貴族だそうで、メルヌ城のすぐ右側にかなり大きなお屋敷をもっていらっしゃいます」
 そつなくアトが付け足した。
「そうそう。そのセシュス伯爵だ」
「セシュス? 妙な名前だな」
「そうでもないよ」
 サライは困ったように笑った。
「こっちの発音ではそうなるだけで、クライン風に言えばセシウス伯爵。ジャニュアは中原とはずいぶん発音が違うから、そういうふうに聞こえるんだ」
「へえ。俺の名前とかも、変わるのか?」
 彼らの就職先のことよりも、そちらのほうに興味がそそられたようで、アルドゥインは訊ねた。
「アルドゥインはアーディンになるだけで、そう変わりはないね。アトは変わらない。私はサライだから……変わらないか、サラになる」
 アルドゥインはそれを真似してみようと思ったのだが、ジャニュア訛り特有の、長音で喉に息が掛かる摩擦音はどうにも発音できなかったのであっさりと諦めてしまった。そして他の質問をすることにした。
「アインデッドはどうなる?」
「うん……アインだから……エンディートかな」
「わりあい変に聞こえねえな」
 アルドゥインは妙なことで感心した。
「そうだね。たぶん昔の人の名前だから、元の発音がそれほど変化する前に広まったんだろう」
「良かったなアイン、お前は明日からエンディートだ。な?」
 からかうような口調でアルドゥインは軽く言った。
「うるせえ」
 だがアインデッドはくるまっている布団の中から、くぐもった声で応えただけだった。いつもなら笑い飛ばすところだが、気がふさいでいるのであまり楽しくないらしい。アトがそれを見て忍び笑いをこっそりともらした。
「ま、発音の話はそれくらいでやめとくよ。それで、どうなった?」
「アトは作法のテストを受けただけで侍女の採用に通って、私も小姓勤めをするにしては年が行き過ぎていたけど、護衛団の一員として明日からそちらに住み込みになったよ。今日ほどこの顔で得をしたと思ったことはないな」
「確かに、得をしたな」
 アルドゥインは素直に認めた。
「じゃあ明日からは二人ずつ別れて別のところで生活ってことになるんだな」
「そういうことだけど、その伯爵邸は本当に王宮に近いからね。どこかで会うこともあると思うよ」
「会っても手なんか振るんじゃねえぞ」
 いきなり、アインデッドが布団から顔を出して呟いた。
「本当に、ゼーア人みたいに見えますね。髪の色を変えただけで」
 彼の発言を無視したように、アトはしみじみして言った。
「私も金髪にしてみたら、エーデル族みたいに見えるでしょうか」
「たぶん無理だと思うよ。君の顔立ちはどこをどうとってもエレミヤだから」
 苦笑しながらサライが答えた。
「アインデッドもゼーア人にしては細身すぎるよ。よく見たら違うとすぐわかるだろう。せめて混血でとおすんだね」
「忠告はありがたく受け取っておくよ」
 アインデッドは憮然とした表情のままで言い、また布団を顔の上まで引き上げた。
「夕飯は?」
「勝手に行っててくれ。今はあのオバちゃんに会いたくねえ」
 どうやら、昨日のアインデッドの作り話にいたく共感した宿のおかみに色々とティフィリス人の悪口を言われるのが一番こたえるらしい。残りの三人は互いに肩をすくめて首を傾げると、揃って階下に下りていった。
「あら、もう一人の方は?」
 彼らが下りてゆくと、残念そうな顔でおかみが尋ねた。それにはアルドゥインが愛想良く答える。
「ア……エンディートの奴、暑さにあてられちまったみたいで、寝てんですよ」
 彼はわざと、アインデッドの名をジャニュア風に発音した。もちろんアインデッドが聞いているはずもないが、なんとなく意地悪をしているような気になった。
「あらまあ」
 おかみはびっくりしたようだった。
「北の方は大変ね。娘さんは大丈夫なの?」
「はい」
 アトはにっこりと笑った。今日の夕食であるところの塩漬け肉と野菜の煮込みをつつきながらアルドゥインが説明した。
「俺は沿海州で、この二人はクライン出身なんですよ。北生まれは彼だけで、それに同じ沿海州でもあいつの育ったティフィリスはかなり北寄りですからね」
 この話は、今までここでしてきたアインデッドに関するどの話よりも正しかった。というよりも、全くの事実であった。
「それなら何か薬になりそうな物を持っていってあげたほうがいいのじゃないかしら? 水枕くらいならお客さん用に用意してあげられるけれど」
「お気遣いはありがたいですけど、あいつは世話されるのが嫌いなんで、遠慮しときます。それにあれくらいはほっときゃ治りますよ。暑さ負けなんて半分以上が気の持ち方の問題なんですから」
「ならいいけどねえ」
 さらに何か言おうとしたとき、店の奥からおかみを呼ぶ声がして、彼女はあわててそちらに駆け寄っていった。どうやら注文を受けているらしい。これでしばらく相手をしなくて済むと思ったので、アルドゥインはほっとした。
 夕食をゆっくりとしたためて、彼らがそれぞれの部屋に戻ると、アインデッドはもう立ち直った様子でベッドに腰掛けていた。アルドゥインが入ってきたのに気づいたらしく、窓の外を見ていた肩がかすかに身じろいだ。
「アインデッド、飯はほんとうにいいのか」
「ああ。一日食わなくたってどうにかならあ」
「オバちゃんが心配してたぜ」
「そんなら、俺は年上の女には興味ないって言っといてくれよな」
「気がつかなかったな」
 アインデッドはやっとくすっと笑った。アルドゥインは彼の隣に座り、彼が見ていた窓の外を見ようと身をかがめた。
「何見てたんだ」
「なんとなく空見てた」
 薄暗がりの中では暗緑色に光る瞳に、下弦よりも少し大きい月が映っていた。
「いつからお前はそんなロマンチストになったんだ」
「そういうのじゃなくて、さ」
 アインデッドはごろりとベッドに横になった。
「まさかジャニュアくんだりまで来ることになろうとは、予想だにしてなかったなと思ったんだよ。こないだのお前みたいにさ」
「ああ」
 アルドゥインは頷いて、アインデッドの隣に同じように仰向けになった。すすけた天井板は何かの模様のようにも見える。
「それでさ」
「ん?」
「俺がいつも災難をうまいところでよけちまうって話、したっけ」
「したさ。もう何回もな」
 アルドゥインはアインデッドのほうを見ずに答えた。アインデッドもまた、天井を見つめたまま話し出した。
「また予感がしちまってさ。早いとこジャニュアから出ていったほうがいいって。少なくともメルヌからは出たほうがいい。王城を出てからそんな気がしてならねえんだ。やっと就職が決まってやれやれって所なのによ……それでいて、ここにとどまっていれば何か俺の運命を変えるような出来事があるんじゃないかという気もする。それも、良い方向に変えるって予感が」
「矛盾してるな」
「だから、それがわからないんだ」
 彼はアルドゥインの指摘を素直に認めた。
「こんなことは初めてなんだ。今まで『早く逃げなきゃいけない』と思ったときは迷わず逃げてた。そうすれば俺にとって一番いい結果に、いつでもなったから。『ここにいなきゃならない』と思ったときは必ずツキがまわってきた。いつもそのどちらかだったのに、今日は違う」
「本能で生きてるお前にしては珍しく理性的だな」
 アルドゥインは皮肉ったのだが、アインデッドは気づかないようであった。
「ここにいたらやばい、ここにいれば何かある、どっちも俺の信じる予感だから、困ってるんだ」
「それは多分……」
 少し考えてから、アルドゥインは言った。
「お前の身に何か大変な事件が起こるが、それが解決すればお前にとっていい結果になる、そういうことじゃないかな」
「なるほど」
 感心したようにアインデッドは言い、アルドゥインの方に首を傾けた。そういうことか、と何度も口の中で呟いて、アインデッドは上体を起こした。
「アトの予知能力っていうのも、何か役に立つことはねえのかな。俺の予感を裏打ちするような予知とか、そんなもんがあの子にありゃあ助かるんだが」
 その話は初めて聞く話だったので、アルドゥインは興味をそそられて天井から視線を外した。アトはいつもサライにぴったりくっついていて、剣も武術も並ていどでしかない。なんでこんな少女がよりによってクラインの軍隊に入っていたのか、スペルの力をあまり知らない沿海州人である彼には理解しがたいものであったから、この話はとても興味深かった。
「アトさん、そんな力があるのか」
「詳しくは知らないが、予知夢とか、離れたところで起こったことを夢に見るんだと言ってた。大体が抽象的なものだから、自分なりの解釈やサライに解いてもらわないとその意味は判らないらしいけどな。サライが怪我をしたのを《見た》のが最初で、最近ではクラインを出ていくのを予知したって」
「へえ……。あの子に予知の力があったとは知らなかった」
「だが《見る》だけで避けられない予知だとしたら、心の準備くらいの役にしか立たねえじゃないか」
「変えられない未来を見るから本物なんだろ、きっと」
「じゃあ俺はただ単に勘がいいってことか……」
 アインデッドは妙に納得したようであった。その勘の良さも、命がけで世を渡っていかねばならない傭兵には必要不可欠な才能の一つである。アルドゥインもそれなりに勘が良いほうであるが、アインデッドほどの的中率はない。
「ただ単にって言い方はよせよ。いくさじゃ勘が悪けりゃ即死んじまうんだぜ?」
「わーってるよ」
 アインデッドはおざなりな返事をそれに返した。


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