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 先程の《伯爵》が加勢を呼んできたのかと、アインデッドとアルドゥインは身構えてそちらを振り返った。しかし予想に反して、現れたのはユーリとそう変わりがないか、少し上かと思われる年頃の少女が二人だった。どうやら彼女の連れだったらしい。
「ユーリ様、このようなところにおいででしたか」
「何事がございました、ユーリ様」
「あの男たちに襲われたところを、この方たちが助けてくださったのです。失礼のないようになさい」
「ですがユーリ様、今回は事なきを得ましたものの、もし何かありましたら、母君になんと申し訳をすればよいのか……」
「その話は後で聞きましょう。今はするべきことではありません。カトレアヌ」
 ユーリの口調に気取っているところや作ったところなどなく、実際に彼女が普段からこうしてひとに指図や命令をする立場にいる人間なのだということが窺い知れた。二人の侍女たちにも、この年若の主人を軽んじているような素振りなど見受けられない。
「アインデッド様に、アルドゥイン様」
 ユーリが振り返った。
「わたくしからの感謝として、お受け取りください」
 そう言うと、彼女はその腕に嵌めていた腕輪を外し、アインデッドに差し出した。つい受け取ってしまい、アインデッドはその重さにびっくりした。
「おい、こんなもの……」
 だが、顔を上げたときにはすでに、ユーリと侍女たちの姿は闇にまぎれて消えていたのだった。どうしたものかと、アインデッドはアルドゥインを見上げた。一年の年の差か、それとも華奢なティフィリス人とがっしりした沿海州人の違いか、アルドゥインのほうが心持ち背が高かったので、そうしないと視線が合わせられなかった。
「こんなものもらったってなあ……凄え、純金に緑玉だ」
「間違っても売り飛ばそうなんて思うなよ」
「判ってる。あのけったくそ悪い《伯爵》にばれないとも限らんし、どこで足がつくかわかったもんじゃねえ」
「そういえばお前、伯爵にやられただろ」
「たいしたことねえよ」
「見せろ」
 アルドゥインは有無を言わせずアインデッドの腕をとり、袖をまくった。レイピアの刃は剃刀のように薄いので、深い傷にはならないが非常に痛いし、また血がたくさん出るのだった。思ったとおり、傷は浅いがかなり長い切り傷になっており、血は固まりかけてはいたがまだ生々しく滲んでいた。アルドゥインはかくしから清潔な手巾を出して傷口に巻いてやった。
「くそっ、痛え」
 アインデッドはうめいた。
「本ッ当にお前、《災いを呼ぶ男》だな」
「いや、こんなのはまだ災いのうちに入らねえ」
 アインデッドはしごく真面目に答えた。これのどこがそうではないのだとアルドゥインは思ったのだが、いちおうその説明は聞いておくことにした。
「俺が感じる災いっていうのは、今すぐここから出ていかなきゃならねえとか、逃げなきゃなんねえって強く思うし、それに従えば絶対に俺だけは無傷で助かるんだよ。でも今は俺は逃げなきゃならねえなんて思わなかったし、現にこうして怪我をした。だからこれは災いにはなんねえんだ」
「便利だか不便だかわかんねえ判定方法だな」
 アルドゥインは奇妙に感心して言った。
「俺とっては便利だからいいんだよ」
 ちょっと気の短いものが聞いたら怒り出すようなことをアインデッドはけろりとした顔で言った。その場にルーディア砦にいたものなどがいたら、実際にそうなっていたかもしれなかった。
「長い道草になっちまった」
 二人はやっと宿に向かって歩き出した。彼らが殺した誘拐犯たちの死体や、まだ気絶している輩は朝になればいずれ誰かが見つけるだろうが、こんなたくらみに手を貸すような輩ではどうせろくなものでもあるまいと考え、あまり心は痛まなかった。
 結局、宿に戻ったのはヤナスの刻を大分過ぎたころだった。留守番組の二人が眠っていることを期待して、アインデッドとアルドゥインは彼らの部屋にいちおうご機嫌うかがいをしにいった。
「お帰り」
 アトは眠っていたが、サライは彼らの帰りをずっと待っていた。そしてずいぶん機嫌が悪くなっていた。懐柔策としてアルドゥインが彼の好物であるカディス果をみやげに買ってきたのだが、それは黙って受け取られただけだった。
「羽目を外したい気持ちはわかるけどね」
 サライはむっつりと言った。これから始まるであろう説教攻撃を一瞬にして悟って、アインデッドは目の前で激しく両腕を振ってサライの言葉を遮った。それでも眠っているアトを起こさないように、その声は慎重に低められていた。
「ちょっと待て! 俺たちだって無駄に飲んでたわけじゃねえんだよ! 色々と込み入った事情があって、こんなに遅くなっちまったんであって、本当はもっと早く帰るはずだったんだ。その理由を聞いて、それでも俺たちが悪いっていうなら、そんときゃあおとなしく聞こうじゃねえか」
 それも一理あると思い、サライはうなずいて話をするように促した。何か言おうとしたアインデッドを遮って、アルドゥインが説明した。
「本当はエレミルの刻にはここに戻っている筈だったんだが、そこの噴水広場で女の子が何人かの男たちに誘拐されかけてたんだ。それでその子を助けてやったんだよ」
「そうそう」
 アインデッドが口を挟んだ。
「いかにも悪党って感じの黒覆面に黒マントの暑苦しい奴らでさ、そんで、その首謀者みたいなのが伯爵って呼ばれてて、俺とやりあったら俺の顔を一寸刻みにしてやるとか気持ちの悪いことを言い出して――ああ、いま思うとあいつらを殺したのはまずかったのかもしれねえな。明日んなったら大騒ぎになってるかも知れねえし……とにかく、大変だったんだよ」
「殺さなければよかっただとか……言ったってしょうがないだろう。君って人は本当に、ものを後から考える人なんだから」
 サライが盛大なため息をついた。
「そういうことならまあ、仕方がないだろうね。人助けなんだし」
「疑ってるなら証拠もあるんだぜ」
 まだため息まじりのサライの言葉に少しむっとして、アインデッドはかくしからあの腕輪を出そうとした。
「疑ってなんかいないよ。それならいいんだ。とにかく、アインに何かあったのかと思って心配していただけだから。おやすみ」
 あっさりとサライは二人を解放した。アインデッドにとっては年下のサライにまた子供扱いされたような気がして少々面白くない気分だったけれども、それでも長々とまた夜が明けるまで説教を聞かされる羽目にだけは陥らなかったことを感謝した。
(あいつときたら、自分の寝る暇も惜しんで説教をするんだからな――! されてるこっちが心配になってくるぐらい一所懸命だから、なんとも反論できねえし……)
(アインの言っていた、サライの涙が出るようなお説教ってやつ、聞いてみても面白かったかもしれないな……)
 それぞれの思いを抱きながら自分たちの部屋に戻り、ランプを点けてアインデッドは腕輪をよく見てみた。明るいところで見てみると、想像していたよりもずっと高価なものであった。
 幅が二バルスほどあり、かなりの重量感と豪華さがあった。全体は金でできており、等間隔に透き通った緑玉がはめ込まれていた。地の金の部分には細かくツタの模様が浮き彫りにされており、よほど裕福な家か、貴族の娘でなければこんなものは持てないはずだった。
「やっぱり、まずかったのかな」
 ぽつりとアインデッドはつぶやいた。サライがつねづね嘆息していたアインデッドの《あとからものを考える》ところを初めて目の当たりにして、アルドゥインはなるほどと感心していた。
「さっきも言ったけど、売り飛ばしたり人に見せたりしないことだ」
「ああ」
 アインデッドはどこか上の空だった。いつもしている緑玉のペンダントをはずして腕輪と一緒に袋に押し込んだ。それから髪を解いて、寝台にごろりと横になった。何を思うでもなく天井を見つめながら、アインデッドはまた呟くように行った。
「なあアル」
「ん?」
「俺たち、明日傭兵の勤め先を探すだろ?」
「それが?」
 自分も寝支度を整えながら、アルドゥインは彼のほうを見た。アインデッドも体を反転させてうつ伏せになり、頬杖で上体を起こしてアルドゥインを見た。
「その勤め先がもしも《伯爵》のところだったらどうしよう、と思ってさ」
「……」
 ぞっとしない想像に、アルドゥインは顔をしかめた。行きずりの関係だが、陰湿な性格の持ち主だと言うことはわかる。何も知らずに雇われたら、その内容ばかりはどうも考えたくなかったが、何が起こるのかは明白である。彼が何を考えたのかアインデッドにも大体想像がついたようで、ちょっと上目遣いに眉を上げてみせた。
「で、俺はティフィリス人だしな」
「そんときゃあ、さっさとずらかれ」
 アルドゥインはきっぱりと言い切った。もとよりアインデッドもそのつもりではあったので、小さく頷いただけだった。
「ま、何をどう、今考えていたところで無駄だな。明日は明日の風が吹くってな」
 体を伸ばしながらアインデッドは軽く言い、布団をひっかぶってしまった。アルドゥインはサライがアインデッドに対してよくやる、呆れたように肩をすくめるしぐさをしてから、部屋の灯りを消した。

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