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 誘拐に関わった者たちをすべて捕らえ、牢に送り込んでしまってから、また黒マントの姿に身をやつした二人――アインデッドとアルドゥインがゾフィア城から馬で走り去っていった。その後をマナ・サーリアが率いる五百人の旗本隊が追いかけていく。目指す場所はゾフィア市郊外、風ヶ丘。
 誰も戻らなければガザーリーが現れるかどうか判らない。そういう理由で、逃げ出したていを装って、アインデッドとアルドゥインが風ヶ丘に向かったのである。
「しかし、きゃつは現れるだろうか」
 馬を駆りながら、マナ・サーリアは隣のサライに疑問をぶつけてみた。二十一才と三十八才という年の差こそあれ、マナ・サーリアにとってサライはよき相談相手たりうる武将の一人であった。
「さあ……。力のある魔道師なら、何が起こっているかくらいは把握できるでしょうから、来ないかもしれませんね……。でも、それほど力があるなら、しかも十二ヶ条に縛られない黒魔道師なら、最初からこんなまわりくどい真似などせず、そのまま城内に侵入してエリスペス様を拉致していたでしょうから、多分計画が失敗したことには気づいていないでしょう」
 サライはちょっと考えてからそう答えた。マナ・サーリアは判ったようにうなずいた。しかし沿海州は魔道とはあまり縁の無い土地柄である。どれほどの力があればそういうことが可能なのか、また正規の魔道師ならば必ず従わねばならない魔道十二ヶ条がいかなるものなのかも知らない。マナ・サーリアは将軍であったので、その制約のことは知っていたのだが、しかしそれでもなんだか釈然としなかったのは事実である。
 マナ・サーリアはまた、前を走っていく二騎に視線を戻した。同じ位の背格好で、同じ黒いマントを着ているので、どちらが誰なのかこの遠さでははっきりしない。長い髪がなびいているので、左がアインデッドであり、右がアルドゥインであると知れた。また、もう少し近づいてみればアルドゥインの方が背が高く、アインデッドはほっそりと痩せていることが判っただろう。
 ややなだらかな斜面で覆われ、山というには少し低いこの丘は、年中葉を落とさない木々がうっそうと茂り、下生えにはシダが多い。イェラント海からの風をこの丘がさえぎるために年中塩気を含んだ風が吹き付ける。それゆえにこの丘はゾフィア市民から風ヶ丘と呼び習わされている。
 その風ヶ丘に大分近づいてきたところで、マナ・サーリアたちは二人から距離を取り、ずっと離れた場所から森の中に入っていった。ガザーリーが指定した落ち合う場所はあらかじめ地図で確認していたので迷うこともなかった。
 その場所はすぐに見つかった。アインデッドとアルドゥインが小屋の前で待つ。マナ・サーリアたちは息をひそめて、しかしいつなりと飛び出せるように身構えながらそこをぐるりと包囲した。
「遅いな……」
 半テルも、待っただろうか。マナ・サーリアが痺れを切らして呟き、すでにこちらの動きを察知して逃げたのでは、となかば諦めかけたときだった。
「しッ……何か、おかしい」
 サライが軽く手で合図した。マナ・サーリアははっとして指し示された方を見た。空中にもやもやとした黒い塊が現れ、ふいにそれが人間の形をとった。魔道の国クラインに生まれ育ったサライにはお馴染みの、そしてあまり慣れない沿海州の者たちにはぎょっとするような光景だった。
「二人だけ?……失敗したのか」
 ガザーリーは開口一番、そう言った。アインデッドとアルドゥインは演技たっぷりにひれ伏して詫び始めた。
「申し訳ありません。ですがガザーリー様の下さったあの薬、まったく効かないばかりか逆に読まれているかのように迎えうたれ、頭も他のものも死んだり、捕らえられたりしてしまいました。かろうじて私とこやつめが逃げ出せたもので」
 アルドゥインがアインデッドを指して言い、アインデッドは顔をあげてなじるような口調で彼のあとを引き取って続けた。
「なぜ薬が効かなかったのですか、ガザーリー様。俺たちはあなたを信じてあんな恐ろしいことをやろうと決めたのに、どうして……」
「ふん。どうせそんなところだろうとは思っておったわ」
「なに……」
 これは演技でも何でもなく、二人は驚いた。
「お前たちが成功しようが捕らえられて殺されようがわしには関係のないこと。セルシャを脅かすことさえできればよかったのだ。お前たちがおめおめ逃げ帰ってきたのだけは計算外だったがな。まあ、すぐに仲間たちのいる冥土に送ってやるから安心するがいい」
 ガザーリーは笑い、手を組んで何事か呟き始めた。
「だましやがったのか、この黒魔道師!」
 アインデッドが立ち上がった。
「何とでも言うが良い。お前たちはどうせここで死ぬのだからな」
 からからと笑い、ガザーリーは二人が飛び掛っても剣が届かないところまでさっと退いた。
「そうはいかねえよ」
 平然とした声でアルドゥインが言った。
「どういう……意味だ」
 うっすらとした笑いがアインデッドの口許に起こった、さながらに獲物を見つけた悪魔のような表情だった。アルドゥインも、馬鹿にしたように鼻先で笑い、演技がかった仕草で両手を広げた。
「あんたはここで御用になるのさ。ガザーリー様」
 アルドゥインの言葉と同時に、ガザーリーは罠にはめられたことを悟った。誰もいないとばかり思っていた周囲を兵士たちに囲まれ、身動きできない状態に陥っていたのだ。しかも、同伴している宮廷魔道士たちの手によって、バリアーを張り巡らされている。これでは閉じた空間も使えない。
「あんたの計画は最初っからばれてたのさ。せめてあんたの手下、全員顔と名前を覚えておけばよかったのにね」
 アインデッドがいつもの悪魔的な微笑を彼に向け、とっさに閉じた空間で逃げようとした彼の喉元に素早く抜き身の剣をアルドゥインの剣と交差させた。人垣の中からマナ・サーリアがつと出てきた。
「白状しろ。誰に頼まれた。嘘を言っても始まらないぞ」
「……ダリア大公、トール閣下だ」
 ガザーリーの声は落ち着いていた。
「それは嘘だな」
 アインデッドが冷たく言い放った。ガザーリーより頭一つ分背が高いので、見下ろす格好になる。
「お前はどう見たってゼーア人だ。その言葉はゼーア訛りだし名前もな。他の誰をだませたって、俺はだまされねえぞ」
「それにセルシャの王妃はダリア大公の姪御。そのダリアの大公妃はセルシャ王の姉姫だ。そのダリアがセルシャの王妃を何の理由があって拉致すると言うんだ。お前、沿海州の結束を馬鹿にしていないか?」
 アルドゥインがとどめのように言った。
「くっ……」
 ガザーリーはうつむき、唇を噛んだ。
「くそっ……お前を道連れにしてやる!」
 ガザーリーは叫ぶと、一番長くて――こんな言い方をしてもよいものならば――手頃だったアインデッドの髪を掴み、引き倒した。アルドゥインはぱっととび退る。さすが傭兵同士、反応は素早いな、とアインデッドはこんな状態で感心した。
「放しやがれ、てめえ!」
「そうはゆくか」
 起き上がろうともがく喉元に短剣が突きつけられる。ガザーリーは神聖古代語(エロリア)の呪文を唱え始めた。
「地獄の闇より出でよ、キメラ!」
 ガザーリーは両手を広げ、魔道で操ることのできる数少ない悪魔の名を呼んだ。月光でできた彼の影が長く伸び、その黒々とした闇の中から狼の頭と獅子の体、蛇の尾を持つ、差し渡し五バールはあろうかという低級悪魔が姿を現した。そのままアインデッドの上に覆いかぶさるように、キメラは腰を落ち着けた。
「な、何しやがるてめえ! この俺にこんなバケモンをおっつけようってのか、ふざけんな、さっさと戻せ! うわっ!」
 押さえ込まれても、アインデッドは相手を口汚く罵っていた。ガザーリーはいいかげん我慢の限界にきていた。
「悪魔よ、まずこの男を贄として喰らうがいい」
 マナ・サーリアをはじめ、そこにいた面々はアインデッドを人質にされている以上、どうにも手出しできなかった。魔獣はいかにも知性のない、濁った目でアインデッドを見た。恐れを知らぬ彼も、思わず鳥肌立つような目だった。
「うわあっ、寄るなバカ野郎! 俺を食いやがったら承知しねえぞ。サライルの地獄の猛火にかけて、てめえを呪ってやる!」
 アインデッドはさんざん悪態をつきながら、どうにかして逃れようともがいた。まわりはどうしようもない。
「私があれを消滅させましょうか」
 アトがマナ・サーリアに申し出た。
「そういうわけにもいかない。アインデッドごと消してしまうかもしれない」
 そう言いながら、マナ・サーリアも焦っていた。アルドゥインも、出した剣を収めようもなくどうしたものかと考えた。悪魔がアインデッドから離れないかぎり、迂闊に攻撃できない。
「俺なんか食ったってうまくないぞ、止めろッ! あ――」
 魔獣がアインデッドの頭に牙を掛けようとした瞬間、ぴたりと動きをとめた。アインデッドが言った言葉に反応していた。その言葉はあまりに小さくて、他の誰にも聞こえなかった。
「汝は………か?」
 抑揚のない小さな声だった。しかしそれを聞き取った瞬間、魔獣は弾かれたようにアインデッドから飛びすさって離れた。すかさず、アルドゥインがアインデッドの体をすくいとる。それを待っていたマナ・サーリアは力を掌底に集めた。
 マナ・サーリアの手から放たれた炎は魔獣を包み込み、一瞬のうちに魔獣を塵に帰してしまった。ガザーリーはその隙に閉じた空間に逃げようとしたが、アインデッドがそれに気づいて剣を投げつけた。狙いあやまたずそれは魔道師の肩に突き刺さり、ガザーリーはばったりと倒れた。
「この野郎、これくらいですんだのが命冥加と思いやがれ……?」
 飽くまで彼は国に忠実だった。マナ・サーリアたちが駆け寄ってきたときにはすでにガザーリーは毒を飲んでおり、こときれていた。
「結局……首謀者はわからないか」
 マナ・サーリアが嘆息した。サライが肩を叩いた。
「エリスペス様は無事です」
「そうだな。とにかく、その危険は去ったな」
 マナ・サーリアは微笑みを返した。いつの間にか月は沈み、朝日が昇る頃だった。サライたちは一睡もしない夜をまた過ごしたのだった。その日の朝は仮眠を取る暇もなく、サライたち三人とマナ・サーリアは国王エミールに謁見することになった。
 第三十八代セルシャ王エミール・セルシャは、若干二十六の若い王だった。父王譲りの金色の髪は、母の灰色と混ざってすばらしいプラチナブロンドというかたちで現れており、海のような色の瞳をした青年王は、まずサライとアトの二人だけに会い、二人をねぎらった後、セルシャの永住権を与え、召し抱える用意があることを告げた。
「誠に有り難きお言葉なれど、私には将来仕えるべき君主がおりますゆえ、陛下にお仕えすることはできかねます」
 サライはそう答えた。
 二人が退出した後、エミールは、これは試みにアインデッドとアルドゥインにも同じ事を訊いた。
「イミル殿とアルドゥイン殿はどうかな?」
「恐れながら、その儀はご容赦下さい」
「俺も、今回のことは行きずりに巻き込まれ、義によって助太刀いたしたまでで、剣をお捧げするつもりは失礼ながらございません。その儀はご容赦を」
 アインデッドは一礼し、アルドゥインも退出を願い出た。四人ともにふられてしまったエミールはマナ・サーリアに苦笑した顔を見せた。
「私は魅力のない君主かな。マナ・サーリア」
「いいえ。魅力は充分におありです。ただ、サライは既に君主を決めておりますし、あの二人は自分自身に仕えているのですよ」
 マナ・サーリアは人を安心させる、あたたかな微笑みをエミールに向けた。エミールも微笑み返した。
「貴方のご友人が旅立つのではないか? 見送りに行かれたら良い」
「ではお言葉に甘えてそうさせていただきます」
 マナ・サーリアが退出した後、エミールは後ろに控えている妻を振り返った。
「君はどう思う? エリスペス」
 ダリア人は濃さはそれぞれながら茶系の髪を持っているが、大公家特有の赤みがかった金髪をふわりと肩に垂らし、その瞳と同じ薄い鳶色のドレスを着たダリアの美女、エリスペスはにっこりと笑った。
「わたくしには貴方が最高の旦那様ですわよ」
 まだ二十四のエリスペスと二十六のエミールは普通の王家同士の政略結婚と違い、お互いの意思による結婚をしていた。それはエミールの姉ルシーザとエリスペスの伯父トールも同じだった。それゆえに、セルシャとダリアの両国は何があっても助け合うという絆があった。
 所変わって、ゾフィア港。
 新たにアスキアの傭兵アルドゥインを加えて――というより、アルドゥインとアインデッドがすっかり意気投合してしまったのだが――サライたち一行はここからイェラント海を航行して砂漠の国ジャニュアに行く予定だった。
「サライ、マナ・サーリア将軍がお見送りに来てるぞ」
 アインデッドが甲板からマナ・サーリアの姿を認めて、サライを呼び止めた。
「マナ・サーリアが?」
 急いで下船する。確かにマナ・サーリアがいた。
「見送りはいいと言ったのに」
「私は見送りたかったんだ。元気でな。次に会える日を楽しみにしている」
「私も……。お元気で」
 サライはそっと友人の手を取った。そして固く握り合う。
「サライ」
 名を呼ばれて見上げると、マナ・サーリアは少し視線をそらして唇を噛んだ。
「あのアインデッドとアルドゥインという傭兵の事だが」
「二人が何か?」
「何やら心に引っかかるものがあるんだ。いや、悪い意味ではない。どうも、二人とどこかで会った事があるような気がしてならない、それだけだ。もちろん、別々の機会だ。あれほど目立つ容貌なのにはっきりと覚えておらぬということは、おそらくずっと昔のことなのだろう」
 サライは首を傾げた。
「でも、アインデッドもアルドゥインも、あなたに会ったことがあるなんて一言も言っていないが」
「だからだ」
 マナ・サーリアは力を込めて言った。
「私は、君が心配だ。君が心を預けられる友人を持ったことは喜ぶべきだが、何であれ素性を隠さねばならぬ事情を持った者と共にいるのは危険なことだ。くれぐれも気をつけてくれ」
「ええ、気をつけます。ほんとうに、来てくれてありがとう」
 アインデッドの声が上からかかった。
「早く来い! 出て行っちまうぞ!」
「さようなら。マナ・サーリア」
 上半身を覗かせているアインデッドとアルドゥインをちらりと見上げてから、マナ・サーリアはサライとしっかり目を合わせ、微笑んだ。
「ああ……さようなら」
 サライが甲板に戻ったときには、既に船は動き出していた。マナ・サーリアはいつまでもそれを見送っていた。もう別れを惜しむ人々の声も互いに聞こえなくなったころ、船に背を向けてマナ・サーリアははっと気がついた。
(そうだ……彼は……)
 振り返ったが、船は既に帆を広げて加速を始めようとしている。今更追いかけるわけにも、止めるわけにもゆかぬことは目に見えていた。マナ・サーリアは肩を落とし、ため息まじりに呟いた。
「奇妙な運命もあるものだな……」


*楽曲解説


「剣の舞」……ハチャトリアン作曲。
「小夜曲」……セレナーデ。夜に恋人の窓辺で歌う曲から。
「走舞曲」……クーラント。軽快で流暢な曲。
「夜想曲」……ノクターン。

おまけ・主人公らによる特別座談会


(場所はジャニュアに向かう船室内)
サライ「はい、座談会です。皆喋って喋ってー」(一人で手を叩いて盛り上がる)
アト 「って……サライ様……」(壊れ気味なサライを心配そうに見る)
アインデッド(以下アイン)
「えーっと、じゃあ、この話の概説をしようじゃねえか。こいつは作者が十歳のときに思いついて、中座した話だそうだ。アトの出てくる冒頭部分だけは変わってないらしいが、クラインは砂漠の中の王国って設定で、サライは茶色の髪と目で、ターバン巻いてたって(にやりと笑う)。出てくる国はクラインとメビウスだけで、当初から生き残ってる登場人物はサライとアト、クライン皇帝と二皇女、パリス皇子、三巻から登場のナカル女王とユーリ王女だけだそうだぜ。ちなみに、ユーリ王女は最初はユリアって名前だったんだ」
アルドゥイン(以下アル)
「お前、ばかに詳しいな」
アイン「まあな。(ちょっと自慢げに胸を張る)だから今のは三回目の書き直し。ちなみに俺は二版から、アルは三版からの登場人物」
アト 「ということは、私の方が年上なんですねっ♪」(やや嬉しそうなアト)
アイン「ああそうだな、あんたのほうが年増だな」(鼻で笑う)
アト 「な、なんですって!」
サライ「はいはい、喧嘩は後にして。せっかくフリーで喋れる場所なんだからさ」
アル 「一番年寄りくせえの、この人だよ……」(ぼそっと呟く)
アイン「それにしてもまあ、突っ込みどころの多い話だよな、この回。一応可能な高さは計算したらしいが、塔から川にダイブとか、俺とアルがお許しをーなんてひれ伏したり、サライは昔取った杵柄を振りかざしてみたりしてるし。ベタな誘拐ネタとかさ。さすが中学生の想像力ってのは貧困だな」
サライ「私が昔取った何を何だって?」(睨む)
アル 「あんた、その綺麗な顔でごまかしてるんだろうが、絶対性格悪いぜ」
アト 「アルドゥインさん、けっこう身も蓋もないこと言いますね……。で、お二人に私聞きたかったんですけど(サライとアインデッドを振り返る)どうして私がさらわれるのを黙って見ていたんですか? 二人とも起きていたんですよね。あれちょっとひどくないですか? ほんとに怖かったんですよ」
サライ「それはね、宿屋でどたばたすると迷惑だからだよ」
アト 「……ほんとにそれだけですか?」(疑惑の眼差し)
アイン「サライ、話変わるけど、お前ラティン将軍にさっき何を言われてたんだ?」
サライ「それは内緒。君が悪魔に何を言ったのかも内緒だろ?」
アイン「は? 俺、何か言ったっけ? バカ野郎って言ったあれか?」(困惑する)
アル 「気にするな。ま、とにかく俺の参加で、主人公三人が出揃ったんだろ。まずはめでたいって事で、そろそろ飯にしようぜ」
アト 「あら、三人って……私は?」
アイン「知らなかったのか? お前はレギュラー脇役だよ」
アト 「……」
(この後、落ち込むアトを慰めつつ船の食堂へ)

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