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     セラードは銀色の髪と紫色の瞳を持つが、
     時折金髪や金目の者があらわれる。
     このような者はサライアの特別の加護を
     受けて生まれた者とみなされ、
     その名は太陽や光に因むのが常である。
                    ――プリンキウス
                博物誌・《民族の章》より




     第四楽章 リナイスの夜想曲




 太陽は海に沈み、やがて蒼ざめた月が中天にかかった。セルシャ王妃エリスペスの寝所には、選りすぐられた近衛兵が待機していた。アルテミア宮の至る所に彼らは配備されている。アルドゥインの情報によって、誘拐犯たちが使うであろう白蓮の粉を無効化するために解毒剤を服用し、さらにもしもの場合として黒蓮を使う可能性もあるというのでその
解毒剤ももちいられていた。
 最初は一介の傭兵であるアインデッドとアルドゥインの話を信用していなかったエミールも、今まで起こった事件の内容とを照らし合わせて納得し、早速王妃を護る体制が取られた。マナ・サーリアや大臣たちと相談しながらとはいえ兵の配備を考え、すぐにそれを実行に移した行動力などの点から見れば、エミールは若輩呼ばわりされるとはいえ立派な国王であったと言えよう。
 まだ巷の夜は早いのだが、ゾフィア城内ではすでに明かりは落とされ、おぼろな常夜灯だけがほの暗く廊下を照らしている。いつもならばもう少し人通りのある広間や廊下も、早めに女官や小姓を下がらせて無人にしている。
「すべての隊の配備が終わりました」
 その声に、マナ・サーリアは振り返った。月明かりのなかでは色がよく判らないが、彼は愛用の紅の鎧に身を包み、ラティン家代々の家宝である〈紅月〉をしっかりと握っていた。それはその名のとおり三日月の形をした剣で、柄に紅玉を幾つも象嵌し、刃にも細かな篆刻をほどこした見事なものであった。
「サライか……」
「きれいな月ですね」
 サライは何故かそんなことを口にした。確かにこの日、ゾフィアはめったにないほどの月の明るい夜だった。
「ああ。どうかしたのか?」
「いいえ。……さっき、エリスペス様がおやすみになられたので。そのことと、警備が完了したと」
「そうか」
 マナ・サーリアはバルコニーの手すりに身をもたせかけた。かすかな潮風の香りが漂ってくる。サライは借り物の鎧をきちんとつけ、ルーディアで手に入れて以来、ずっと使っいる長剣を腰につるしていた。
 セルシャ人か、ゼーア人のような金髪は、蒼い光のもとでは銀色に見える。マナ・サーリアは友人の横顔をしばし見つめていた。マナ・サーリアにとって男の美醜などあまり関係ないし、ましてやいくら美しいからといって別に男とどうこうしたいといった気持ちはかけらも持ち合わせていないのだが、それでもやはり見るものをどきりとさせる妖しい美貌であった。
(国外追放などとは、あの皇帝陛下もよくやったな。まあ、そのおかげで事前に今回の事件を知ることができたし、対応もできたが。……まだ二十一になったばかりだというのに、サライも大変だな)
「お二人さん、なにやってんだい? お、月が綺麗だな」
 調子っぱずれな鼻唄を歌いながら陽気に現れたのはアインデッドだった。彼は鎧を着ず、誘拐犯と同じ黒マントといういでたちをしていた。アルドゥインと二人で彼らの間にもぐり込み、逃げおおせることの無いように間違った道を通らせて中庭におびき出し、捕らえる作戦であった。
「別に私たちは月見をしているわけじゃない。君と違って私は当事者なんだ。それより、うちの兵たちに間違って斬られる、なんて事がないようにしてくれ。それから、もう一人は何してる」
 マナ・サーリアは最初からつっけんどんだった。彼を少しでもただ者ではないのではないかと疑った自分がよけいに腹立たしかったからだ。
「俺はそんな間抜けじゃないですよマナ・サーリア将軍。ここで見張ってるやつらの所を全部廻って、顔を覚えてもらいました。それからアルドゥインなら、今王宮の見取り図とにらめっこしてますよ」
 アインデッドはサライの隣で手すりに軽く腰掛けた。
「そんなに簡単に覚えられるかね。それに、君のほうはいいのか。ここで迷っても責任は取らないぞ」
 マナ・サーリアは相変わらず突き放した調子だった。
「大丈夫。俺ほどの絶世の美男はこの世に三人といやしません。それから閣下。平民だからって俺の記憶力をなめないでください。たとえ百年後にまたここに来たって、正確に通ってみせますよ」
 アインデッドは自信たっぷりな様子で答えた。マナ・サーリアは少し呆れていた。確かに綺麗なことは綺麗だし、学のない傭兵にしては頭の回転も早いが、この自信過剰だけはどうにかならないだろうか。
「三人って?」
 サライの方は彼の自信過剰をあまり気にしていないようだった。
「一人はサライに決まってるだろ。俺がきれいだと認めた男は後にも先にもサライだけだからな。ま、あと一人はアルドゥインかな。あいつもけっこう渋い二枚目だ」
「別に認めてもらおうとは……」
 サライが何か言おうとして、口をつぐんだ。マナ・サーリアはサライの肩を一つ叩くと室内に戻った。振り返り、言い訳のように呟く。
「見回りに行ってくる。あと少しでヤナスの刻を知らせる鐘が鳴るはずだ」
 取り残された二人は、互いに何かいい話題はないかと言葉を探していた。
「アイン……さっきの話だけど……」
「何?」
「本当に顔を覚えさせたわけじゃないんだろう」
「ばれたかい。白状するぜ。本当は、これと合言葉さ」
 アインデッドは胸元の緑玉のペンダントを探って振って見せた。ちょうどアインデッドの手のひらくらいの大きさで、金の台座にはめ込んで金鎖を通してある。ずっと前から持っていたものらしいが、サライがそれを見るのは初めてだった。
「それ……何?」
「母さんの形見。何だかよくわからねえ。でも宝物さ」
 アインデッドはペンダントを放した。
「それから、合言葉のことだけど、こっちにもいた、曲がれ、そう言ったやつは味方だから攻撃するなって言っといたんだ。それにしてもいい月だな。こういうときはナカーリアなんだろうけど、月女神リナイスのご加護があるようにお祈りでもしとこうぜ」
「月は……嫌いだ」
「どうしてさ」
「私が妹を……リナを殺してしまった事を思い出させるから……」
 サライの、ブルーのトーンにくっきりと照らし出された横顔を見て、アインデッドはぞっとした。サライの整えられた華奢な指先が、彼によく似た美少女の首筋に巻きつくのを想像したからだった。
「死体が見つかったわけじゃないから、どこかで生きてるかもしれない。でも、もう半分がた諦めてる」
 サライはうつむいた。アインデッドは口出しせず、サライが話したいなら話せるように黙って隣に立っていた。
「私はダネイン州のディユという村に住んでいてね……。父と母と祖母と、妹の五人家族で。私は金髪だったから、太陽――サライ。妹は月に因んでリナ。妹は普通の、銀髪だった。その村で私は十まで育った。そして、あの日が来たんだ」
「あの日?」
 アインデッドはやっと聞き返した。
「そう。村を悪魔が襲って……助けが間に合わなくて、村は全滅した。私の両親も祖母も、目の前で……。私は妹を連れて逃げたんだけど、妹が捕まってしまって――それで、初めてスペルを使ったんだ。本当に、初めてだったんだ。あるのは知っていたし、使えるのも知っていたけど……それがあんなに強いものだとは思ってもみなかった。あっと言う間に悪魔は殺せたけど、何も残っていやしなかった。悪魔もいない、祖母も両親もいない。妹もいない……。私はその一瞬で全てを失ったんだ。それも、この手で、消した」
 サライは広げた両手が今も血に塗れているかのように目を落とし、他人事のように淡々と語った。
「あの時、私がスペルを解放しなければ良かったのに……夢中だった。気がついたら足元に母さんの腕が落ちていた。皆……もしかしたら、あの悪魔に捕らえられていても生きていたのかもしれない。だとしたら私が殺したんだ」
 サライはおもむろに顔を上げて、アインデッドの瞳をひたと見据えた。何もかも見通すような、ぞっとする視線だった。
「私の人生は血にまみれている。それこそ殺人鬼なみにね。それでもアインは私を綺麗だと思えるのか?」
 悲しい瞳だった。アインデッドは一瞬、サライの心の中で口を開け、血を流しつづける傷口を見たような気がした。サライの過去に何があったのかは判らなかったが、急にこの青年が、まだ十才の傷ついた少年のままのような気がした。
「綺麗だよ」
 真っ直ぐに見返してくるアインデッドから視線をそらすようにサライは目を閉じた。
「そんなのは事故だろうが。お前がそうしていなければ、その悪魔はお前も殺し、また次の村を襲っていただろう。だとしたらお前は少なくとも、悪魔が次に襲うはずだった村の人間を救ったんだ」
「……そうかな」
「そうだよ。事実はきちんと受け止めろ。それにな、人殺しっていったら、俺のほうがよっぽどだぜ。お前、本当の戦争なんてしたことないだろう」
「……ああ」
 アインデッドは手すりから降りた。
「ありゃあひでえもんだぜ。朝に一緒に飯を食った仲間が、夕方には死体になってるんだ。やらなきゃやられるから、俺もずいぶんと殺した。お前は妹のためだったが俺は俺のためだけに人を殺すんだぜ? それとこれと、同じとは言えねえよ」
 さとすような口調だった。
「お前さ、月光を浴びると銀髪に見えるな」
 突然、アインデッドが話題を変えた。サライはうなずいた。
「不思議だと思わなかったか? 私はセラード人なのに、金髪だから」
「まあな。混血かとも思ってた」
「セラード人には、ごく稀にだけれども金髪とか、金目の子供が生まれるんだ。……面白いだろう。月の光でこうなるんだ」
「ああ。光で思い出したけど……俺な、ずっと前に――そう、十二かそこらの時だったかな。傭兵になろうって決めた時だ。ローラン婆っていう、ちょっと頭がいかれちまってる婆さんだったが……その婆さんに不思議な予言をされたんだ」
「どんな予言?」
「お前はいつか一国の王になる。歴史に名を残すような王に。そして〈光の天使〉がお前を玉座に導くだろうと。……俺はそれを信じてるんだ。今はまだ何にもなっちゃいないが、いつか自分の手で運命を変えてみせる。〈光の天使〉が誰かは判らないけど」
「天使……か。鳥の羽が生えてる、サライアの使いだっけ」
「一説には子供もそうだ。サーラインとサーライナには翼がある。それから、ヴァルキュリアにもな」
「それは知らないな……」
「ティフィリスの伝承だからな、これは」
 アインデッドが言った。どこからか鐘の音が風に乗って聞こえてきた。サライは腰の剣をしっかりと握り締めた。階下に人の新しい気配を感じた。
「来た……!」
「そのようだな。ちょっくら行ってくるわ」
 まるで散歩にでも行ってくる、といった感じでアインデッドはゆっくりと歩き出した。サライは心配だった。アインデッドは調子に乗って馬鹿なことをしそうなタイプの人間でもあった。
「慎重にね」
「わかってるよ」
 アインデッドはうざったそうに振り向いた。まるで女房に要らぬ心配をされて照れながら怒る旦那みたいな表情だった。
「俺はアインデッドなんだから」
 サライはバルコニーに残っていた。思い出したように、ディンのものだった長剣をなぞる。アインデッドの言葉がよく判らなかった。アインデッドなんだから、というのは何かの理由になるのだろうか。


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