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                                  *


 ルーディア砦は巨大な火葬場と化して、燃え続けていた。
 それを皮肉っぽく、シニカルな笑みを口許に浮かべて見つめている男が一人いた。夜になってもまだおさまらない砦の炎は、四バルほど離れたこの中州からもよく見えた。彼の傍らには、昼頃に流されてきた二人連れが今も気を失ったまま横たわっていた。一人は、砦の侍女のお仕着せを着た、背中の中程まである青黒色の髪の小柄なかわいい少女で、もう一人は金髪で、女のような顔立ちの青年。
 彼は、二人を横目でちらりと見て独り言をぶつぶつ言っていた。
「なんだって二人とも、もちっとましな女じゃなかったんだ? こんなやせっぽちの小娘、抱いたって楽しかねえし、遊郭に売ったってタダ同然の値段しか付けられねえに決まってる。それにこの金髪。廓に売れるような玉じゃないし。……品がありすぎるな」
 品定めするような目つきで二人を見ていると、青年のほうがうっすらと目を開けた。焚き火に照らされて、瞳だけが炎のように赤く輝いていた。青年が視線を動かし、こちらを見た。
 サライの目に映ったのは、いつの間に暮れたのか、満天の夜空と、じっと自分を見つめている赤い髪の少年だった。暗いせいで、お互い顔は良く見えなかったが、初めて会った気がしなかった。
「目が覚めたか。喉乾いてねえか?」
 ぞんざいな口調であるけれど、気づかってくれているようだった。それに声に聞き覚えがあった。
「ありがとう……喉は乾いてない。君が私たちを助けてくれたのか?」
 金髪の青年が起き上がって、訊いてきた。その様子はなんとなく、美しい彫刻が生きて動き出したという伝説のような雰囲気だった。なぜか、声や話し方に、どこか聞き覚えがあった。
「そう。俺があのルーディア砦から逃げてきて、ここで休んでたらあんたたちが流されてきたんだ」
「ルーディア? 私たちもそうだけれど」
「そりゃ奇遇だな。それにあんたとは前にどこかで会ったような気がする」
「私もそんな気がしてならないと思っていたところだ」
 そう言って、サライはもう一度相手を良く見た。
 少年だと思っていたけれど、それにしては背が高いし、声も低い所を見ると、年はサライとそう変わらないようだった。痩せているからそう見えるのかもしれない。
「アインデッド……さん?」
 ふと、声だけの隣人を思い出していた。陽気なところや、まったく訛りの無い完璧な中原語には聞き覚えがある。それを聞いて相手も手を叩いた。
「サライ?」
「そう……私はサライ・カリフ。ということはやっぱり……?」
 相手は嬉しそうにサライの肩を抱いた。
「そう! アインデッドだよ! 覚えてたんだな」
 アインデッドはほぐれたように陽気に喋りだす。
「じゃあこの娘があんたの言ってた娘だな。それにしてもあんたも上手く逃げたな。俺がこの中州にたどり着いて、一息ついたら今度はいきなり城が燃え出して……何があったんだ?」
 アインデッドがそこまで話したところで、アトが目を覚まして、しきりにむせた。サライは傍に寄って、背中をさすってやった。
「おい、大丈夫か?」
 ふいにサライ以外の声がして、アトは小さな悲鳴を上げた。サライがアインデッドとの成り行きを説明して、やっと得心がいったようだった。
「私、アト・シザルです。助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。お礼はあんたの彼氏に言いな。サライがいなかったら俺はあんたを売り飛ばしちまおうと考えてたんだから」
「かっ……彼氏ではありません! 私の上官です!」
「はいはい。ごめんよ」
 アインデッドはさっきの悲鳴が気に入らなかったらしく、まだ不機嫌だった。
「ところでサライ、あんたの身の上を聞かせろよ。俺も話してやるからさ」
 アインデッドはサライのほうに向き直って、話しかけた。
 サライは身分を明かさなくてもよいように、適当なところで話を編集して喋った。クライン皇帝に仕えていたけれど、些細なことで国外追放になったこと、アインデッドが脱出してから、ルーディア砦で起こったこと……
 アインデッドはサライが話している間中、終始無言だった。彼は非常なお喋りではあったけれど、聞き上手でもあるようだった。
「それで、アインデッドさんは?」
 アトが話して欲しいと言わんばかりに尋ねた。
「さんはいらねえよ。アインでいいさ」
 アインデッドは機嫌を直したらしく、アトにウインクしてみせた。
「じゃあアインデッド、君の身の上も聞かせてくれ」
 彼は小さく頷いて、語りだした。
「俺はティフィリス市のディシア地区にある酒場で生まれたんだ。嵐の夜に。親父の名前は知らないけど、縁起担ぎが好きだったんだろうな。だからアインデッドなんていう、誰もつけそうもねえサーガに出てくるティフィリスの英雄の名前をつけられちまった。で、俺によくそう言っていたおふくろは三歳のとき死んじまって、それからは酒場女や博打打ちに育てられた。三歳までは一応真面目に生きてたんだけどな。育ての親が悪かったのか、六歳でいっちょまえに賭場でサイコロ振りをやるようになって、十一で傭兵になった。それからが大変さ」
 そこまで言って、彼は口を閉ざした。けれど、その顔は何か良いことを思い出したようで嬉しそうだった。
「それから……どうなった?」
 サライが訊いたとき、アインデッドは少年のようにはしゃいで、陽気に言った。
「十五でティフィリスを出奔するまでは生涯で一番素敵な時代だったよ」
「それって何?」
 アトがつまらなさそうに訊くと、彼はいたずらっぽく笑って答えた。
「あんたともっと仲良くなったら、ベッドの中で教えてやるよ」
 アトはその言葉の意味がよく判らなかったが、サライが冷たく言い返した。
「つまらないことを言わないでくれ」
「まあ、そんなに怒るなって。話はまだ続くんだから。俺はちょっとした事件のせいで、ティフィリスを出奔した後、ダリアで傭兵をしてたが、ある貴族の女が俺に浮気心を抱いちまって、そのせいでその女の旦那と決闘をする羽目になり、その女は自殺して、旦那のほうは俺に重傷を負わされて一生寝たっきりになっちまった。結局一年とダリアにはいなかったな。それからセルシャに行ったり、エトルリアで盗賊をやったり……メビウスにも行ったっけ。エルボスには海賊をしてたときにちょくちょく行ってた。まだ行ったことない大きな国って言ったら、ロスとジャニュアくらいだな。そんで、最後に来たのがここさ。それにしても俺って数奇な運命の持ち主だよなあ……」
 アインデッドは既に自分の世界に浸りかけていた。
「何処に行ったって必ず何かの頭になっちまうし、絶対に厄介ごとに出くわしてそこにいられなくなるし。ついた仇名が〈災いを呼ぶ男〉だとか〈悪魔の申し子〉だもんな。やっぱり俺が美形すぎるのがいけないんだな」
(真っ暗であなたが綺麗かどうか判るはずないじゃない。それにサライ様より綺麗な男の人が二人といてたまりますか)
 それを聞いて、アトはひそかに心中で毒づいた。サライは静かにその、嘘のようなうち明け話を聞いていた。
 次の日、いちばん最初に目が覚めたのはアトだった。
 二人の青年は夜遅くまで喋っていたらしい。アトが眠る直前まで話し声がしていた。今、彼らはアトから少し離れたところで眠っている。アトはうっとりとサライを見つめていた。全てを奪われた、この美しい主人に仕えているのは自分だけだという、密かな優越感に浸っていた。
(やっぱり……綺麗な方。皇帝であっても貴方の誇りは奪えないし、譬え時が過ぎてもヤナスは貴方の美しさを奪うことができないでしょう……)
 それは、恋心というよりも、純粋な憧れに近いものだった。アトが身を起こそうとした瞬間、眠っていたはずのアインデッドが弾かれたように起き上がった。
「きゃあっ」
 びっくりしてアトが声を上げると、サライも目を覚ましてしまった。
「ご……ごめんなさい……」
 アトは頬を真っ赤に染めて謝った。
「どっちに言ったかは知らないが、俺に謝るこたあないぜ。わずかな物音でも目を覚ますように自分を訓練してきただけだから」
 アインデッドが長い髪に手をやりながら言った。サライも苦笑した。
「気にすることはないよ。いつまでも寝ているわけにはいかないんだから」
 そう言われてやっとアトは安心して、あらためて、明るい太陽の光の下でティフィリスの傭兵を見てみた。
「あら」
 自分の顔を見た少女が、きょとんとした顔で自分を見つめているものだから、アインデッドは変な気分になった。
「何だよ。俺の顔になんかついてるのか?」
 アインデッドの言葉に、アトはぼんやりと首を振った。
「いえ、何もついていませんけど、サライ様くらい綺麗な男の人が二人といるとは思っていなかったものですから」
「何だよそれは……」
 アインデッドは言いながら、どんなものかと隣のサライの顔をまじまじと見つめた。サライがちょうどよくこっちを向いた。
「へえ……」
 太陽の陽射しのような柔らかな金髪は、夜のうちにすっかり乾いてさらさらと風に弄ばれていた。男にしては大きい、澄んだアメジスト色の瞳。すらりととおった鼻梁。ミルクに浮かべた薔薇の花びらのような可憐な唇。軍人らしからぬほっそりとした体つき。女性だといっても充分に通用するだろう。
「確かに……俺より素敵な男がこの世にいるとは思っちゃいなかったが、あんたその顔だけでいくなら絶対にセルシャ女より綺麗だな」
 ちょっと残念そうにうなったあと、アインデッドはあきれたように川面に石を投げた。セルシャの女、といえばクライン人のそれくらい、美人で有名である。サライはその褒め言葉とも思えない褒め言葉をありがたく受け取っておいた。そして、そこで初めて相手の全体的な姿を見ることになった。
 確かにアインデッドはたいへんな美青年であった。サライのような甘い美貌ではないが、燃えるように赤い髪は後ろできっちり束ねて、背中に垂らしてある。形の良い鼻やきりりと引き結ばれた唇は、一見酷薄そうにも見えるが、微笑むと誰をも味方にしてしまいそうな無邪気な表情になる。
 痩せて尖った顎のせいか、年はサライより一才上の二十二だと聞いていたけれど、二十になるやならずくらいに見える。彼は何も言わなかったが、混血らしい。純血のティフィリス人なら赤みがかった茶色か真紅の瞳のはずだが、狼のような野性的な光を持つ切れ長の瞳は鮮やかな緑色をしていた。幾分痩せすぎとも言える体つきではあったが、鍛えられた、傭兵の逞しさをそれなりに持っていた。サライはアインデッドの観察をやめて、アトに告げた。
「話を変えるよアト。昨日アインデッドと相談したのだけれど、しばらくの間、この三人で行動することに決めた。何と言っても私たちはまともに旅なんかをしたことがないから、ここは経験豊富な彼と一緒の方が何かと有利だし……」
 アトが口を挟む余地はなかった。
 彼はいささか陽気の過ぎるところがあるけれど、寝込みを襲われても剣を隠し持ってゆくだけの機転をいざというときに働かせることができるのは、ルーディア砦の一件で証明済みであった。
 それに、どんなに疲れて眠っていても、周囲の変化を敏感に察知して目を覚ますこともできるのだから、頼りになりそうなのも事実だった。
「と言うわけだ。よろしくな。お嬢さん」
 アインデッドは何の邪心もない顔で微笑んだ。
「話は昨日、サライから全部聞いたよ。あんたも大変だな。主君がくだらねえ奴だと、苦労するのは忠臣だって昔から言うもんな。でも偉いよサライはさ」
 サライは何も言わず、照れたように笑っていた。


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