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     ひとは全てサーラインに命を享けし者、
     ヤナスの定め給うまま在りし者、
     サーライナにより死の軛につながれし者。
     そが軛を逃れし呪われし者よ、汝が内に宿るは闇の命。
     いで語れ、我が唇よ。
     夜に彷徨いて光を恐るる者、闇に生くる者の物語を。
                 ――ティフィリス叙事詩集
                    「ミロエの歌」・序




     第四楽章 鎮魂歌




 首都カーティスを離れて、十日が経った。
 サライが心配していた暗殺者などの追手の襲撃は結局なく、二人は行くあてのない旅を続けていた。最初はサライとアトの共通の故郷であるダネイン州に戻ろうかとも思い、そちらに向かっていたのだが、二人とも迎えてくれる家族や親戚はいないし、そのルートは途中で諦められた。
 二人はカーティスから東に、ティフィリスまで続くルード街道を進んでいたので、テラニア州にすでに入っていた。やや南向きで東西に長く伸びるクラインの東端の一部に位置するこの州は、そのまま北東に街道を進めばイェラント海に面する沿海州屈指の大国ティフィリスやダリアにたどり着く。逆にカーティスから南西に向かうと無国境地帯を経て草原地帯か砂漠の王国ジャニュアに出るのであった。
 すでに路銀は使い果たしかけていた。とはいえ十歳から騎士になり、それ以来軍隊一色の生活をしてきたサライには、すぐ職に就けるような技術のたぐいはない。やれることといえばやはり剣を振るうことだけである。傭兵にでもなって、勤め口を探さねばならない、と彼は思っていた。
「ここはどこですか。急に森が暗くなったような……」
 アトは頭上にそびえる木々を見上げた。たしかに、昨日とは少し森の様子が違う。うっそうと繁っているのは変わらないのだが、そこにどこか陰湿な感じが忍び込んでいて、ときどきけたたましくあがる鳥の鳴き声が不気味にこだまする。その鳥の声もまた、旅する者の不安と旅愁をかきたてるのだ。
「テラニア州のルーディア県だ。この森はルードの森。悪魔が良く出るから、俗に悪魔の自治州とも言われている」
「え……」
 アトはぞっとしたような声を出したきり黙りこんだ。彼女はまだ、クラインの地理を良く知らない。テラニア州ルーディア地方、とくにこのルードの森あたりといえば、誇るものでもないのだが、クライン一の悪魔の出没率を誇っている。
 それゆえに、テラニア侯爵の城下町近辺はともかくも、広大な自治州でありながらこの土地の人口は驚くほど低いのであった。もちろん、それには大湖沼地帯の湿地が広がっているからという理由もないことはなかったのだが。しかしその湿地のために土地は豊かで、ここだけに育つ珍しい植物や、その肥沃な土地をいかしての二毛作なども行われ、人口が少ないおかげかどうか、クラインの穀倉地帯となっている。
「私はテラニア候と面識は無いんだが、土地柄かいつもこのあたりは人手不足で悩んでいるらしいから、近くで傭兵でもやろうかと考えていたんだけど。どう思う?」
 サライは手綱をとりながら、馬上のアトに尋ねた。葦毛の馬はおとなしく、半分眠ったようにサライにひかれている。最初は二頭いた馬は一頭しかいない。ここまで来る間に売ってしまった。しかしもう一頭を売る気にはなれなかった。まだ体力のないアトのことを考えると、馬はあったほうがよい。
「かまわないと思います。別れはしましたが、まだ出会いは成されていません」
 少し考えたあとで、アトは答えた。
「このルードの森をもう少し行ったところに、ルーディアの砦がある。ほら、尖塔がもう見えてる。そこが一番近い砦だ」
 サライは片手を挙げて前方を指差した。黒いほどに繁った木々の合間から、灰色の物見の塔がちらちらとのぞいている。
「……」
「どうしたの?」
 急に黙ってしまったアトに、サライはいぶかしげに訊いた。アトはふっと笑った。
「サライ様に傭兵って、これほど似合わないものは無いな、と思ったので」
「そうかな?」
 そうこうしているうちに、そのルーディア砦に到着していた。ラナク川のほとり、東西南北の四隅に尖塔を持ち、そのぐるりに三バールほどの高さの壁を巡らせてある。その中に城主の館らしい建物と、兵舎が二つ左右に建っている。跳ね橋を渡り、そこにいた門番にサライは丁寧に訊ねた。
「ここで雇っていただけるか、城主どのにお尋ねしたいのですが」
 問われた門番は、サライとアトの顔をかわるがわる見つめた。
「傭兵ならいつだって募集中さ。こう毎日のように逃げられたんじゃね。いいだろう。ハーシア卿をお呼びするから、ちょいと待ってておくれ」
 彼がそのハーシア卿らしい人物とともに戻ってくるのには、ほんの数テルジンしかかからなかった。ハーシアはかなりの長身で、背の高いほうだと思っているサライより更に二バルスくらい高かった。フードから覗く髪はすでに白髪のほうが多く、気難しげに目を細めていた。寒い季節でもないのにフード付きのマントでしっかりと体をくるみこんでいたので顔はほとんど見えなかった。
「私がルーディア砦の城主、ハーシアだ。スペル使いか?」
 声は外見以上に老けていた。
「いいえ、スペルは使えませんが、剣は人並みに使えます」
 サライは静かに言った。
「そこの少女は……? 君の妹には見えんが、恋人か?」
「いっ……いえ、違います。私は使用人として雇っていただける場所を探しておりまして、その旅の道すがら危険ということで、この方と同行していただけです」
 答えたのはアトだった。この話も、従者連れよりは怪しまれないということで、ここに着くまでに何度も打合せしたものである。
「よかろう。参れ。そこの少女はわが館の台所づとめでもよいか?」
 ハーシアは愉快そうに笑うと、きびすを返した。サライとアトはひとまずの勤め先を見つけ、ほっとして顔を見合わせた。とにかく、居場所は確保したのだ。それからの身の振り方は天に任せるしかない。
 城主の館のほうに案内されていったアトと別れ、サライはまず、呼ばれていたので南の塔のハーシアの私室に入っていった。こんな田舎の砦にしては洒落た家具を使っていたし、部屋の装飾も古風ながら粋であった。領主の私室だけが豪華で、あとはろくでもない作りの砦も少なくないが、センスとしてはまずまずの所だ、とサライは思った。
「君の名は」
 ハーシアは書き物机の向こうから声をかけてきた。
「ディユのサライと申します」
「ほう……右府将軍と同じ名か」
「はい。光栄に思っています」
 心なしか、ハーシアのその声にはからかうような響きがあっただろうか。
「年齢と人種、国籍を。それから通行手形を」
「二十一歳、セラード人。国籍はクラインです」
「ふむ……手形は本物だな。本籍はダネイン、カーティスで発行……。いいだろう。君の所属は二番隊だ。宿舎は正面から右の建物だ。仕事は砦の警備と付近の悪魔の退治。どの塔にも出入りは自由だが、私のこの南の塔だけは許可が無いかぎり立入禁止だ。よろしいか」
 そう言いながら、ハーシアは窓の外を羽ペンで指した。サライは丁重に礼を述べると、彼の私室を退出した。
 サライはハーシアのいる南の塔を出ていって、指示どおりの右の建物に向かった。それは小さなアパルトマンのような作りで、その前の広場になったところに砦の鎧を着けた兵士たちが集まって、めいめい剣や、斧など自分の得物の訓練をしていた。彼が入っていくとそこにいた面々が不思議そうな視線を投げかけた。
「いらっしゃい、新入りさんかい?」
 すぐ近くにいた麦わら色の髪の青年がにこやかに話しかけてきた。
「初めまして。今日付けで二番隊の一員になりました、サライです。よろしく」
 サライはていねいに頭を下げた。しかしながら、今日から仕事仲間となる彼らの対応はあまり好意的ではなかった。
「傭兵か? それにしちゃあ女みたいな顔だな。本当に剣を使えるのか」
「女が化けてんじゃないのか」
「おい、誰か剣をもってこいよ。このお姫様の腕を確かめようぜ」
「やめねえかお前たち。なかなか礼儀正しい奴じゃねえか。サライとか言ったな。ここはけっこう楽な仕事だぜ。今日は俺たちが非番だが、明日は交代で俺たちが砦の警備に当たる。一日交代なんでな。おっと、俺は隊長のガル。よろしくな」
 ガルはいかにも歴戦の勇士といった感じの男で、浅黒く日焼けしていて、差し上げた腕には縄のように筋肉が盛り上がっている。もうそろそろ、青年を過ぎようとしている年頃だった。
「でもよ、隊長。こんな奴が傭兵なんて生意気だぜ」
 そうだそうだ、と賛成する声が上がる。ガルは鷹揚に手を振った。それだけでざわめきの大半が静まるのだから、たいした器であった。
「だったらダス、お前が手合わせ願ってみろ。この中で一番上手いだろう。いいか? サライ。しょうがねえやつらだからな、こいつら」
「けっこうです」 サライは背負っていた荷物をひとまず地面に置き、愛用の長剣を取って人垣の真ん中に進み出た。茶色の髪の――多分、クライン人とゼーア人の混血だと思われる男がすでに剣を抜いて待っている。
「おれはハレイのダスだ。きれいなお顔に傷を付けられたくなけりゃ、今のうちに降参しときな」
 ダスは剣でわざとらしく空を切りながら言った。サライはその侮辱としか言いようのない言葉をしかし顔色一つ変えずに受け止めた。そして、右府将軍であったころのあの冷たい表情で答えた。
「残念ながら、せっかくの忠告は受けられないな」

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