機械仕掛けの迷宮07<<人形の夢と目覚め01>>02



「ディル――ヘリオトロープ!」
 ぼんやりと物思いに沈んでいたディルは、苛立ったように自分を呼んでいる声に、ようやく気がついた。
「あ――っ。すみません」
「出張で何かあったのか? この頃ぼんやりしてることが多いぞ」
「いえ、出張には何も。ただ、最近夜更かしすることが多くて」
 これは演技でも何でもなかったが、とても反省しているし申し訳なさそうな様子だったので、上司の技官はちょっとした注意を与えるだけで済ませた。ディルはため息をついて、仕事に集中しようと雑念を振り払った。
 十五年前に行方をくらませた皇后と宰相、そして皇后の身ごもっていた皇子か皇女――彼らが隠れ住んでいた地下迷宮の場所が判明し、帝国軍が派遣されたのはもう五日前のことになる。一般国民にこの事実は知らされず、同行した研究者たちにも厳しい緘口令が布かれている。むろんディルが、その時のことが原因でぼんやりしているなとど告白することもできなかった。
 地下迷宮から二体の機械人形が主人を連れて逃走した後に行われた内部捜索により、宰相フェンネルと皇后リスターナは既に故人となっていたこと、生まれた子供はどうやら皇女であるらしいことが判明した。
 その後、対機械人形用に組まれた研究者チームは首都へと帰されたが、一部の部隊は引き続き現場に残って周辺の捜索を行っているらしい。だが、何の噂も聞かないところを見ると、どうやら皇女たちはまだ見つかっていないようだった。
 誰かにその考えを知られればただでは済まなかっただろうが、ディルにとってそれは喜ばしいことだった。彼の心を奪ったあの美しい機械人形が、ともかくも無事であることに他ならないのだから。
 しかし今日、彼が上の空になっていた理由はそれとはまた別のことにあった。首都に戻る直前に、彼はチャーヴィルから一つの伝言を受け取った。それは、明日の夜チャーヴィルの自宅に来るように、というものであった。
 そこからさらに何処かに案内するらしいことをチャーヴィルは告げた。おそらくナフアに関係しているのだろうが、具体的に何をしにどこに行くのかは知らない。それで、ディルはここ二、三日ずっとそのことばかりを考えていたのだった。
(なぜスマック博士は、僕にあんなことを打ち明けられたのだろう)
 ナフアの作成に関する衝撃的な事実。それもディルは自分一人の心にしまっておかなければならなかった。もともと友人の少ないタイプで、身寄りは全くないディルだったので、うっかりと近しい人間に口走ってしまうようなこともなかったが、一人で大きな秘密を抱えるというのは初めての経験であった。
 翌日の仕事を終えて、チャーヴィルの自宅に着いたのは日もだいぶ暮れてからのことだった。郊外に構えられた屋敷は高い塀で囲まれており、中を窺うことはできなかった。その塀の続いている距離から考えても大きさはかなりのものと推測できたが、チャーヴィル一人が住むにはいささかどころでなく広すぎる感があった。
 帝国の重要機密を握る人物の一人であるというのに、彼の屋敷には警備兵の一人もいなかった。しかしディルも直接教えられるまでは彼の住所を知らなかったから、住所それ自体が国家機密になっているのかもしれない。
 まるで牢獄の入り口にも似た金属製の門の傍に取りつけられた呼び鈴らしきもののボタンを押すと、しばらくしてチャーヴィルの声が答えた。
「誰だね?」
「本日お招きいただきました、ヘリオトロープです」
 とたんにチャーヴィルの声は打ち解けたものになった。
「ああ、待っていたよ。今門を開けるから、少し待ってくれ」
 通信が切られてから数秒後、重そうな門扉の一部が人一人が通れるくらいの大きさにスライドして開いた。ディルがそこをくぐると、その隙間は独りでに閉じた。
 塀の中は驚くほど緑豊かだった。踏むとやわらかな反発を感じる芝が地面を覆い、しっかりとした幹を持つ木々がまばらに植えられている。その木々に囲まれた屋敷はずいぶん古風なもので、窓は少ないが全て色ガラスで飾られていた。玄関には車寄せが張り出していて、それを支えるのは立派な大理石の柱だった。そこには蔦が絡みつき、この屋敷が過ごしてきた年月を感じさせた。
 五分ほど歩いてようやく玄関までたどり着くと、誰かが扉の前で待っていた。背格好からチャーヴィルではないことはすぐに分かった。
「ようこそいらっしゃいました、ヘリオトロープ様」
 丁寧に一礼したその男が機械人形であることに、ディルは気づいた。彼が魔法機械に対して特別な感知能力を持っていたから気づいたのだろうが、その機械人形は人間にない色を使うという慣例を破ってメルボニア人に多い茶色の髪と瞳を持っていたから、普通の人なら間違えてしまうほど精巧にできていた。
 機械人形の召使はディルのために扉を開けてくれ、彼の後ろに続いて入ってきた。入ってすぐの玄関ホールはディルの予想に反して吹き抜けになっていなかった。ちょっとした部屋のようになっている正面に観音開きの扉があり、左右は廊下に続いている。
「こちらです」
 召使が行く先に手を差し伸べて頷きかけた。ディルは彼の後ろに従って、右の廊下を進んだ。幾つか角を曲がって、目的の部屋に着いた。二回ノックをしてから、召使はドアを開けてディルに入るよう促した。
「ご主人様、ヘリオトロープ様をお連れしました」
「ご苦労、セージ」
 チャーヴィルは座っていた椅子から立ち上がってディルを出迎えた。その部屋はチャーヴィルの娯楽室らしく、ディルは記録でしか知らない、遊び方も判らない何かのゲームの機械が幾つか置いてあった。
「よく来てくれたね、ヘリオトロープ君。夕飯は?」
「こちらに伺う前に済ませました」
「そうか。荷物は用意したね?」
「はい。仰られたとおり、二日分ほど整えてきました」
 ディルはずっと両手に提げていた鞄をちょっと持ちあげて示した。
「君さえよければ、すぐにも発ちたいのだが、いいかね?」
「はい」
 チャーヴィルの自宅をゆっくり見てみたいという好奇心もあったが、もともとここが目的地ではないことは判っていたので、彼は素直に頷いた。
「ではこちらに来てくれたまえ。セージ、私はしばらく出かけるから、留守の間のことはよろしく頼むよ」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ、ご主人様」
 セージは一礼して答えた。彼を残して、チャーヴィルは部屋を出た。ディルも慌ててその後を追う。更に屋敷の奥へと入っていき、地下室に続いているらしい階段を降りる。廊下の突き当たりにある扉が開くと、そこは車庫になっていた。置かれている車は少し古いモデルであったけれども、美しい流線型が当時人気だったものだ。
 しかしその車庫には、二人が入ってきた扉以外に出入り口らしきものはなく、どこからこの車を入れ、どうやって出るのかディルにはさっぱり判らなかった。
「乗りなさい」
 運転席側から鍵を開けて、チャーヴィルが言った。そのままチャーヴィルが運転席に乗り込んだので、ディルは反対側に回り込んで助手席に座った。チャーヴィルが起動装置に魔法石を差し込み、車のコントロールパネルを幾つか操作すると、車の前面の壁が左右に分かれて開き、オレンジ色のライトが灯る地下道が現れた。
「門から出ていくと、人目に付くからね」
 説明するようにチャーヴィルは笑った。どうやらこの地下道は、誰にも知られずこの屋敷から出るためのものらしい。秘密の抜け道というやつなのだろう。チャーヴィルの言い方から、これから向かおうとしている先は誰かに――皇帝に知られてはならない場所なのだとディルは察した。だが自分からは質問も会話も切り出さずにいると、やがてチャーヴィルが口を開いた。
「どこに行くのか、知りたくはないのかね?」
「ええ……。でも、こっそり出ていかれるくらいですから、あまり尋ねてもいけないのかと思いまして」
 素直に思ったとおりを答えると、チャーヴィルは苦笑した。
「そこに君を連れていこうと言うんだ。尋ねてくれて構わんよ」
「はい」
「これから向かうのは、ヘレボルスだ」
 ヘレボルスは、首都がカルダエに移る前、百年以上前にメルボニアの首都として栄えていた都市である。現在は皇帝が訪れることもほとんどなく、旧首都の名が影のように覆うひっそりとした雰囲気の古都となっている。カルダエからは車を使っても半日ほどかかる距離にあるので、暇と金があるものが観光に出かけるくらいで、もちろんディルは一度もそこを訪れたことがなかった。
「ヘレボルスに何があるのですか、博士」
「私の私設研究所だ。秘密のな。他人を入れるのは君が初めてということになるかな」
「では、研究のお手伝いをさせていただく、ということですか」
「研究というのではないが……」
 チャーヴィルはゆっくりと視線をディルに向けた。運転といっても、自動操縦に切り替えてあったので、行き先を指定すれば車の方で勝手に経路を選び、周囲の状況を感知して緩急を制御できる。
「君には、ナフアとマリンの修理点検を手伝ってもらいたい」
「……」
 ディルは驚きに声を奪われ、目を見開いた。
「でも、博士。ヘレボルスにナフアが来る保証は……」
「来るよ」
 チャーヴィルの声は確信に満ちていた。
「あの戦いの時、彼女に伝言を渡した。ヘレボルスの研究所に来るように、と。これからの逃亡と――おそらくは戦いに際して、ナフアには調整が必要だ。そのことは彼女自身が一番よくわかっているだろう」
 彼の言葉に、ディルはしばらく何も言わなかった。チャーヴィルも何も言わなかったので、車内には静かな走行音だけが響いた。
「なぜ僕を?」
 不意に、ディルが沈黙を破った。
「僕は博士のように、生体機械工学が専門ではありません。なのになぜ、僕に手伝えとおっしゃるのですか? それに、なぜ僕にナフアの話をなさったのです。どうして、なぜ、僕を選ばれたのですか」
「なぜだろうな」
 堰を切ったようなディルの質問を、チャーヴィルは穏やかな微笑みで受け止めた。
「甘えに他ならないが、君ならば、私の秘密を受け止めてくれるかもしれないと感じたのかもしれない。もう百五十年近くも自分の一人の胸に留めてきたことだというのに、最後の今さらになって、誰かに許しを乞いたかったのかもしれん」
「博士、最後だなんて……」
 ディルはチャーヴィルに悲しげな視線を向けた。だが、今度はチャーヴィルが一方的に話す番だった。
「私は生きすぎた。ナフアへの贖罪のつもりで生きてきたが、君にあの話をした時、私は思ったんだ。これで救われた、と。君にとってははなはだ迷惑な話かもしれないがね、君がナフアの代わりに許してくれたのではないかと、そう感じたんだ。だから今、私の心は静かだ。魂の安らぎというものを、私はやっと得ることができた。だから、思い残すことはもう何もない。明日死ぬとしても、私は穏やかにそれを迎えることができるだろう」
 そう言って、チャーヴィルは微笑んでみせた。その深い皺の奥に輝いている瞳は、確かに穏やかであった。
「では……僕に、ナフアのことを引き継いでほしいと、そうお考えなんですか」
 ややあって、ディルは尋ねた。だがチャーヴィルは否定的に首を振った。
「君がもしも、ナフアの調整を引き継いでくれるというのならばそれは嬉しいが、そこまで君に何もかもを背負わせる気はない。確かにナフアには私亡き後も修理・調整を行う人物が必要かもしれないが。君には私の昔話を聞いてもらえただけで充分だ。今回は純粋に、助手として手伝ってもらいたいだけだ。君の能力を、私は高く買っているんだよ、ヘリオトロープ君」



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