05<< 機械仕掛けの迷宮06 >>07



 地下迷宮のある一帯を覆う森を抜けて草原地帯に出ると、ナフアは《戦車》の形態を解いた。もう一度目立ちにくい車の形に作り直し、まだ眠り続けているアウグスティーナがゆったりとできるだけの空間を確保した。
「追ってこないわね……」
 マリンがほっとしたように呟いた。
「追ってこられたら困るわ」
 ナフアは手短に答えた。辺りの風景は十五年前とほとんど変わることがない。一番近い集落に行くにも、車で二時間以上走り続けなければならない。森林地帯を抜けると北側に山脈があり、キタイ王国に続く西方にはまばらに林が茂る草原が広がっている。その未開発のままの自然は、皇家の秘密を何千年と守ってきた。
(あの軍隊はもう撤退しただろうか――それとも、まだあの場所にいるか、私たちを追っているか)
 予想としては撤退したというのが一番可能性が高い。あれだけの損害を受けていてなお、彼女たちを追うだけの余力はあるまい。下手をすれば今度こそ全滅の憂き目を見ないとも限らないのだから。
「ねえナフア」
「なに?」
 後部座席でアウグスティーナの様子を見守っていたマリンが、つとナフアの方に身を乗り出してきた。運転していると言っても、進行方向と速度さえ最初に念じておけば、この車は自動的に走ってくれる。
「チャーヴィル博士の手紙、読ませてくれないかしら」
「いいわよ」
 傍らに放りっぱなしにしていた紙を渡すと、マリンは丁寧に開いてしわを伸ばしてから読み始めた。
「なんて書いてあるの」
「あなた、読んでなかったの」
「それどころじゃなかったから」
「それもそうね」
 マリンは納得したようにちょっと肩をすくめると、ナフアに聞こえるように手紙を読み上げてやった。
「親愛なるナフアへ。君に会ってもらいたい人物がいる。また、逃亡に向けて点検修理が必要だろうと思う。一週間後の夜十二時、ヘレボルスの研究所で待っている。同伴者は誰でも構わない、ですって」
「そう……」
 何か遠いものを見るような目つきを、ナフアはした。
「一緒に行きましょう、マリン。アウグスティーナ様もお連れして。ちゃんと説明すればご理解くださると思うから」
「いいわよ」
 まだ何も知らず眠っているアウグスティーナの横顔を愛しげに見つめてから、マリンは答えた。目が覚めた時、アウグスティーナは何を見るのだろう。少なくとも、悲惨な戦場を見せずに済んだことは幸いだった。感受性の強い年頃である彼女にそんな光景を見せてしまったら、一生心に残る傷になっていただろうから。
「また、あの場所に行くのね……」
 ナフアは深いため息をついた。それがあまりにも人間じみた仕草だったので、マリンはこっそりと微笑んだ。
「誰に会わせたいって言うのかしらね」
 十五年前に、最後にチャーヴィルと会った場所。かつての首都ヘレボルスに構えていたチャーヴィル自身の住居跡である。そこの地下に彼は個人的な研究施設を持っており、助手の一人すら置いていないが、メルボニアの最先端技術が集結していると言っても過言ではない。老いてなおチャーヴィルは機械人形開発の第一人者であるのだ。
 十五年前、同じようにチャーヴィルからの伝言を受け取って、ナフアはその研究所に赴いた。リスターナ皇后とその胎内のアウグスティーナ、フェンネル宰相を守るために戦った彼女の体は自己修復機能や地下迷宮に備えられた修理施設ではとても追いつかないほどの故障と傷を抱えていたから、どうしても専門家による点検と修理が必要だった。それに、ナフアはチャーヴィルの技術だけは信頼していた。
 今は修理が必要というわけではないが、十五年ぶりの戦闘が原因で何らかの故障が起こる可能性はある。マリンを同伴していけば、チャーヴィルとてもナフアのプログラムに手を加えることはできないだろう。そもそもそのプログラムを組んだのは、チャーヴィル本人であったけれども。
「私、どうしてあの人が《嫌い》なのかしら。あの人のことを考えると何故だか思考が嫌な感じに混乱するわ」
「人間でいう《相性が悪い》というものじゃないかしら」
 独り言のようなナフアの言葉に、マリンは律儀に答えを返した。そして、ナフアの言葉を引き取ったように続けた。
「……そういえば、あの場所はチャーヴィルだけの研究所だったのに、他人を入れようなんて気になったのね。そこまでして会わせたい相手がいるということは、あまり考えたくないけれど、もしかしたら……」
「罠ではないと思うわ。彼はそこまで卑怯じゃないだろうし、あれほどの施設を今までベイオリーフに隠していたと知れたら彼でもただでは済まないでしょうし」
 ナフアは言い、座っていた座席を変形させて横になれる空間を作った。ともかく休息しなければ、久しぶりにフル稼働させた戦闘用のプログラムが焼き切れそうだったのだ。
「夜明けまで私が見張りをしているわ。ナフアは休息していて」
 彼女の気持ちを読み取ったようにマリンが告げ、ナフアは安心して意識を紛い物の眠りへと解き放った。その眠りの中で、ナフアは不思議な情景を見た。
(これは、夢というのかしら……)
 そこにはチャーヴィルがいた。場所はかつて彼女が作りだされた研究所で、多くの人々が彼女と共にいた。彼らはチャーヴィルと同じ部署におり、ナフアを作った研究者と技術者だ。だが不思議なことに、ナフアはその夢の中では彼らとともに製作途中の機械人形の頭部を囲んでいた。
(アンディー、これは何? これを見てどう思う?)
 ナフアの隣にいる女が、くんくんと鼻を鳴らしている子犬を抱き上げて機械人形に見せた。ぎこちない発音で機械人形が答える。
(犬。可愛イ)
(正解よ。じゃあこれをどう思う?)
 少々顔をしかめながら女が手袋をした手で箱から掴みだしたのは、くったりと力の抜けた一羽の小鳥だった。ただ脱力しているのではなく、うっすらと濁った目や半開きのくちばしの様子から、死んでいるのは明らかである。
(小鳥。可愛イ)
(やっぱり駄目ねえ。生と死の区別がまだ掴めてないわ。これを理解させるのはまだまだみたいね)
 女が笑いながら言う。
(あのねえアンディー。これは小鳥だけど、死んでいるの。死んだものは可哀相なのよ)
 ナフアが横から言った。そんなことを言おうとは全く考えていなかったのに、まるで彼女とは別の誰かが、彼女の体を借りて喋っているようだった。機械人形の頭部は瞼を何回かぱちぱちさせて、首をひねる仕草をしてみせた。笑い声が起こる。
(こういう反応だけはしっかり働くんだな)
(誰よ、こんなのプログラミングしたのは。フェネグリークね?)
 機械人形に犬や小鳥を見せていた女が、隣にいた男を苦笑まじりに睨みつけた。違うよ、とフェネグリークが含みのある笑顔を見せた。
(アニスの癖よねえ、困ると瞬きが多くなって首を傾げるの。見てて覚えちゃったんじゃないの? だとしたら大進歩ね)
 また、ナフアではないナフアが言った。アニスと呼ばれた女はあっと叫んでナフアを振り返った。
(やだナフア、あなたが犯人ね? もう! こんな反応は削除しておいてよ。感情のない動作だけ教えてどうするのよ)
 笑い声がナフアを包む。夢の中のナフア自身も笑っていた。今の彼女には絶対にできない、プログラミングと無関係の何かが彼女を笑わせていた。
(判らない。どうして、私は笑うことができるの?)
 ナフアの《心》、その感情は作られたものだ。数限りない事象とそれに対する反応が彼女の記憶回路に積み重なり、自己組織化を始め、そうしてできあがった一種の反射のようなものだ。人間と全く変わりない《感情》を装うことはできても、それは所詮演技でしかなく、本物の人間に比べるとその反応にはコンマ数秒の遅れが出る。だが、夢の中で彼女はまさしく人間そのものの自然な感情を表していた。
(チャーヴィル、教えて。この私は、誰?)
「ナフア、ナフア。どうしたの」
 マリンの声が、ナフアを正気づかせた。途端に全身が覚醒モードに入る。
「私……どうしていたの」
「調子がおかしかったわ。休息モードになっていたはずなのに喋ってた。どうしてとか、なぜとか、人間の寝言みたいなものを言ってたのよ。回路が接触不良を起こしたみたいに」
「確かに、何だかおかしいわ。記憶部分にバグが出たみたい」
「ほら、やっぱり」
 マリンは予想していたかのような口調で言った。
「十五年間も使っていなかった戦闘用機能を久々にフル稼働させたんだもの。他の個所だってバグが出ないとは限らないわ。もう少し休んだらどう?」
「そうね……。ちょっと待って。異常がないか診るから」
 ナフアは積み込んだ荷物の中から棒状の機械を取り出した。先端部のキャップを外し、首筋のソケットに差し込む。それは機械人形を動かす上で基本的なプログラムを診断する機械で、もし異常があれば修復してくれるし、それでは間に合わない重篤なものであればそのことを教えてくれる。
 しばらくしてから、ナフアは点検機を抜き取った。
「どこにも異常はないみたい」
「なら、さっきのは一時的なものだったのかしら」
「そうみたい」
 二人が話している間に、空は少しずつ明るさを増していた。ナフアのデータにはその名が登録されていない鳥が数羽、悲しげな声で鳴き交わしながら森の方角から山の方へと飛び去っていった。長い一夜が明けようとしている。近隣の村には軍隊が、二体の機械人形と十五歳くらいの金髪の少年または少女を見かけたならば通報するようにと触れを回している可能性があるので、行くことはできない。
 昼間の移動は人目につきやすく、また何も遮るもののない草原では敵に発見される可能性が高くなるので、ナフアは車ごと森の中に入った。さらにマリンと手分けして枝を集め、車をざっと覆い隠した。
 もっと離れた所に行く必要があったが、一週間後にチャーヴィルの地下研究所を訪れるためには旧首都ヘレボルスに近い場所にいなければならなかった。その近辺で罠を仕掛けられているかもしれないとナフアは束の間疑ったが、その考えは浮かぶとほぼ同時に払拭された。人間のいかなる感情に基づくものなのかはわからないが、チャーヴィルには彼女を害するいかなる行動もとれないことを彼女はよく知っていた。
 だからチャーヴィルの申し出に関してはナフアもマリンも何も心配していなかったが、問題は一週間、どうやってアウグスティーナを匿いつつ養うかであった。二人の魔力補充に関しては、戦闘や魔動車の運転でこれから働きづめになるであろうナフアに重点を置き、マリンが節約すれば何とかなる。
 二人とも最高エリクシルを核に持つ機械人形なので、通常稼働であればほぼ永遠に動きつづけることができる。補充は大幅に魔力を消耗した時にのみ行えば大丈夫だろう。充分と思える量の魔法石を持ちだしてきた。だが、アウグスティーナの食事を制限するわけにはいかなかった。
 そのことをナフアがマリンに告げると、マリンも同じことを考えていた。
「人の集まるところには、帝国軍の手が回っていると考えて間違いないから、食料を調達するには狩りをするくらいしか方法はないわね。幸いこの辺りは小型の草食動物が多いし、植物相も豊かだから、狩猟採集でなんとかなるでしょう。あと考えなければならないのは水の確保だわね」
「アウグスティーナ様に、きちんとしたお食事を出して差し上げられないなんて」
 少女の寝顔を見つめながら、ナフアは呟いた。アウグスティーナは物わかりのよい、賢い少女であったから、境遇の変化やこれからの生活についてはすぐに理解し、順応してくれるだろう。だがそれは彼女自らが望んだものではないというのが、彼女の快適と幸福を第一優先とする機械人形たちにとって辛いところだった。



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