04<<機械仕掛けの迷宮05>>06



「納得いきません、博士!」
 落ち着いてはいるが、芯に強いものを秘めた声が室内に響く。何人かの助手たちが首をすくめ、この言い合いが終わるのをじっと待っている。
「人間と変わらぬ機械人形を作れるようになるのも時間の問題です。なのになぜ今さら、生機融合の研究を再開なさるんですか?」
「落ち着きたまえ、マージョラム君」
 当時はまだ四十代だったチャーヴィルはゆっくりと噛んで含めるようなものの言い方をした。
「確かに生機融合の技術は機械人形のそれと比べればまだ格段に劣っている。人間の免疫機能、内分泌機能、新陳代謝、それらを全て機械で補おうというのだからね。しかし考えてもみたまえ。この技術が完成すれば、今まで死んでいたかもしれない病人や怪我人を、生機融合によって救うことができるんだ。素晴らしいことじゃないか。そのために今研究を行っているのだよ。人を救うための研究をしたいという君の願いと、何が異なるというんだね?」
「しかし……」
「副主任」
「ナフア、落ち着いて」
 言いかけたところを、数人の同僚に止められてナフアは聞き分けのない子供のように激しく首を左右に振った。淡い茶色の髪が乱れて、紅潮した頬にぱさぱさと音を立ててぶつかる。
「本当に人命のためだというなら、私とて反対などしません。しかし博士、あなたがなさっている研究は、戦闘用の機械と人間を融合するものだと聞いております! それが真実か否かが判るまで、私は賛成しかねます!」
 ナフアは同僚や部下たちの手を振りほどき、その場を走り去っていった。
 国立科学研究所・機械工学研究部副主任――それがナフア・マージョラムの肩書だった。彼女は機械工学の――特に人工知能の研究を進めており、人間同様の感情を機械人形に持たせるための研究をしている者の中ではトップクラスのエンジニアであり、主任であるチャーヴィルの優秀な助手の一人であった。
 淡い茶色の髪を肩で揃え、作業中にはその髪をうなじで無造作に一つに束ねて男と同じ条件で機械油にまみれて働く。時おり研究所内で開かれるパーティーや、研究者同士の集まり、学会の懇親会ではあでやかな花のように変身し、異性はもちろん、同性の同僚たちの目をも引いた。あまり男性たちと同じ条件で彼女が肉体労働に従事するので、彼女のほっそりした腕に逞しく筋肉がついてしまうのでは、と下世話な心配をする者も少なくなかった。
 天性の美貌に明晰な頭脳、そして何よりも溌剌としたその若さで、ナフアは男たちの心を魅了していた。彼女に交際を申し込む男は後を絶たなかったが、断られる男の数はそれと全く同じであった。
 そしてたおやかな外見に、炎のように激しい情熱を秘めた女性。
 純粋に人の役に立つため、人を救うための機械を造ることに喜びを見出し、青臭い考えと謗られようともその理想を隠すことをしなかった。
 実際にその頃、チャーヴィルは帝国軍からの依頼で戦闘用機械と生体の融合の研究を行っていた。そしてナフアはそれに反対していた。戦うための機械人形を造るのなら、戦いは止められなくとも人は死なずに済む。しかし生命維持のために必要でもないのに戦闘用機械を人に融合させることは、結局その人間を殺すことにしかならない。彼女の倫理観からすれば許し難いことだった。
 上司の行う研究に協力できないのであれば、転属や解雇もできた。だがチャーヴィルはナフアを愛していたし、彼女ほど優秀な研究者兼技術者もいなかったから、それでも彼女を部下のまま置いていた。しかし対立は避けられず、結局この日、ナフアは研究所を飛び出してしまったのだった。
「主任……いいのですか、彼女をあのままにして」
「仕方ない。彼女はあまりにも清らかに物を見すぎるんだ。清濁併せのむことができないんだな。だが時間の問題だよ」
 チャーヴィルは心配そうに尋ねてきた部下に軽く頷きかけ、大部屋から自分の研究室に戻った。
 空気を引き裂くようなスリップ音と、かすかな衝突音が聞こえてきたのはそれから間もなくのことだった。ばたばたと廊下を走る足音が近づき、大部屋がにわかに騒がしくなる。そして所員の一人がチャーヴィルの研究室に駆け込んできた。
「主任、大変です! 副主任が……マージョラムさんが、そこの角で……」
 それ以上は言葉になっていなかったが、彼の真っ青な顔と震える声音で、チャーヴィルは何が起きたのかを理解した。報告に来たその男を押しのけるようにしてチャーヴィルは研究室を飛び出した。門を出れば、人だかりができつつあることでその現場がどこであるのかはすぐに判った。
「ナフア……」
 信じがたい光景がそこにあった。
 研究所前の歩道に乗り上げるような形で魔動車が塀に激突していた。前部が完全にひしゃげ、その下には鮮血の赤が広がっている。塀と車体、石畳の間はとうてい人が入れるほどの隙間ではなかったが、そこにナフアはいた。
 車の運転席にはステアリングに突っ伏すようにして運転手が気を失っていたが、チャーヴィルはそれには目もくれず、ナフアに駆け寄った。全身のダメージは一見してすでに手の施しようがないと判るが、まだ微かに息をしている。
 その時、チャーヴィルの心に暗い欲望が閃いた。
「皆、彼女を研究室へ! 今ならまだ間に合う!」
「主任、まさか……」
「いいから、早く!」
 白衣が血にまみれて汚れるのにも構わずナフアの体を引き出そうとしながら、チャーヴィルは夢中で叫んだ。彼女をこのまま死なせるつもりはなかった。初めて心の底から愛した、最期まで自分のものにはならなかった女性。だがその魂を、永遠に虜にする方法を彼は持っている。
 ナフアを永遠にこの世にとどめたい。
 チャーヴィルはその一念で、ナフアの魂を魔法石に閉じ込めた。そしてその最高エリクシルをもとに、機械人形を造った――。
「愛した女性が死にゆこうとしている時、私の心にあったのは最高エリクシルを作り出せるかもしれないという実に利己的な思いだけだった。彼女の姿をしたものをこの世に残したいと思って機械人形の《ナフア》を造ったのも、私の利己心だ」
「でもなぜ、戦闘用の機械人形に?」
 ディルは首を傾げて訊ねた。
「彼女は……兵士の戦闘用機械融合に反対する団体のリーダー的存在だった。私が行っていた生機融合の研究にも、彼女は反対していた。ならば兵士たちの代わりに彼女が戦えばいいと……彼女の命を使ったモノが、彼女が最も憎んだ戦争で使われるなんて、皮肉な話だと……そう思ったんだ。私はくだらぬ復讐心でナフアを造った。そしてそのために、本来ならあの時自然に生を終えられたはずの彼女を、ナフアを永遠に苦しませることになってしまった」
 ディルはしなびた皮膚の奥にあるチャーヴィルの瞳をまともに見た。この老人のやったことは確かに罪だ。それ以外の何ものでもない。そして二人のナフアはその罪の被害者だ。しかし、そうでなければ生まれなかったものも確かにあった。
 ナフアがそこで死に、彼女の名と姿を継いだ機械人形が生まれなかったら、チャーヴィルはその天命に従ってはるか昔に命を終え、自分はこんな戦場で彼と語り合うことなど無かっただろう。
 そしてディルは、ナフアに一目で落ちる恋などしなかっただろう。
「スマック博士……あなたのしたことは罪だと思います。人間として許されることではないでしょう」
 チャーヴィルはびくりとしたように目を見開いた。
「でも、ナフアがその事実を知ったとしても、きっと彼女はあなたを恨んだり、憎んだりはしないのではないでしょうか」
「……」
 チャーヴィルは口を開きかけ、また閉じてしまった。ディルは続けた。
「僕がこんなことを言うのはおこがましいと思います。……でも機械人形になったことで何か得るものがあったとしたら――僕は、あると思うのですが、それが何であれ、彼女は自分の在り方に満足していると思います」
 アウグスティーナを守るために戦う、あれは一人の女性だった。母の強さと父の強さ、それぞれを求められ、そして充分にナフアは応えているに違いない。そう思わせるだけの何かがあの一瞬に垣間見た彼女の瞳にはあった。
「君は、私を許してくれるか?」
 ひどく弱々しい声で、チャーヴィルは尋ねた。
「何を、ですか」
「人間として、私のしたことを君は許せるか?」
 ディルは悲しそうな顔をした。
「わかりません。僕が博士と同じ立場にいたなら、同じことをしたかと問われればそれも。けれど博士、行いの善悪と、それが罪であるかどうかを決めるのは人それぞれの基準です。あなたがご自分のなさったことを罪だと感じておられるのなら、それは罪です。僕はそれを許す権利を持ちません。けれども、あなたが罪を自覚しておられるのなら、許される資格はあると思います」
 チャーヴィルはまっすぐにディルを見上げた。そして、最初で最後に自らの罪を打ち明けた相手がこの青年で良かったと、感じていた。



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