03<<機械仕掛けの迷宮04>>05



 しばらくの沈黙の後、口を開いたのはマリンだった。
「私たちに与えられた命令は、ともかくもアウグスティーナ様をお護りすることだわ。人間との接触がすぐにあるかどうかは判らない。それは、その時に考えましょう」
「……」
 ナフアは無言で頷き、頭上を見上げた。
 転送用の魔法陣の上に《戦車》は乗り、光の柱の中を上へと移動している。まるで光でできた管の中を通り抜けているようである。視界の届かぬ先はすうっと闇に飲み込まれている。
 ここに降りてきた時は身重のリスターナ皇后をマリンが、重傷の宰相をナフアが支えていた。あの時は早く下にたどり着きたいという焦燥感から、そして今は早く出ていかなければという焦燥感から、移動は限りなく長い時間のように感じられる。
 しかし十五年前と決定的に違うのは、安全が約束された地下へと逃れられる安堵と、敵だらけの地上に向かわねばならないという緊張だった。そして、共に来た皇后と宰相を残し、今はたった三人での脱出。
「マリン、こんな事はあまり想定したくないんだけれど……。敵はたぶん、私の性能を徹底的に解析したうえで対策を立てているはず。私の手にも負えないようだったら、私には構わず、アウグスティーナ様を必ずお護りしてね」
「馬鹿ね、ナフア。私の頭をそこまで悪く見てもらっちゃ困るわ。そんな判断力もないと思っているの?」
 マリンは湿っぽい空気を吹き飛ばすような明るい声で笑った。ナフアもつられて微笑んだ。
「そうね」
「そうよ。それに、どんなに不利な条件だって、あなたなら大丈夫よ。あの時だって、動けない人間を二人も抱えて、一万の追手がかかっていたけれど、逃げ切れたじゃない。今は逃げるんじゃなくて進むんだから、もっと楽なはずよ」
 その時光が途切れ、二人は転送が終了したことを知った。肌の感覚機関に感じるのは、夜のひやりとした空気と風。十五年ぶりの外の世界だったが、そこで待ち受けていたのは彼女たちを歓迎するものではなかった。
「まあ、大層なお出迎えだこと!」
 マリンが声を高くした。地下迷宮の入り口である崖の前には、まだ遠巻きではあったがすでに態勢を整えた軍勢が包囲網を形成していた。その数、少なく見積もっても一万以上はあるだろう。十五年前に追手を全力で撃破しようとし、半ば壊滅させて逃げたことを、ナフアは後悔した。
(あの時もうちょっと控えめにやっておけばね――!)
 ナフアは全神経を車体の変化に傾けた。最初の《戦車》の形を思い出し、その中にアウグスティーナを安全に隠せる空間を作り出し、マリンは自分の背後に。しばらく時間がかかり、幾らかの魔力が消費されたが、《戦車》はナフアが思っていたよりもずっといい形に仕上がってくれた。
「この車、あなたの意思で動くの?」
「ええ。少し魔力を使うけれど、どんな形にもなるみたい」
 その時、周囲を取り囲む軍隊の中から幾筋もの煙と光が空に向かって打ち上げられた。それが照明弾であることを確認するよりも早く、ナフアは眼球の光量補正を行って、闇に慣れていた目を焼かれるのを防いだ。
(敵の左翼と右翼に砲撃を行え。撹乱の後に移動。進路は東)
 一気に念じると、彼女の意思に呼応して砲台が角度を変えた。筒先に光の粒子が集まるのを見て、これが弾薬使用型ではなく、周囲の魔法粒子を集めて撃ち出す型の大砲であることを初めてナフアは知った。
 二本の光線が銃口から迸った。吸い込まれるように敵軍の左右へと伸びていったそれが消えたかと見えた次の瞬間、爆発が起こった。間を置かず、魔弾は次々に撃ち込まれていく。軍団は砲撃から逃れるために散開し、或いは防御魔法を使うようであったが、もはや前進どころではなくなっていた。左右への攻撃を避け、中央へと人の流れが動き出したことを見定めてから、ナフアは次の行動に出た。
「マリン、ちょっと揺れるかもしれないから何かに掴まっていてね」
 そう言い置いてから、ナフアは柱から手を離した。踊りのようにしなやかな動きで、両腕が何かの形を空中に描く。同時に彼女の唇からは歌うような抑揚で言葉が紡ぎだされる。大がかりな魔術の発動には、呪文の詠唱に加えて魔法陣を描いたり、掌唱と呼ばれる手の動きなどの特定の動作が必要とされる。
「そは形なくて熱きもの 光ありて星を輝かすもの 地を熔かし風を焦がすもの そが名は炎。我が呼びかけに応え現れよ。汝の汚れなき腕に抱きて 我が敵を滅ぼせ」
 詠唱が終わると同時に、中央にひときわ大きな火柱が上がった。地下迷宮が存在する辺境地帯は周囲に遮るものの無い平野だったので、それははっきりと見えた。目を凝らせば、吹き飛ばされ巻き込まれる兵士や機械の影すら見てとることができたかもしれないが、ナフアはそこまで確認する気にならなかった。
「《火輪》なんて、大技を出したわね」
「最初に全力で叩いて、戦意を奪うのがいいのよ、こういう時は」
 マリンの言葉にナフアはおざなりな答えを返し、戦況を見定めるために目を遠隔モードに変えた。三方への砲撃は充分に効果を発揮し、人員や魔術をこちらへの攻撃に割いている余裕はもはや無くなっているようであった。ナフアは砲撃を中止させ、柱に手を置いて東への移動を命じた。
 その時――
「ナフア、上!」
 死角を補佐するため、背後に目をやっていたマリンが叫んだ。状況を確認するよりも早く張った防御魔法は辛うじて直撃を防いだが、衝撃はまともに食らった。《戦車》に思考を同化させているためか、受けた衝撃は予想よりも大きかった。
 舌打ちしたい気分で背後の崖を見上げると、そこには別働隊と思しい一隊がいた。先ほどの攻撃は魔法ではなく、物理的なものであった。しかも次弾装填に時間のかかる型の大砲しか装備していなかったらしく、続いた攻撃には間断があり、態勢を整え直すだけの余裕をナフアは得ることができた。
 この程度の攻撃なら、反撃するまでもなく防御魔法を使って逃げればいい。そう判断して、ナフアは攻撃を無視して前進を始めた。数秒おきの砲撃が襲ってくる。ここでマリンは《戦車》の改善点を発見した。
「あなた、いい所に気がつくわね」
「お褒めはいいから、早くしなさいよ」
 マリンはやや切羽詰まったような声で言った。ナフアは彼女の言った通り、透明な保護壁を自分たちの周りに形成させた。これでよほどのことがなければ防御魔法を使わずに済む。
「とにかく、ここは突っ切るわよ」
 ナフアは前方を睨み据えた。
「ええ……待って、ナフア! あれは……」
「え?」
 マリンが指さした方向に、ナフアは反射的に目をやった。
 別れた時とさほど変わらない――身体の大部分が機械になっているのだからなおさら――老人の姿がそこにあった。
「チャーヴィル……」
 思わずその名を呟いたナフアの声には、一抹の懐かしさに似たものがあった。
「あの人も来てたのね」
 マリンが囁いた。
「私の製作者ですもの。対策を立てさせるために連れてこられたのでしょうね。でも、行動に変更はないわ」
 一転して冷めた声で言い、ナフアはさらに速度を上げた。容赦ない砲撃と炎の魔法の攻撃によって、大部分の兵士たちはすでに戦意を失っていた。《戦車》が迫ってくるのを見て我先に逃げてゆく。ナフアとしても、無意味に人間を轢き殺すのは趣味ではなかったので、逃げてくれた方がありがたかった。
「ナフア!」
 しわがれた声だったが、ナフアの耳は周囲の喧騒から敏感にその声を聞き分けた。その声と同時にこちらに向かって飛んできたものが何かを確認することもなく、保護壁をほんの少しだけ開いて受け止めた。退避する兵士たちに紛れ、小型の銃を手にしてそこに立つ老人は、揺るぐことなくこちらを見つめていた。
「……チャーヴィル」
 飛んできたものを片手で握りしめたまま、ナフアは再びその名を呼んだ。だがゆっくりと伏せ、開いた時にはもう彼女の目は相手を見ていなかった。
「全速力で突っ切るわ。キタイの方角へ。いいわね?」
「異議なしよ」
 マリンは運転席の背もたれを掴んで体を支え、もう一方の腕でアウグスティーナを抱え込むようにしながら答えた。ナフアは振り向かなかった。振り向いたところでどうなるというのだ。自分の製作者までが駆り出されていたことには驚いたが、といって自分の行動指針に影響が出ることはない。
「追跡せよ! 追え、追わんか!」
 逃げ惑う兵士の誰が落としたものか、連絡用無線の機械から、はるか後方に設置された本部からの命令が空しく響いていた。だが負傷した兵士はもちろん、軽傷或いは無傷で済んだ兵士も、誰一人としてその命令に従う者はいなかった。それほどに、ナフアが一体で与えた損害と衝撃は大きかった。
「あれがナフアだ」
 チャーヴィルは、傍らに立つディルに小さな声で囁いた。
「ナフア……」
 呆けたように、ディルは繰り返した。さっきの一瞬に、こちらを見た機械人形の顔は、写真で見たナフアの美しく清冽な顔だった。闇を切り裂くように鮮やかな銀の髪は人間にはありえない色だったが、それすらも奇異ではなく比類ないものとしてディルには感じられた。彼女はまさに一瞬で、ディルの心を撃ち抜いていた。
「博士、いったい何を撃ったのですか?」
「ああ」
 答えになっていないその声は、回答の拒否を意味するものだと気づいたので、ディルは口をつぐんだ。
「どうせ追ったところで彼女たちは見つかるまい。ナフアが逃れたならば、我々の仕事はもうない。戻ろう、ディル君」
「はい」
 ディルはすでに背を返して軍用車へと歩きはじめていたチャーヴィルの後を追った。いまだ混乱の続く本部に戻り、対策チームに割り当てられた軍用テントに入ると、チャーヴィルは疲れたように椅子に腰を下ろした。腹の底から絞り出すような大きなため息をつき、彼はディルを見上げた。
「ディル君」
「はい」
 チャーヴィルの、年老いて灰色を帯びた薄茶の瞳が、しなびた瞼の奥で光った。
「ナフアを見て、どう思ったかね?」
「どう、と仰いますと……」
 ディルは首を傾げた。綺麗でした、などという間抜けな回答はできないと思ったので、自然と言葉も詰まりがちになる。
「予想していたよりも、高い性能でした。あれほどの魔法を使いこなすとは思ってもいませんでした。こちらが包囲を完璧にする前で、戦車があったとはいえ、たった一体で逃走を可能にするなんて」
「あの戦車は素晴らしい性能だったな」
「あれも博士が?」
「いや。あれは恐らく、地下迷宮にもともと備えられていたものだろう。しかし――あれの存在がなかったとしても、ナフアは逃げのびることができただろう。以前ならば敵を全て排除することを第一にしていたはずだが、こちらの戦意を喪失させるだけに留めて、逃走を第一優先にするとは……。彼女は確実に進化している」
 チャーヴィルは半ばうっとりとした表情を浮かべた。
「それは、博士の最高傑作ならば……」
「最高傑作。そう、確かに彼女は最高の機械人形となったよ。だが、あれはナフアがいなければ作れなかった」
「どういうことですか?」
 今チャーヴィルが言った「彼女」とは機械人形のナフアを指すのだろう。では「ナフア」とは誰のことか。人間のナフアがいなければ作ることができなかった、死んだ女の名と容姿を持つ機械人形。それらの情報の断片を組み合わせて、ディルはたどり着いてしまった自分の考えに震えながら、それでも言葉を途切れさせることができなかった。チャーヴィルの静かな視線がそれを許さなかった。
「まさか……ナフアは……。ナフアの核は、ナフア・マージョラムの魂を……」
「ああ、そうだ」
 チャーヴィルははっきりと頷いた。
 機械人形の動力源となる魔法石は、その等級によってティンクトラ、エリクシル、最高エリクシルと名称が変わる。一般的に魔法石は自然界に存在する魔法粒子や、術者の魔力を凝縮して造り出す。しかし最高エリクシルと呼ばれるほどの魔法石は強大な魔力を持つ魔術師であっても、膨大な年月をかけなければ造り出すことは難しい。
 術者以外の魔力を利用するなら、乱暴な方法ではあるが精霊を封印するという手段がある。しかし、それよりもずっと簡単で、しかも、さらに強大な魔力を持つ最高エリクシルを作る方法が一つ。それは、人間の魂を魔力の塊に昇華するというものだ。仮に贄となった人間が魔力を持っていなかったとしても、その秘める魔力は莫大なものとなる。命を使った魔法は何よりも強いからだ。
 だが方法が方法だけに、それは禁忌とされていた。たとえ百五十年前のことであっても、それは同じであるはず。
「私が、ナフアを自然の理から外れた存在にしてしまったんだ」
 そしてチャーヴィルは語った。
 百五十年前に犯した自らの罪を。



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