02<<機械仕掛けの迷宮03>>04



 何かが来る。
 その予感は彼女の全身を電気のように貫いた。
 ナフアは休息モードから瞬時に活動モードに切り替えた。被っていた寝具をはぎ取ると、機械人形特有の継ぎ目が全く見えない、均整の取れた身体を包む人工皮膚が最高級の絹のように白く輝いた。
 手早くいつもの衣装に袖を通す。上半身はぴったりと体に密着しているが、深いスリットが入っているとはいえ足首まで裾があるドレスは動きにくくも思える。しかしこれは呪文一つで形状を変え、攻守両方に利用できる魔道具であった。
 隣で同様に休息していたマリンには何も感じられなかったようで、休息モードのまま横たわっている。
 何が来るの?
 ナフアは心に問うてみた。
 答える者はいない。だが、ナフアが何かを感じ取ることができたということは、何らかの敵意がここに近づいているということだ。先帝アウグスティヌスやリスターナ皇后亡き今、地上にこの地下迷宮の場所を知る者はいないはず。にもかかわらず近づく者がいるとすれば、それはベイオリーフがここの秘密にたどり着いたということを意味する。
 ナフアの瞳が闇の中で燐光のように青く燃えた。
 音もなくドアを抜け、ナフアは宮殿の奥へと向かった。この宮殿がある層は、実は最下層ではない。彼女が向かった一室には、最奥部へと続く入り口があった。取っ手を引くと、がたんと派手な音を立てて扉が開いた。
 ナフアは一瞬ぎくりとしたように身を硬くし、そのあまりに人間じみた反応に我ながら感心してしまった。マリンがこの物音で目覚めたとしても、行動に変更はありえないし、彼女が止め立てする理由もない。ナフアは部屋の中央に描かれた魔法陣の中央に立った。虫の羽音に似た鈍い音を立てて魔法陣の外郭から黄色がかった緑色の光が溢れだし、最下層への転送が始まった。
 何千、何万年も前に、古代メルボニア人によってこの地下迷宮は造られた。
 しかし、現在の魔術や工学はそれを受け継いだというよりも、一旦完全に失われたものを再発見し、再現できるまでに持ち直したと言った方が正しい。それほどまでに、古代文明の遺産には理解の範疇を越えたものが多かった。
 地下迷宮を造り、維持している魔力は相当強力なものらしい。十五年前にナフアがマリンと共にこの場所を初めて訪れた時に灯っていた灯りは、迷宮内の人工太陽と同じく、今も変わらずそこを水底のように淡く照らしている。継ぎ目のない、溶接したとも思えない、青い金属の一枚板でできた空間。まるで金属の子宮内にいるようだ。
 その中央に、それは置かれていた。
 大型の魔動車――形状は戦闘用の装甲車、戦車に似ていた。
 しかしナフアが知っている戦車とは形状が大きく異なっていた。一種なまめかしさすら感じさせる洗練された形状からすれば、現在の戦車などは退化の所産ではないかと思われるほどだ。保管されているこの部屋と同様に継ぎ目が見当たらない、なめらかな流線型の車体。上部を真っ直ぐに切り取った卵のような形をしていて、高さがあるので登ってみなければ確認できなかったが、その部分が乗車スペースとなっているらしい。左右には小型ながら砲台を備えている。
 実のところ、十五年前にはただ発見しただけだったので、これほど近づくのも、触れるのも初めてのことだった。
 地下迷宮に近づくものが敵だとすれば、それなりの軍備を整えてくるだろう。ナフアは戦闘用機械人形としての性能をよく知られていたし、彼女への対策を全く講じずに攻め込んでくるはずがない。武器か、逃走の手段となるものが必要だった。
「これが使えるといいのだけど」
 ナフアは独りごとを言いながら、砲台脇の梯子に足をかけた。
「……?」
 すると奇妙な感覚があった。親しみがないようでいて、懐かしいような感覚。或いは、歓迎されているような空気。しかしそれが何かを突き止めるよりも早く、その感覚は消えていった。ナフアも拘泥しなかった。
「さて……と」
 登ってみると、やはり車体上部は乗車スペースとなっていた。座席は見当たらなかったが、前方に四角い柱のようなものが立っており、傍には半透明の石盤に似たものがはめ込まれていた。それが稼動装置らしい。
 盤に刻まれていたのは少々配列と形が違うが、メルボニア語の文字だった。
「これが操縦装置ということかしら」
 どうやって使うのだろうか、と考えながらナフアは柱頭に手を載せてみた。すうっと張り付くような不思議な感覚の後、突然盤が光を放った。
「なに……?」
 驚いて目をやると、盤の上部に文字が光となって浮かび上がっていた。古代語だったが、ナフアにもその意味は判った。
《マスターを認識。登録を》
 少々迷ったが、ナフアは自分の名を綴る文字に触れた。すると再びメッセージが浮かび上がった。
《マスター・ナフアを登録。これより全ての機能を解放します》
 そのメッセージが消えると同時に、《戦車》全体が緑の蛍光を放った。さあっと青い空間を束の間緑に染めた光は数秒で消え、再び元の状態に返った。
「これで動くの……?」
 ナフアは自問を口に出してしまった。どうやら今のでこの《戦車》を起動させることができたようだが、肝心の操縦方法が判らないのではどうにもならない。柱が操縦装置らしいので、どうやって使うのかとあちこちに触れてみながら、彼女はこれからどうするかを考えた。
(これを動かせたら、とりあえず宮殿に戻って、アウグスティーナ様とマリンを乗せなければ)
 するとまた盤がメッセージを発した。
《マスターの思考を確認。上層へ移動します》
「思考を確認……? 精神感応型なの?」
 こんな技術があったのかと驚いている暇はなかった。戦車を中心にして魔法陣が現れ、光の円柱が包み込んだ。それが転送用の魔術だということはすぐに判った。一瞬の浮遊感の後、重みを感じた時にはすでに転送は終わり、宮殿前にナフアはいた。
 すぐに彼女は戦車を降り、マリンのもとへと走った。
「マリン」
 呼ぶと、すぐにマリンは目を開けた。
「どうしたの、ナフア」
「地上に敵が近付いているわ。今すぐ、アウグスティーナ様をお連れして。ここから出なければ」
 マリンは詳しい事情を訊ねなかった。地下迷宮を護る結界の一つにナフアが魔術をかけ、敵意あるものが近づけばすぐに判るようにしていたことは、彼女も知っていたので。無言のまま彼女は頷き、部屋を出て行った。
 アウグスティーナのことはマリンに任せ、ナフアは自らも支度を整えるための行動に移った。この迷宮のように、皇家の管理下にある隠れ家はもう使えない。新たな潜伏先をすぐに見つけることはできないだろうから、生活のための道具を持っての移動となる。物資と交換可能な金品も必要となるだろう。やらねばならないことは山のようにあった。
 このような日が来ることを見越して、常に準備は怠っていなかったので荷造り自体にはさほど時間はかからなかった。荷物を積み込む段になって判ったことだったが、《戦車》は一定の距離ならば離れていてもナフアの意思を読み取ることができ、それに従って形状すら変える機能を持っていた。
 マリンが出てくる頃には、《戦車》の地上を走るには目立ちすぎる外観は現代の一般的なオープンカーに似たものとなっていた。後部に形成したトランク部分に荷物を詰め、運転席に乗り込んだ頃に、ようやくマリンが眠ったままのアウグスティーナを抱きかかえて出てきた。
「ナフア、こんな車がどこにあったの?」
「最下層にあった《戦車》が変形したの。詳しいことは移動しながら話すわ。早く乗って」
 マリンは首を小さく傾げたが、言われたとおりにアウグスティーナを後部座席に横たえてやり、自分はナフアの隣に座った。運転席の前に、ステアリングや計器の代わりに角柱と盤があるという奇妙な光景に彼女は目を瞠ったが、やはり自分からは何も訊ねなかった。
 地上へ出ることをナフアが強く念じると、迷宮自体の魔力と呼応して再び転送用の魔法陣が浮かび上がり、光が彼女たちを包んだ。
「マリン、アウグスティーナ様がお目覚めになっても、何も見ないで済むように気を付けて差し上げてね」
「判っているわ……。まだお小さいのですもの、戦場など見せられない。申し訳ないけれど、ぐっすりお眠りになれるような薬を使わせていただいたわ」
 マリンは手を伸ばし、少女の金色の髪を撫でた。
「ねえナフア」
「なに?」
「ここを出て、どこか、もっと安全な所なんてあるのかしら」
 ナフアは判らないと答える代わりに首を振った。
「同じ場所に留まることはできないわね。常に移動しつづけていれば、相手も追いかけ続けざるを得ない。そのうち疲れて、終わるでしょう。ただし――どちらが先に疲れるかは、判らないけれど」
「そうね……」
 マリンはゆっくりと言いながら、後ろを振り向いた。アウグスティーナは十五歳の少女らしい、若く健康な眠りの中にある。二体の機械人形以外、他者との接触を――ナフアとマリンが限りなく人間に近い思考回路を持っていたとはいえ――いっさい持ったことのない彼女を、どうやって人間社会に慣れさせていけばいいのか。
 それをナフアが口にすると、マリンはため息をついた。
 その点だけで言えば、アウグスティーナはこの世に生まれおちたばかりの赤子にも等しかった。いつか迷宮を出なければならない日が来る、一生をこの迷宮で暮らすことは決してないだろうとマリンもナフアも思っていた。しかし、実際に向き合ってみると、それは難しいという一言では片付けられないことであった。



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