01<<機械仕掛けの迷宮02>>03



 それから三年が過ぎた。
 アウグスティーナは十三歳になり、肉体的にも精神的にもしだいに大人びてきた。世が世であれば、社交界に貴婦人としてデビューを果たし、婚約なども考えられはじめる年である。
 十二歳になった時、ナフアとマリンは彼女がこの地下迷宮で産まれ、育つこととなった事情を全て話した。アウグスティーナは一晩泣き通した後、すっきりした様子でいつもの生活に戻った。
 アウグスティーナの父、前皇帝だったアウグスティヌスはごく穏やかな人柄を讃えられる皇帝であり、優秀な人材を発掘し、臣下同士の諍いをうまく収め、互いに協力させる術を持っていた。彼の治世のもと、メルボニアは先代皇帝から続く静かな繁栄を謳歌していた。
 だが彼は実弟ベイオリーフによって宮中で斬殺され、後に《アウグスティヌスの受難》とも呼ばれることになった帝位簒奪が起きた。異変に気付いた宰相によって、皇后リスターナは捕らえられる前に首都を脱出し、この迷宮に逃げ込んだ。その時からメルボニアの悲劇が始まったと言っても過言ではない。
 ナフアがその後手に入れた情報によれば、ベイオリーフに逆らった者や、アウグスティヌスが重用していた大臣たちは皆左遷、或いは処刑され、或いはメルボニアから追放されて宮廷から去っていった。そのかわり、彼のご機嫌取りに終始する者のみが重臣として取り立てられる歪んだ独裁が布かれるようになった。
 今やメルボニアでは、皇帝の力が届かない田舎や自治領はともかく、首都近辺では世間話に皇帝の話題を出すことさえ憚られるほど、人々の自由は奪われていた。かつては人々で賑わい、物資にあふれていた市場はさびれ、盛んだった絹の生産もすっかり落ち込んでしまった。
 ベイオリーフは帝位についた当初、彼に服従しない貴族たちの結束と心の拠り所となっている先帝の遺児を躍起になって探し回った。だが五年経ち、十年経つうちに、各州の諸侯たちへの捜索命令も形ばかりのものとなっていった。
 だが、ベイオリーフは子供が皇后ともども死んだのではないかという噂は全く信じていなかった。それは情報機関を使うまでもなく、彼の身に起こるべき変化が起きていないことで容易に知ることができた。
 メルボニアの皇帝は代々、国を守護する大精霊《メルボニア》との契約の証しとして太陽の如き金の髪を受け継ぐ。この特徴は直系の長子にのみ受け継がれ、不思議なことに長子が帝位を継がぬまま死んだり、皇帝が世継ぎを残さぬまま死ぬと、元の色が何色であれ第二子或いは子のない場合は皇帝の弟妹の髪が金に染まるのであった。
 そしてベイオリーフの髪は、兄皇帝を亡き者とし、帝冠を受けた今も淡い茶色のままだった。それは彼よりも高位の帝位継承権者が存在すること――先帝の長子が存命している何よりもの証拠に他ならなかった。
 ベイオリーフが何故兄を殺してまで皇帝になりたかったのか、アウグスティーナには理解できなかった。それを考えるにはまだ幼すぎたのかもしれない。たが、叔父が皇帝として首都にあり、自分が隠れ住んでいるこの状態は間違っており、真に皇帝たるべきなのは自分なのだという認識は固かった。
 そのように、現状に対する不服はあったものの、アウグスティーナは父母の仇でもある叔父を憎む気持ちを不思議なほど持っていなかった。個人としてではなく、皇帝としての怒りのみを抱くように育てよと命じられたナフアとマリンの教育のなせるわざであった。それが人間として正しい感情なのかどうか、二人にははかりかねたけれども。

 それからさらに二年の歳月が経ち、アウグスティーナは十五歳の誕生日を迎えようとしていた。相変わらずの単調な生活が続いていたが、アウグスティーナが外の世界に出たいと言いだすことは一度もなかった。この地下迷宮にいるかぎり、彼女の命はほとんど完璧といってもいいほど厳重に、何層もの結界と人工壁によって保護されている。だが、期限が迫りつつあった。
 知る者は少なかったが、メルボニア皇家には正統に帝位に就いた者でなくとも、皇家の血を受け継ぎ、十五年間その地位を保つことができれば、発祥から現在に至るまでのメルボニアの歴史を全て知り、その身に代々の皇帝の魂を宿すともいわれる大精霊《メルボニア》の承認を得られるという掟があった。
 帝位請求者の身から正式に皇帝と認められ、《メルボニア》から全ての知識を与えられたベイオリーフは、即座に皇家の隠れ家を一つ残らず捜索するように命じた。《メルボニア》に認められた今、彼の地位を脅かしうる者はただ一人であった。
 この捜索隊の中には、機械人形対策のために特別に組まれた技術者の一隊があった。機械人形と一言でまとめられていたが、実のところ主たる対象はナフア一体であった。アウグスティーナは知る由もなかったが、ナフアは戦闘用に造られた機械人形だった。
 どのような武器でも使いこなし、体術にも優れた戦士としての技量に加え、魔法使いとしての能力も高い。彼女の魔力の源は魔法石なので人間のように無尽蔵というわけにはいかないが、それでも最高ランクの魔術を容易に発動させうるほどの魔力を持つ。
 ナフアはたった一体の機械人形であったが、破壊するためには数千の兵力、多くの魔術が必要となるだろう。
 対策チームの責任者であるチャーヴィル・スマックはナフアの製作者であり、自らの最高傑作となったナフアの製作以後、第一線からは身を引き、後進の指導に回ったという経緯がある。自ら作り出したものの破壊を命じられたその心中は、複雑なものであったに違いない。
 今年で、チャーヴィルは百九十三の齢を重ねる。体のあちこちを機械と交換・融合し、半ば機械人形となってまで、彼は生き続けることを望んでいた。それはある一つの目的のためであった。
「博士、よろしいでしょうか」
 若々しい声が、薄暗くした軍用テントの中に凛と響いた。もう自分の部下は名前から声の特徴に至るまで全て記憶しているので、誰なのかはすぐに判る。
「入りたまえ」
 チャーヴィルはゆっくりと首を曲げた。テントの入り口になっている布が持ちあげられて、かすかな音がした。すらりとした細身の青年が、魔力補充用の魔法石を手にして微笑んでいた。
「そろそろ魔力補充をなさらなければならないのでは?」
「おお、ヘリオトロープ君。では頼むよ」
 青年の笑みに引き込まれるように、チャーヴィルも顔をほころばせた。彼の明るい雰囲気は、誰をも微笑ませるほどの効果がある。
「ディルで結構です、博士。僕はただの技師ですのに、直々のお声がかりでこのチームに入れていただけたことは、光栄に思っております」
 はにかんだ笑顔を浮かべて、ディルは言った。屈みこんで、椅子にかけたチャーヴィルの背に開いたソケットに、魔法石を差し込む。
「いや、君は《ただの》技師などではないよ」
 チャーヴィルは呟いた。確かにディルには大した魔力がなかったが、彼にはそれを補って余りある手先の器用さと、魔法機械親和率があった。ディルは触れただけで機械に流れる魔力を察知でき、異変があれば正確に修正することができた。
 ディルはかすれ声だったチャーヴィルの呟きを聞き取り損ねて、首を傾げた。それから魔力の注入が終わった背中に触れて、言った。
「博士、人工脊椎の……これは第十六接続部ですね、そこの魔力抵抗が大きくなっています。そろそろ交換なさらないと《神経痛》が起きますよ」
 ディルは何ということもなく、その超能力的な才能を見せた。
「そうか。ではこの仕事が終わったら、点検に行くとしよう」
 《神経痛》とは生機融合体に特有の、生体部分と機械の魔力差や抵抗で起こる痛みのことである。
「よかったら、私と夕食をどうかね。少し話をしたい」
「はい。喜んで。ではお食事をお持ちしますね」
 ディルは少年のような素直さで頷き、一度外に出て行った。ディル・ヘリオトロープは帝国軍直轄の研究所で働く魔法機械専門の技師であった。やや幼さを残した顔からは学院を卒業したばかりにも見えるが、年齢は二十三、四といったところだった。なかなか整った眼鼻立ちをしているが、彼の魅力はそれよりも遥かに、全身から溢れだす生命力の輝きであった。
 それはきっと、昔のチャーヴィルにもあったもので、今では若い者にもなかなか見られない美点であった。
「ナフアが君と会ったら、どのような感想を持つだろうね」
 戻ってきたディルが運んできた食事をゆっくりとしたためながら、チャーヴィルは言った。ディルは暮れて間もない夜空のような青い目を大きく瞬かせた。青い瞳を持つメルボニア人はたいてい茶色系の髪を持っているのだが、彼の髪は夜の闇のように黒かった。
「ナフア、ですか。確か、我々が調査対策を命じられている機械人形の一体ですね」
「ああ。私の最後にして最高の作品となった機械人形だよ」
 チャーヴィルはお世辞にも美味しいとは言えない、しかし栄養は完全にコントロールされた軍用食品をスプーンにすくい、そのぶよぶよとした断面を見つめた。
「彼女は戦闘用機械人形ですよね。顔を合わせたとたんに攻撃されるということはないのでしょうか? 僕はまだ、稼働中の戦闘用機械人形に出くわしたことはないのですが、そのように聞いています」
「ナフアに限っては、そのようなことはないよ。彼女は確かに、命令されたとおり、主を害するものには徹底的な攻撃を加えるが、敵意なく対する場合には無害だ。普通の機械人形と変わりないよ。そのように造ったのだから」
 ディルは信じられないといった表情を見せたが、すぐに自分自身を納得させたように小さく頷いた。
「どんな機械人形ですか、ナフアは」
 チャーヴィルはなぜか一瞬、答えに窮したように沈黙した。
「……美しい人形だよ。私が昔愛した女性をモデルにした」
「奥様だったのですか?」
「いや。私の片思いだ。昔働いていた研究所の部下の一人でね。優秀だった。純粋で、真っ直ぐで……そう……性格には、君に似た所があったよ。だが若くして事故で死んでしまってね。だから私は、彼女の姿を永遠に残したくて《ナフア》を作った。あれの名前は、彼女の名をもらったんだ」
「そうですか……」
 ディルは物思うような色を、その瞳に浮かべた。
「博士は心から愛しておられたのですね、その人を」
「……あれを愛というのならばな」
 チャーヴィルはなぜか、自嘲するような声を出した。それから、上着の胸ポケットから古ぼけてつやのなくなった真鍮のロケットペンダントを取り出した。蓋を開けて、それをディルへと差し出す。
「これがモデルになった女性だ。名はナフア・マージョラムといった。死ぬ少し前……二十四か、五の頃の写真だ」
 魔法によって紙に焼き付けられた姿を覗き込んで、ディルははっと息をのんだ。色褪せ始めていたけれども、その絵姿はまだ十分に鮮やかだった。
 肩で切り揃えられた淡い茶色の髪。煙る空のような色をした目は切れ長で、少しきつい印象を与える。顔立ちの美しさもさることながら、ディルの目を引いたのは写真でさえそれと判る、溌剌とした雰囲気だった。まるで、生命の炎がにじみ出し、彼女を輝かせているようだった。
(なんて生き生きとした人だろう)
 ディルはため息をついてロケットの蓋を閉め、チャーヴィルに返した。
「綺麗な人ですね。もういない人だとは思えないほど」
「ああ」
 チャーヴィルの声はどこか遠くへ向けたような響きを持っていた。



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