前へ  次へ








 ジークフリートと、彼が率いるラバント候をはじめとするアルマンド一族諸侯の軍勢がシメイに到着するまでに、戦況は大きく変わっていた。ハーゲン、レギン、セドリックのそれぞれにアラマンダ公からの書状が届くまでの四日の間に、ハーゲンが流れ矢による傷がもとで戦死を遂げていたのである。
 大勢を変えたその死がハーゲンに降りかかったのは、ヴァーレンにおいてジークフリートがアランヴァルドと会見を持ち、戦い合う三者に対して布告を出したその日であった。フリアウルの者たちにとって単なる介入に過ぎなかった戦いは、にわかに領主の弔い合戦へとその意味を変えていた。
 主人の意思に従って受動的に戦わされていたのと、主人の仇を取るために能動的に戦うのとでは、彼ら自身に戦う理由があるのだから当然の帰結と言えるが、士気も覚悟も全く違う。
 本来の当事者であるはずのヴィス軍よりもフリアウル軍の働きの方が勝るようになり、数の上で既にやや劣勢に立っていたハーゼルゼット軍の敗色が濃厚となりつつあった頃、彼らのもとにジークフリートからの布告が届いたのであった。そしてジークフリートが一族の軍を率いてシメイに入った時には、布告の到達から更に三日が経っていた。
 絶縁状、宣戦布告とほとんど変わりないその内容に、レギンとセドリック、亡きハーゲンに代わりフリアウル軍を率いることとなった騎士団長が何を思い、何を考えたのかはジークフリートの知りうるところではない。彼が求めていたのは彼らの行動とその結果のみであり、各々の過程になど何の興味もなかった。ただ、そうして現出した結果はジークフリートが想定していたあらゆる事態の中でも、楽観的に過ぎるとしてその実現の可能性は低いと判断していたものに近かった。
 ジークフリートがレギンに対して行った宣告とは、当主の許しなく他家の領地を侵犯し、兵を動かした罪を問うて彼と彼に与した一族郎党を一門から追放し、討伐するというものであった。ハーゲンに対しては、これも当主の許可なくこの争いに介入した罪を問い、レギン同様一族から追放し、討つと宣告していた。
 もう一人の当事者であるセドリックには、当主権限で二候を処分するので戦いは自分に預けてほしい、味方をしたフリアウル候についても手出しは無用のことと伝えた。ただし、ハーゼルゼット候に攻め入られたなら、彼が属する一族の当主である自分に仲裁を求めるのが筋であるところ、連絡もなく戦端を開いたのはこれまでに築いてきた交誼への裏切りであると告げることも忘れなかった。
 失敗すれば三者を敵に回して戦うことになるかも知れず、そうとあらばいっそ一族とともに滅びるまで、とジークフリートが密かに覚悟していたにもかかわらず――或いは狙い通りというべきか――アルマンド一族を挙げての総力戦は実際のものとはならなかったのである。
 ジークフリートからの通牒を受けたフリアウルとハーゼルゼットの対応は対照的なものだった。すなわちフリアウル騎士団はただちに兵を退き恭順の意思を見せたのに対し、ハーゼルゼット騎士団は相手をアルマンド公に変え、さらに戦い続ける姿勢を示したのである。それはそのまま、両者の戦争への関わり方と動機の違いを示すものだった。
 ハーゲンが生きていれば結論はまた少し違ったものとなっていたかもしれないが、そもそも彼がレギンとセドリックの争いに介入したのは、その後に何を目論んでいたかはともかくとして、エズマの暗殺がレギンの差し金によるものだと信じたことにある。
 今ではハーゲン自身の仇討という目的もそこに加わっていたが、いわば主人親子を奪われた被害者である臣下たちからすれば、当然の報復だと考えていた行為が処罰の対象となる――アルマンド一族からの追放につながるなどということはまさに青天の霹靂以外の何ものでもなかった。
 そしてそれは、ハーゲンの主張に賛同して彼に与した者たちにも言えることだった。自家の利益につながるだろうと味方したことが、何もないどころか不利益に、自家の存続そのものを危うくするとあっては続ける道理がない。
 もしそれがただの通告どまりであったならば、彼らとて名のみのものと軽んじてきた当主に公然と反抗することもありえたかもしれない。だがリエテ伯家やラバント候家を筆頭に、一族の中でも有力な血族がジークフリートを名実ともに当主として立て、彼らを切り捨てることも辞さない姿勢をはっきりと見せた事は脅威であった。強大な権力を持つ一族に属していてこそ、その中での覇権争いは意味を持つのだから。
 少なくともハーゲンの臣下たちからすれば、被害の回復はもはやならぬものであったから、報復さえ行えるのであればそれで良かった。また、必ずしも彼ら自身の手で行わねばならないというものではなく、本来は第三者――当主を間に立てるべきものであったから、あるべき形を取れと命じられて逆らう理由は彼らには無かった。
 フリアウル騎士団の団長はフリアウル候家に与した全ての一族と家臣を代表して自ら当主のもとに使者として立ち、シメイの手前でジークフリートに会見を求めた。その場で介入の本来の要因であったエズマの暗殺について犯人の究明と処罰、そしてハーゲンの死を購ってほしいと申し入れ、それさえ果たされるのであれば戦い続ける理由はなく、当主に逆らう意思は当初からどこにもないと弁明したのである。
 これに対してジークフリートは、暗殺事件については申し入れ通り、当主の責任を以て最善を尽くすと約したが、ハーゲンの死は自ら加わった戦いによるものであり、いわば自ら死を招いたようなものであって、誰に責を問うべきものでもないと一蹴した。しかしこの結論に彼らは異を唱えなかった。ジークフリートが述べた理由は尤もなものであったし、ハーゲンもその後を継ぐはずだったエズマも亡き今、彼らが「アルマンド一族に仕える家臣」としてこれからも生きていけるか否かはジークフリートの心算一つにかかっていたからである。仕えていた主を喪った今となっては、重要なのはフリアウル候家が今後どうなるかよりも、彼ら自身の将来であった。
 ハーゲンが戦死したとの知らせは、使者が訪れる前に帰着した斥候からジークフリートにもたらされていた。手を汚さずに済んだことを喜ぶべきか、或いは直接仇を討てなかったことを悔やむべきかと、ジークフリートはふと思った。だが、意外な展開ではあったにせよ、どちらにしても二人の叔父はその存在そのものを排除するつもりであったし、これからのことを考えれば都合が良かった。
 フリアウルの動きに対し、レギンが公然と当主に反抗することを決めたのは、まさにそこにあった。死んだことによって、自身にもはや失うものは何もなくなったハーゲンとは違い、レギンはたとえここでジークフリートに頭を垂れようとも、今まで当主を蔑ろにし、伺いも立てず兵を出した事実が厳然とそこにある限り、罰されること――覇権を失うことに変わりはなかったからだ。
 このままではハーゼルゼット候家の存続どころか、自身の命すら危うい。それならば飽くまで抵抗を続け、当主に取って代わることに彼は一縷の望みをかけたのだった。だがレギンと運命を共にすることを決めたのは僅かな縁者しかなく、圧倒的な武力差ができた今となってはそれはもはや無駄なあがきでしかなかった。
 フリアウルの軍を従えてシメイに到達し、陣を布いた日の早朝、レギンから逆に宣戦布告を受けたジークフリートは、その報せを持ってきた伝令に尋ねた。
「ハーゼルゼットに与したのはどこだ?」
「フューン侯、サハ伯、ノリス伯です」
「兵の規模は」
「それぞれの兵が入り乱れておりますし、現場も混乱しておりますので、正確には掴みかねておりますが……恐らく、千五百は超えぬかと」
「そうか。では追って指示のあるまで待機。引き続き偵察を怠らぬよう」
「はっ」
 伝令を下がらせた後、それまで無言でジークフリートの傍らに控えていたアクィリウスが口を開いた。
「ジークフリート閣下、ノリス伯はレギン卿の妻の実家ですから、厳密にはアルマンド一族の者ではございませんが、いかがなさいますか」
「知れたこと。ハーゼルゼットに与したのであれば、いずこの誰であろうと我が一族の敵に他ならぬ。受けて立つまでだ」
 うっすらと睫毛を伏せて、ジークフリートは言った。
「千五百であれば、一日で勝負をつけられるでしょう。ここは今日中に畳みかけておしまいになりますか」
「いや。数の差が歴然としていることは向こうにも理解できていようから、積極的に仕掛けてくることはあるまい。こちらからも出ることはせぬ。――今はまだ」
「今は、まだ?」
 瞼を上げたジークフリートは、鸚鵡返しに問い返したアクィリウスにではなく、天幕の入り口の辺りに視線を流し、少し遠くを見るような目をした。
「遅くとも、一両日中には動く」
 それはアラマンダ公の軍のことでもハーゼルゼットの軍のことでもなく、何か別のものを指していると気づいたが、彼の呟きはそれ以上の質問への回答を拒むものであるとも察したので、アクィリウスは口をつぐんだ。
 ジークフリートの言葉通り、下手に手を出して一気に総力戦へと持ちこまれれば簡単に負けるであろうことを理解していたレギンは動かなかった。互いに敵を眼前にしながら睨み合うばかりの膠着状態が破られたのは、昼近くになってからのことだった。
 緊張をみなぎらせつつも表面上は静穏であった陣内に俄かにざわめきが広がり、それは波が及ぶように陣の中央である本営にも伝わってきた。何事が起きたのかと訝しんだアクィリウスは外に駆け出た。ジークフリートは慌てた様子もなく、ゆったりとした足取りでそれに続いた。
「あれは――!」
 驚愕の声が、アクィリウスの唇から零れた。
 本営には司令部や、指揮官の宿営として使用される天幕が並んでいる。そこを取り巻く警備兵が作る人垣がさっと割れ、旗を高らかに掲げた数騎が近づいてきた。翻る朱色のその旗には、黄金の立ち獅子が中天高く昇った太陽の光を浴びて燦然と輝いていた。メビウス帝国の紋章――皇家の旗印である。
「ジークフリート閣下」
 不安げな表情でこちらを振り返ったアクィリウスに向けて、ジークフリートはわずかに首を傾けてみせた。
「アランヴァルド殿は無事に役目を果たしてくれたようだ」
 満足げな声音でジークフリートは言った。周囲のざわめきと興奮の中で、左右に旗手を従えた先頭の男が下馬し、二人の前に進み出た。彼はジークフリートとアクィリウスを交互に見やり、少し間を置いた後、ジークフリートの前に膝をついた。
「皇帝陛下の勅使であります」
「お役目ご苦労に存ずる」
 勅使の挨拶にジークフリートが応えると、彼はそのまま用件を述べた。
「陛下は公爵閣下がなされた請願につき、内々の会見をご所望であらせられます。閣下におかれましては、ただ今すぐにカジェへお運びくださってもよろしくありましょうか」
「承知した」
 ジークフリートは即答した。この成り行きにほとんど呆気にとられていたアクィリウスだったが、ようやく我に返ったような顔をして傍らのジークフリートを見やった。
「まさか、閣下がお待ちになっておられたのは……」
「ああ。貴殿の想像通りだ。……陛下が直々にお目通りを許して下さるとは思わなかったが」
 継承戦争後、首都はカノンからオルテアに移っていたが、皇帝が首都に滞在している期間はとても短く、彼はほぼ数日おきに宮廷の人員を引きつれて各地を転々としていた。その宮殿がまだ建設途中であったためオルテアが腰を落ちつけられる場所ではなかったことと、支配力の衰えた地方に皇帝の威光を誇示し、統治権を見せつけるためである。
 僅かな護衛だけを連れたジークフリートは勅使に案内され、カジェの草原に設置された移動宮廷――立ち並ぶ多くの天幕の中央に座している、小さな家ほどもある天幕へと足を踏み入れた。中はカーテンや衝立で幾つかの部屋に仕切られており、皇帝の座所として整えられているのは明かりとりの天窓がほの暗い陽光を落とす天幕の中央部であった。
 立ち獅子の紋章を織り上げた緞帳を後部に垂らした天蓋の下に一脚の背高椅子が置かれており、皇帝はそこでジークフリートを待ち受けていた。もっと身分低いものを相手にするのであれば閉じられているはずの天蓋のカーテンは広げられ、互いの姿をはっきりと見ることができた。
「そなたがアルマンド公か」
 初めてまみえるメビウス皇帝リューディガーは、検分するような目をジークフリートに投げた。ジークフリートは二バールほどにまで近づいたところで、椅子の前まで続く真紅の絨毯の上に片膝をついて頭を下げた。
「拝謁の光栄を賜り恐悦至極に存じます、陛下。いかにもわたくしがジークフリート・ラエルティウス・ダ・ジェンデ・ラフレー・エ・エスメラルダ・ド・ラ・アルマンドにございます」
 リューディガーはメビウス系の恵まれた体格に、クライン系の黒髪と黒目を持つ三十代半ばの青年であった。けれども、成人して間もなく帝位に就いて後、十年以上も続いた継承戦争の苦労を経てきたせいか、暗い目の光はその若さを裏切るものであった。
「そなたはなかなか、侮れぬ人物のようだな」
「そのようなお言葉――。一族にかような動乱を招いてしまった私には、勿体ないものでございます」
「そう、謙遜することはあるまい」
 リューディガーは彼の言葉の裏を読んだように薄く笑った。そしておもむろに立ち上がると、ジークフリートの眼前まで歩み寄ってきた。
「そなたが置かれていた境遇、立場を考えれば、これこそが最良の手であったと思うぞ。そなたがあと十年早く生まれていれば――或いは余がもう少し、そなたと早く出会っていれば、このメビウスは異なる在りようを見せていたやもしれぬな」
 それが皇帝の、心からの讃辞であるということにジークフリートは気づいた。
「有り体に申して、初め報せを受けた時、余はアルマンド公家を取り潰す絶好の機会と思った。だが心が変わった。アルマンド家の所領、財力を得られぬはいかにも惜しい。だが、そなたを失うは、我がメビウスにとりさらに惜しい――と」
 リューディガーの目に奇妙な光が浮かんだ。
「余の言いたいことは、判るな?」
 全てを理解したジークフリートは、言葉と共にリューディガーの差し出した右手を押し戴くようにとり、その手の甲に恭しく口づけを落としながら告げた。
「エール・リューディガー。これより後、我が全ての忠誠は陛下のものにございます」
「よろしい」
 満足げにリューディガーは頷いた。
「ならばそなたの忠誠に応え、願いを聞こう。他にも願うことがあれば申すがいい」
「では一つだけ、よろしいでしょうか」
 そしてジークフリートが口にした言葉に、リューディガーは再び含むところのある笑みを見せた。
「アルマンド公よ。そなたは本当に――恐ろしい男だな。そなたが余の敵とならなかったことを幸いに思うぞ」
 多分にそれは、この若き公爵との邂逅を面白がっているようでもあった。



前へ  次へ



inserted by FC2 system